あまい贈り物




 今週も先輩は公園にいるだろうか。
 期待と緊張をない交ぜにした複雑な気持ちを抱えながらも、私の足はまっすぐ、日曜の公園を目指していた。
 手にはいつものヴァイオリンケースと、もうひとつ。
 ――――アイスが好きなら、甘いものは嫌いじゃないよね?
 ちょっと頑張ってラッピングした小さな包みをちらりと見て、私は緊張の原因を見やった。
 我ながら、うまく焼けたと思う。
 中身は、あまり大きい声で威張れないけれど、一応手作りのクッキーだ。
 これは先週、アイスをおごってくれた上に、愚痴まで聞いてくれた王崎先輩へのお礼なのだ。
 散々迷った挙句、ずいぶん定番な品に落ち着いてしまった気がするが、私が考えた中では一番妥当なものだ。
 何だか柚木先輩に贈り物をする女の子を尊敬してしまう。
 どうしてあんなに堂々と渡せるのだろう。
 私は昨日から緊張して仕方ないのに。
 そんなことを考えつつ公園に着くと、すぐに入り口付近にいた件の人物を発見した。
「あれ?」
 近づくにつれ、先輩と一緒にいる男の子の存在に気がついて、私は首を傾げた。
 その男の子は、どうやら泣いているらしかった。先輩は膝を折り、一生懸命男の子を慰めている。
「王崎先輩、どうしたんですか?」
 私が声をかけると、先輩は困惑顔をやや和らげた。
「ああ、日野さん。実は、この子親とはぐれちゃったらしくて。迷子なんだ」
 そういって先輩は視線を男の子に戻した。私もつられてそちらに目を向ける。
 年は四、五歳くらいだろうか。寂しさから顔を赤く染めて泣きじゃくっている。
「親御さんも公園の中でこの子を捜していると思うんだ。この子の親御さんを捜したいんだけど、日野さん、手伝ってくれないかな?」
「はい。もちろん」
 私がうなずくと、先輩はようやく微笑んでくれた。
「良かった。じゃあ、ちょっと歩こうか」
 泣きじゃくる男の子をなだめ、先輩は男の子の手を握った。すっかり男の目に涙はない。
 この一連の行動の鮮やかさに、私はただ感心するばかりだ。
「もう片方の手は、お姉ちゃんに握ってもらうんだよ」
 先輩のその言葉に、男の子は素直に私のほうへ手を出してきた。
 その光景をほほえましく思いながら、私は男の子の小さな手をとった。
 今日は本当に天気の良い日だ。
 青空に薄くかかる白い雲。
 新緑まぶしい木々とのコントラストに、自然と気持ちも弾んでくる。
 ――――しかし、その浮かれた気分も、次第に曇り始めた。
「おかしいな。これだけ歩いて親御さんが見つからないなんて」
 先輩の顔に戸惑いの色が浮かぶ。きっと私も同じような表情をしていると思う。
 さほど広い公園ではない。だから、ぐるりと一周すれば、男の子の親御さんは見つかると思っていた。
 でも、一周して、また同じ入り口付近に戻ってきたというのに、それらしき人物とは出会わなかったのだ。
 いったいこの男の子の親御さんはどこへ行ってしまったのだろう。
 念のため聞き込みをしながら歩いたのだが、有力な情報はなかった。
「ちょっと一休みしよう」
 そういうと先輩はジュースを買いに行った。
 残ったのは、今にも泣き出してしまいそうな男の子と私。
 今までは先輩が慰めてくれていたけれど、今その先輩はいない。
 私は男の子の顔を覗き込んだ。
「ここに座って待っていようか」
「・・・・・・」
「疲れていない?」
「・・・・・・」
「大丈夫、すぐお母さんも見つかるよ」
「ううっ・・・」
 しまった、逆効果だ。
 今まで反応のなかった男の子の顔が、「お母さん」の一言で見る見る曇っていく。
 私はあわてて男の子に視線を合わせるようにしゃがみこんだ。
 そのとき、男の子の顔からふと悲しみの色が消えた。
「?」
 男の子の視線は私の周囲をさまよっている。
一体どうしたんだろう?
「どうしたの?」
「・・・いいにおいがする」
「え?」
 一瞬何のことを言っているのかわからなかったが、すぐに心当たりに覚えがあった。
「これのことかな?」
 私はラッピングされたクッキーの包みを取り出した。
 とたんに男の子の視線が包みに釘付けになる。
「・・・食べる?」
「うん!」
 どうぞ、といって包みを渡すと、今までの涙はどこへいったのだろう、男の子は嬉しそうにクッキーを食べ始めた。
「おいしい?」
「うん」
 男の子の笑顔を見ていると、クッキーを渡すのを一瞬ためらった自分が、とても嫌な人間に見える。
 でも、男の子が泣き止んで良かった。
 クッキーを食べる男の子を微笑ましく見ていると、遠くから先輩が帰ってきた。
 ・・・それに、女の人?
 誰だろうかと首をかしげている私の横を、男の子が駆けていった。
「おかあさん!」
「え?」
 女の人もこちらに気づいたようで、駆け寄る男の子を抱きしめた。
「男の子が道へ出て行ってしまったんじゃないかって、公園の周りを捜していたんだって。ちょうど自販機のところであってさ。見つかって良かったよ」
 ほっとした顔の先輩が、口元をほころばせながらそう教えてくれた。
 さすがは先輩。
 ちゃんとお母さんを連れてくるんだもの。
 男の子のお母さんは、何度もお礼を言うと男の子の手を引いて帰っていった。
 去り際に男の子が振り返り、
「クッキー、ありがとう」
 にっこり笑って手を振ってきた。
 手を振り返して見送る私の隣で、先輩が感心したように目を丸くした。
「すごいね。クッキーで男の子をなだめていたなんて。おれだったらできなかったことだよ」
「いえ、そんな大した事じゃないです・・・」
 まさか、先輩にあげるつもりだったんです、なんて言えずに、私はあいまいに笑って見せた。
 そんな私の引きつった笑みに気がつかない先輩は、ふと思いがけないことを言い出した。
「あれ、手作りっぽかったけど、日野さんが作ったの?」
「え、ええ。そうですが」
「へえ。羨ましいな」
 え?
 私は思わず先輩を見上げた。
 驚いた顔の私を見て、逆に今度は先輩が目を丸くした。
「あ、ごめん。あの子がとてもおいしそうに食べていたから」
「あ、あの、じゃあ、今度作ってきましょうか?」
 思わず不自然なくらい力が入ってしまった私の申し出に、しかし、先輩は笑顔でうなずいた。
「本当? うれしいな」
 何もかも許してしまいそうな穏やかな笑みは、いつも私を優しく包んでくれる。そばにいると、とても安心する。
 だから、私も精一杯の笑顔を返したい。
「はい、分かりました」
 やったぁ、これで正々堂々渡すことができる。
 情けは人のためならずとは、よく言った言葉だなあ。しみじみ感心していると、先輩が思い出したように私のヴァイオリンケースに目を向けた。
「もしかして、今日も練習しにきたの?」
「はい。そうです」
「そうなんだ。がんばっているね」
 と、先輩は自分のヴァイオリンケースのふたを開けた。
「迷惑じゃなかったら、一緒に練習しない?」
 あまりにもさりげないお誘い。
 そのお誘いがどれだけ私を喜ばせるか、先輩はきっと想像もできないだろう。
 私は最大級の嬉しさをこめて、大きくうなずいた。




back