あたらしい世界
最近、紗依はふと不安に駆られることがある。
それは、はじめは米粒ほどの黒い疑惑だった。
だが紗依の意識とは関係なく、それは見る見る間に膨らんでいき、とうとう彼女の胸いっぱいを占領するに至ってしまった。
「ふう・・・」
本日何度目かのため息をつきつつ、紗依は今一番の悩みを口にした。
「心さんが好きになったのは、本当に私だったのかな」
いくら女心に疎い心ノ介であっても、最近の紗依の不自然さには気がついていた。
「紗依?」
二人きりでいるときも、紗依の顔は暗いままだ。
今日も、名前を呼ばれて、ようやく顔を上げた。
「すいません。ぼーっとしちゃって・・・」
「どうかしたのか? 何かうかねえ顔してるけど」
「いえ、なんでもないんです」
なんでもないわけがない。
明らかに何か事情がありそうなのに、それを一言も口にしない紗依がもどかしくて、心ノ介は今日こそはっきりと問うた。
「・・・俺が嫌いになったのか?」
「えっ!?」
はっとして紗依が思い切り否定する。
「そんなこと、あるはずありません!」
「だったらどうしてお前は暗い顔をしているんだ? 何かいえない事情でもあるのか?」
「それは・・・」
だんだんと紗依の視線が下がっていく。
心ノ介はそんな彼女の顔を無理やり上げさせた。
「言いてえことがあるならはっきり言ってくれ。そうじゃなきゃ、気になって仕方ねえからな」
「心さん・・・」
いつまでも隠しておくことはできない、隠しておいては彼が不安になるだけだ。
紗依は意を決して、その言葉を口にした。
「心さんは、後悔していませんか。未来に来てしまったこと・・・」
「はあ?」
「心さんが好きになったのは私じゃなくて、初姫さんだったんじゃないですか? それなのに、こちらへきてしまって・・・本当の私を見て、がっかりしませんでしたか?」
返事を聞くのが怖くて、今まで黙っていたことを思い切って吐き出したものの、やはり心ノ介の反応が怖くて仕方ない。
顔を背けた紗依が胸のうちを明かすのを、心ノ介はじっと黙って聞いていた。紗依は怖くてその顔が見られなかった。
「・・・ずっと、そんなこと考えていたのか?」
そう言う彼の声は、いつもより数段低かった。
びくりと紗依が身を震わせる。
どうしよう、このまま嫌われてしまったら・・・。
ぎゅっと目をつぶりながら、紗依は新たな不安の前になすすべを失っていた。
「馬鹿野郎!」
いつになく怒気のこもった一言に、もはや紗依は止めを刺された気がした。
もう駄目・・・。やっぱり心さんに嫌われてしまった・・・。
呆然とする紗依を、しかし、心ノ介は思い切り抱きしめた。
「! 心さん・・・?」
「俺をみくびってんじゃねえよ」
とても近くで心ノ介の声が聞こえた。怒りを抑えたような低い声。
「俺が好きなのはお前だ、紗依。姿かたちなんて関係ねえ。初姫も関係ない。俺はお前が好きなんだ」
「心さん・・・」
「お前は違うのかよ」
「ううん、違わない・・・」
紗依は心ノ介の胸の中で首を振る。
「私も、心さんが好きです」
やっと自分から顔が上げられた。
紗依の言葉に答えるように、心ノ介は彼女に口付けた。
少し乱暴で、でもやさしい。
お互いの唇が離れるのにあわせて、紗依はそっと目を開けた。
「すいませんでした。私、どうしても不安が消せなくて・・・」
「うん? あ、ああ、まあ、もう気にしてないから、お前も忘れちまいな」
「はい、ありがとうございます」
ようやく紗依の顔に笑みが戻った。
それがとても久しぶりのような気がして、心ノ介は思わず目をそらした。
照れているのを隠すように、何か考え付く前に口が勝手に開いていた。
「ま、まあ、確かにお姫さんは見た目可愛かったし、長い髪がこう、さらーっと風になびくのに、思わず見とれたりしたし・・・」
「・・・ふうん、そんな風に思っていたんですか」
「あ、いや、ほら、これは一般的な意見というか・・・世界中の男子諸君の言いたいことを代弁しているだけであって」
「・・・・・・」
「あ、あの。さ、紗依・・・さん?」
いつの間にか立場が逆転している。
ようやく心ノ介は自分が余計なことを言ってしまったことに気がついた。
何とか機嫌をとろうと、あたふたしている心ノ介をみた紗依は、思わず吹き出した。
「うふふ。冗談です。怒ってなんていません」
「はあ〜、良かった」
明らかにほっと胸をなでおろす様子の心ノ介に、またも笑みがこぼれる。
いつでも素直で、正直で、まっすぐな、私の大切な人・・・。
紗依はそっと腕を心ノ介の広い背中に回す。
「嬉しい、こうしてそばにいられることが・・・」
「絶対放さないって、約束しただろ」
「はい」
紗依は腕に力を込めて、はっきり言い切った。
「私も、放したくない」
そうして、今度は紗依から唇を重ねた。