飴細工
「わぁ。たくさんお店が出ていますね」
暗闇を照らすちょうちんが並んだ寺の境内を前に、紗依は歓声をあげた。
「凄い、たくさん人が出ているんですね」
たまたま立ち寄った村で、ちょうど行なわれていた夏祭り。
紗依にせがまれて一刀斎も、この光あふれる人ごみの中へと足を運んでいた。
人の多いところや騒がしいのは好きではなかったが、紗依がはしゃいでいるのを見るのは良い。
「一刀斎さんはお祭り、好きですか?」
目をきらきらと輝かせながらそんなことを問うてきた紗依に、一刀斎は思わず笑みをこぼした。
「いや、拙者はあまりこういうところが好きではなかったからな」
「あ、すいません! 私・・・」
無理矢理つき合わせてしまったと感じた紗依は、とたんにおろおろとしだしたが、それさえ一刀斎の笑いの糧となった。
大きな手が、そっと茶色い髪の毛に触れる。
「構わぬ。お前と一緒なら、どんな場所も好きになれそうだ」
温かなぬくもりに頬を染めた紗依が、さらに可愛らしい。
心の中に淡い思いがほのかに浮かぶ。
柄ではないと思いつつ、一刀斎は紗依に手を差し出した。
戸惑って顔を見上げた彼女の視線に、顔に血が上るのがわかったが、仕方ない。
少し顔を背けて、
「・・・迷っては面倒だ。早く手を貸せ」
ひったくるように紗依の手を掴んだ。
目を瞠った紗依の顔に、蕾がほころぶように笑みが浮かぶのに、それほど時間はかからなかった。
「・・・・・・」
恥ずかしそうに顔をうつむけるものの、口元には抑えきれない嬉しさがありありと浮かんでいて、それを見る一刀斎の乾きひび割れた心に、深くしみこんでいった。
「何か食べるか?」
ものめずらしそうに屋台を眺めている紗依がいとおしくて、一刀斎はそんなことを問いかけた。
「好きなものを選べ。何でも買ってやる」
「え? 良いんですか?」
「ああ」
少し申し訳なさそうな様子を見せながらも、紗依は一刀斎の言葉に甘え、立ち並ぶあまたの屋台の中から、一つの店を指差した。
「あれがいいです」
「ん?」
紗依のほっそりとした指の先に視線を向けると、そこには様々な形に細工した飴菓子が並んでいた。
一刀斎は紗依の手を引いて、その屋台の前まで来た。
近くで見るほど、その繊細な細工に目を奪われる。
「いらっしゃい」
この飴細工を作った者だろうか。
愛想の良い男が、どれにしましょうと問いかけてくる。
「どうする?」
一刀斎が視線を下げると、そこには真剣に悩む紗依の姿があった。
「こっちの鳥もいいし、あっちのウサギも可愛いし・・・ううーん」
「お、お目が高い。そちらの孔雀なんてどうです。何でしたら、目の前で作って差し上げましょうか」
「えっ、本当ですか?」
子どものように目をきらきらと輝かせる紗依に、思わず笑みがこぼれてしまう。
きっと今の自分は、にやけた情けない顔をしているのだろう、と一刀斎は思ったが、思ったところで直すことはできないので、仕方がない。
はしゃぐ彼女と一緒に、飴細工の工程を眺め、目の前で作られた鳥の形をした飴細工を買ってやると、紗依は大喜びした。
いつもはおとなしい紗依だったが、この一種異様な祭りの興奮した空気に当てられたのか、終始弾むような足取りは変わらなかった。
手をつないでいる一刀斎も当然その歩調に合わせているのだが、自然とそれは一切苦にならない。
むしろ、ずっとこうしていたいような気もした。
「・・・少し休むか」
一刀斎は人ごみを抜け、静かなところへ紗依をいざなった。
境内は明るく人も多いのだが、そこから一歩踏み出すと、とたんに周囲は闇に支配される。
少し先に見える明かりが、逆にこちらの暗さを強調していた。
さすがに少し疲れたのだろう。
手ごろな石に紗依は腰を下ろした。
「疲れたか?」
紗依の隣に座ると、彼女はやわらかく微笑む。
「大丈夫です」
「そうか」
そっと細い方に手を回して引き寄せると、腕の中で彼女が息を呑んだのがわかった。
だが、それだけ。
紗依は一瞬驚いたものの、それきり嫌がる風も見せず、一刀斎の胸に自分の頭を預けた。
「人、いっぱいいましたね」
「そうだな」
「みんな楽しそうで・・・」
「お前はどうだ?」
「私も楽しかったです」
火照った顔には夜風がちょうど良かった。
祭りは相変わらず続いている。
騒がしい声は遠くから耳に届く。
にぎわっている様子は十分伝わってきた。
だがここは、そんな世界からは完全に切り離された、二人だけの世界。
「あ、さっき買った飴、一緒に食べませんか?」
思い出したように、紗依は持っていた飴細工を一刀斎の前に差し出した。
独特の甘いにおい。
一刀斎は首を振った。
「拙者はいい。紗依が食べろ」
「一刀斎さん、もしかして甘いのはダメですか?」
相手が苦手なものを買わせてしまったのでは、と不安の浮かぶ紗依の顔を見ているうちに、胸をつかまれたように苦しくなる。
それは激しいいとおしさのためだと気づくのに、それほど時間はかからなかった。
一刀斎は紗依の目をじっと見つめながら、はっきりと首を振った。
「いや、拙者は甘党だ。それも、相当の」
「そうなんですか。それじゃあ・・・」
ほっと胸をなでおろし、飴菓子の包みを開けようとした紗依の隙を突いて、
「!」
一刀斎は紗依に口付けした。
不意打ちに動揺する紗依が大きく見開く。
その姿を紫の双眸に映しながら、一刀斎は会心の笑みを浮かべた。
「お前との口付け以上に、甘いものなどないだろう」
だから自分は甘党だと主張する一刀斎に、紗依は顔を真っ赤にしながら怒ったように口を尖らせる。
「紗依はどうなのだ?」
「・・・・・・」
どうにかして動揺した心を落ち着けようとしているのだろうが、それはうまくいかなかったらしい。
紗依は顔を俯けて黙り込んでしまった。
「紗依」
名を呼んで、一刀斎は紗依の頬に手を添えて上を向かせる。
視線は背けられたまま、だが、観念したようにようやく紗依が口を開いた。
「私も、甘党なのかも・・・」
どうしてたった一言なのに、こんなに心を揺さぶるのだろう。
かすかに聞こえるくらいの小さな呟きだったのに。
――――それはきっと、紗依の言葉だからだ。
「紗依・・・」
飴細工を持つ紗依の手が震えている。
それに自分の手を重ね、もう一方の手で紗依の身をしっかりと抱きしめると、一刀斎の胸の中は満たされた。
「拙者に、もっともっと、甘いものを」
「・・・はい」
今度は紗依から唇を重ねる。
ただ触れるだけではすまない。
だから紗依も戸惑いの色を浮かべたのであろう。
だが、今更とめることなどできようか。
考えるまでもない。
答えは否、だ。
「紗依・・・」
「あっ・・・」
闇の静寂の中に、押し殺した息遣い。
遠くでは相変わらず、人の声が押し寄せてきた。
だがそれは、本当に遠くの声だった。
紗依の持っていた飴細工は、少しずつ、少しずつ、溶けていった。