あの空の下で




 久しぶりの村は、相変わらず静かで、とても綺麗だった。
 舞い落ちる赤い葉と、雲ひとつない真っ青な空。
 そのコントラストは、とても鮮烈なイメージとして私の目に焼きつく。
 バス停を降りて、迎えに来てくれていた真弘先輩を探しあてた私は、目を覚ましても黙って空を見続けている先輩の横に腰を下ろして、同じように空を仰いでいた。
 頬を撫でる風が、一瞬、先輩の手が添えられたのかと思うほど優しく感じられる。
 ・・・・・・本当に、静かだなぁ。
 人が住んでいるところから離れているせいか、人の声は聞こえない。
 近くには人の気配はもちろん、カミの気配さえなかった。
 世界は、私たちだけしかいないんじゃないかって思うほど、静まり返っている。
 ついこの間まで世界の危機が訪れていたなんて、全然信じられない。
 でも、私の胸の中には確かな思いがあった。
 ――――私たちは、運命に打ち勝ったんだ。
 先輩も死なず、世界も滅びず。
 封印の束縛はなくなり、この村に平穏が戻ってきたのだ。
 一時はもう駄目かと思った。
 このままみんななくなってしまうかもしれないって。
 それでも、私は真弘先輩がいてくれたから、最後まで諦めずにいられた。
 世界を救った、なんて大それたことをしたという実感はないけれど、先輩は生きている、先輩と一緒にいられる、そのことが私の胸をこれ以上ないほど満たしている。
 と。
「おい、珠紀」
「え?」
 ぼうっとしていた私はふと先輩に呼ばれて我に返ったが、急に先輩に腕をつかまれて引っ張られたのに、抵抗する暇がなかった。
「きゃあっ!」
 手を突くのも間に合わなくて、私は先輩の隣に倒れこんだ。
 すぐ近くに真弘先輩の顔があって、心臓は驚きのあまり早鐘を打っている。
 頭が真っ白になった私は、自分で考える前に言葉を並べていた。
「せ、先輩、だめですよ! 先輩が言ったんじゃないですか、【男女七歳にして同衾せず】って!」
 と、私の訴えを聞いた真弘先輩の顔色がさっと変わった。
「ばっ、バカ! 何いってんだ、おまえは! 勝手に勘違いすんな! 誰がこんなところで・・・」
「こんなところじゃなかったらいいんですか!?」
「まあ・・・って! しらねーよ! んなこたどうでもいいんだ!」
 赤く染まった顔を見られたくないのか、ほら、と言って先輩は乱暴に天を指差した。
 相変わらず青い空。
 真弘先輩の声に驚いたのか、一羽の小鳥が青と赤のキャンバスを横切った。
「平和だろ?」
 私も感じていたことを先に言われて、うなずくしかなかった。
「・・・ほんと、のどかですね」
「前はよ、何にもねえのが物足りなかったんだが・・・」
 言葉を切った先輩の顔をちらりと見ると、目を細めて穏やかに微笑んでいた。
 思わず見惚れていると、真弘先輩がこちらを見た。
 目が合っただけでどきどきする。
「これがおまえの守ったものだと思うと、全部がいとおしく見えるな」
 そう言って、にっこり先輩は笑った。
 そんな、と私はあわてて手を振る。
「私だけじゃないです。みんなや・・・先輩がいてくれたから。だから、鬼斬丸を破壊できたんです」
「ばーか」
「なっ・・・」
 バカとは何ですか。
 そう反論した私の言葉を押しとめるように、真弘先輩の手がこつんと私の額を小突いた。
 手の向こうに見える先輩がとても優しげに笑っていたから、私は言おうとしていた言葉を全部忘れてしまった。
「おまえがいなかったら、俺は今頃封印の贄になってたっての。もともとそのつもりだったしな」
 と、真弘先輩はなぜかそこで深いため息をついた。
「おまえが泣いてすがるから、死に損なっちまったじゃねえか。俺も罪な男だなぁ」
 妙に感慨深げな言い方が、腹立つ。
 ついつい私は言い方がきつくなる。
「ええ、そうですよ、私は先輩に死んで欲しくなかったんですよ! 仕方ないじゃないですか、何か文句あるんですか!」
「・・・ねえよ」
 急にまじめな声がしたかと思うと、さっき額を小突いた手が、ぎゅっと私の手を握った。
「・・・鬼斬丸が破壊されてからこの方、村はあの戦いがうそのように、おまえとおんなじでバカみたいに呑気だ」
「バカみたいって」
 今度こそ言い返そうとした私がそのまま言葉をつながなかったのは、先輩の笑顔がひどく清々しく、まぶしかったから。
「だけど、俺はそれが好きだ」
 それがまるで愛の告白のようにも思えて、私は自分の顔が火照るのが分かった。
 それ以上先輩を見ていられなくて、とっさに空を仰いだ。
 抜けるように真っ青な空。
 ずっと、世界のどこまでもつながっている。
 誰にも平等に、あたたかい日の光が降り注ぐ。
 あの激しい戦いがあって、はじめてそのありがたさに気がついた。
「ずっと、俺のそばにいろよ」
 呟くようにポツリと漏れた先輩の一言は、不思議な響きを持って私の心に触れる。
 気がついたら自分でも知らないうちにうなずいていた。
「・・・はい」
 私の声もかすかであったけれど、先輩に届いたようだ。
 真弘先輩は身を起こして、私を見下ろした。
 ・・・次に、何をされるのか分かった私は、そっと目を閉じる。
 私の顔に先輩の影が重なって・・・。
 そんな私たちを包み込むように、赤く染まった木の葉を躍らせながら、清らかな風が一陣吹き抜けていった。




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