ある日




「痛いっ・・・離してください!」
「うるせぇ、黙ってろ」
「こんなの嫌です! やめてください」
 薄暗くなりかけた空の下、セレスティアの正面門の前で、公衆の面前であるにもかかわらず、私とレオナード様は大声で言い合っていた。
「嫌じゃねえ、大人しく帰るぞ!」
「どうしてですか! 時間はないですけど、少しくらいなら見て回る時間だってあるじゃないですか。せっかく来てくださったんだから、すぐ帰ることはないでしょう!」
 早口でそうまくし立てたが、向こうも負けていなかった。
「阿呆が! 普通何時間も待っている馬鹿はいねえだろ。それをぼけっと立っていやがって」
 頭の上から降る声は、なかなか迫力がある。
 でも、私だってここで負けるわけにはいかないのだ。
「馬鹿って・・・一日中待たせておいて、そういうことを言うんですか!?」
 デートの約束をして待ち合わせをして、指折り日の曜日を楽しみにしておしゃれだってしてきた。それなのに一日待たせたのは誰ですか。夕暮れ時になってやっと来た人に、どうしてこうも怒られなければならないのだろう。
 私の言葉に一瞬顔を歪めたレオナード様だったが、やっぱりそこでは引かなかった。
「待たせちまったのは謝るが、だからって熱が出るまで待っているのは立派な馬鹿だ!」
「熱?」
 何のことを言っているのだろう、この人は。
「そんなものあるわけないじゃないですか。いくら面倒だからって、私のせいにするなんて・・・」
ひどいです、と続けようとした私だったが、突然顔を近付けられて思わず言葉を飲み込んだ。
「・・・・・・」
「れ、レオナード様・・・?」
 問いかけてみたが、レオナード様はじっと私の顔を見つめたまま、何も言わない。
 妙に真剣な顔だから、なにやら無性に緊張してきた。公務のときもこんな顔は見られない。
「な・・・なんですか、人の顔をじろじろと・・・」
 動揺してかすれた声を、どうやらレオナード様は勘違いしたらしい。
「ほれ、顔も赤いし声だっていつもと違うじゃねえか。無理せず部屋へ帰るぞ」
 顔が赤いのも、むやみにあなたの顔が近くにあるせいなのに。そう思っている間にも、彼はぐいぐいと私の腕を引っ張っていく。
 とにかく、ここでこのまま熱があるということにさせられてはいけない。どれだけ今日を楽しみにしていたか。
「やです。絶対帰りたくないです。私なら平気です」
「あのなあ・・・」
 呆れたようにため息をついたのが悔しくて、思わず私は大声を上げていた。
「ちょっとだけでも、レオナード様とデートしたいんです!」
 拳を握り締めてまで力を込めて言い切ると、レオナード様はびっくりしたように目を見開いた。
 ・・・あれ、もしかして私、とんでもないこと言った?
 普通に、一緒にセレスティアを回りたいと言おうとしたのに、何故かデートとか口走って・・・。
「はっ!?」
 昼間よりは人通りが少なくなったとはいっても、まだまだ人の足が耐えたわけではない。辺りを見回すと、その周辺の視線をばっちり集めていた。
 わ、私、何てことを・・・。
 今さら後悔しても遅いが、私は恥ずかしさのあまり頬に手を当てた。
「あわわ・・・、えーとですね、デートといってもですね、別に特別な意味があるわけじゃなくてですね」
 こ、これは弁解しておかなければ、きっとレオナード様は変に思われてしまうわ。もしかしたら二度と休日のお誘いに乗ってくれないかもしれない。
 そう思うと私の口は自然と限界以上に動いていた。
「ただ一緒にいたかっただけというか、せっかくの休日だからレオナード様と過ごしたいなとか思ったわけで・・・」
 手振りまでつけて言いつくろう私の前では、怖いくらい引き締まった表情のレオナード様がいる。
 し、しまった。これじゃ逆効果だったのかな・・・。
 ひたすらレオナード様の視線が痛かった。
「・・・やっぱり今日は帰るぞ」
「はい・・・」
 その一言はつらかった。私にとってはとどめだったといっても良いくらい。
 ・・・嫌われてしまったかな。
 沈黙が重く私にのしかかる。もう反抗する気は起きなかった。
 あーあ。最初から素直に従っておけば、ここまで気まずくはならなかったのに。
 何か涙が出そう。一日中立ち続けていたから、もう膝がうまく曲がらない。最近運動不足だったのが身に染みた。
「わ、ちょっと、そんなに引っ張ったら・・・」
 ただでさえ歩くのに難儀しているというのに、強引に腕を引かれると。
「きゃあっ!」
 当然のことながら、私は派手に転んだ。もう、効果音があったならば、すてーんという感じで。
「お、おい、大丈夫かよ」
 慌ててレオナード様が起こしてくださった。でも、今はその優しさは欲しくなかった。
「エンジュ・・・」
 私の顔を見たレオナード様の表情が一変した。眉をひそめてしかめっ面になると、私の頬に手を当てた。
「泣くな」
「す、すみません・・・」
 とはいえ、なかなか涙は止まらなかった。すりむいたところが痛かったというのもあるけれど、転んだことがきっかけで、今までこらえてきたものが溢れてしまったのだ。
 レオナード様の盛大なため息が聞こえた。ああ、またご迷惑をお掛けしてしまったんだわ。
 これでは嫌われても仕方がなかった。
「も、もう一人で大丈夫ですから・・・」
「んなわけねえだろ」
 そう言うと、レオナード様はぎゅっと私を抱きしめた。
「・・・悪かったよ」
 耳元から心地良い低音が聞こえた。
「もとはといや、俺が遅れちまったのが原因だからな。楽しみにしててくれたのに、悪かったよ」
 レオナード様が謝っていらっしゃる?
どこか信じられない気持ちで私は聞いていた。
「お前が俺様とデートしたいってのは良く分かったが、今からゆっくりしてたんじゃ、今夜中には帰れねえ。日を改めて、仕切り直しといこうや。ま、もっとも、お前がどうしても今晩俺と一夜をともにしたいって言うなら、考えてやってもいいがな」
「ななっ、何を言ってるんですかっ!」
 慌てて私は顔を上げた。私の顔はきっと真っ赤になっているだろう。その証拠に、レオナード様は大きな声を上げて笑った。
「そりゃ残念だ。んじゃ、部屋まで送ってくわ」
「ええっ?」
 私が驚き声を上げる間に、レオナード様は軽々と私の体を抱き上げた。
「何するんですか。おろしてください!」
 まだ人がいて、ただでさえ目立っているのに、その上こんな目立つことするなんて。
 慌てふためく私とは対照的に、レオナード様は平然と私を抱えて歩いていかれる。
「足怪我したろ。怪我人に歩かせるほど、俺は非道じゃねえよ」
「大丈夫ですから! 歩けますから! こんなのすぐに治りますから!」
「そこまで言うなら俺様が舐めて治してやろうか?」
「ひいいっ、お願いですからやめてください!」
「あっはっは」
 私の反応を実に楽しそうに笑い飛ばすレオナード様。いつもの彼に戻ったことで、私もほっと胸をなで下ろした。
 それに、デートのやり直しも考えてくださっていたみたいだし。思わず笑みがこぼれた。
 嫌われていなくて、本当に良かった。
 自分でも信じられないほど安らかな気持ちが胸いっぱいに広がっていた。
 ああ、そのせいか、なんだか頭がぼんやりしてきて・・・。
「お、おい、エンジュ!?」
 急に遠くなったレオナード様の声に首を傾げつつ、私は意識を失っていった。



「・・・ん?」
 目が覚めると、そこには見知った部屋の天井があった。
「おお、目が覚めたか」
「タンタン・・・? あれ、私、どうしてここにいるんだっけ?」
 さっきまでレオナード様と一緒にいたはずなのに。答えを見出せず困惑している私に、タンタンがちょっと呆れたように私の額に手を当てた。
「おヌシは熱がでて寝込んでおったのじゃよ」
「熱?」
 何かどこかで聞いたことあるような話だな・・・。
「あっ! そうだ、私レオナード様と一緒にいたはずなのに」
「うむ。あやつが運んできて、医者を手配してのう。しばらく看病しておったが、あやつにも執務があるからと、ワシが帰したのじゃよ。あのままじゃったらいつまでもおヌシの傍を離れなかったじゃろうからな」
「うわあ・・・」
 寝ている間にずいぶんと迷惑をかけてしまったようだ。後でちゃんと御礼に行かないと。
「あんまり心配させるんじゃないぞ。さ、朝まではもう少しあるから、さっさと寝るんじゃ」
「う、うん。タンタンもありがとうね」
「何の、こんなの迷惑のうちにも入らぬよ」
 タンタンがおでこのタオルをかえてくれた。冷たくてとても気持ち良い。
「じゃあ、おやすみ」
「うむ。おやすみ」
 もう一度寝ようと目を閉じると、レオナード様の顔が浮かんだ。
 どうして私も気がつかなかったのに、熱があるってお分かりになったのだろう。これも守護聖の力なのかな? とにかく熱が下がったら、一番にお礼とお詫びに行こう。
 そんなことを考えたらいつの間にか夢の中に落ちていた。



「おはようございます!」
 すっかり熱も下がって元気になった私は、朝一番でレオナード様の執務室を訪れた。部屋の主は珍しく執務用の机の上に置かれた書類とにらみ合っていた。私が入っていくと、あのふてぶてしいとさえ思える笑みを浮かべて迎えてくださった。
「おう、もういいのかよ」
「はい。それより、いっぱいご迷惑をお掛けしてしまったようで・・・どうもお世話になりました」
「ま、目上の者の意見はちゃんと聞くもんだって、良く分かっただろ」
「それなんですけど・・・」
 私はずっと疑問に思っていたことをぶつけてみた。
「どうしてレオナード様は私に熱があるって分かったんですか?」
「はあ?」
 本人さえ気付かぬ病気を見抜いてしまう能力があるとか? そんなことを想像していた私だが、レオナード様は逆に不思議そうな顔をして私を見返した。
「どうしてって、そりゃお前。毎日顔合わせてんだ。分かるだろ」
「だって私は全然気がつかなかったんですよ」
「そりゃお前がよっぽど鈍感なんだろうよ」
 ・・・そうかもしれないけど、はっきり言われるとちょっと腹が立つ。
「まあ何だ。元気になったのならそれでいいが、今日はゆっくり休んでけ」
 そう言うとレオナード様は奥の間へ案内してくださった。
 私のこと、気遣ってくださっているのよね、これは。
 ふとした瞬間に触れる優しさが、とても心地良かった。
「レオナード様が熱を出したときには私が看病しますからね」
「おう。そんときゃ頼むわ」
 いつもと変わらないやり取りがこんなに嬉しいなんて。
 湧き上がる幸せを噛み締めながら、私はレオナード様の後に続いた。


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