Happy






「んっ」
 研究が一段落ついて、レインは大きく伸びをした。
 急に筋肉を引き伸ばされて体は悲鳴を上げたが、こわばっていた体がほぐれていく痛みは嫌ではない。
 数度首を回して、広げていた論文集を机の脇に積み上げる。
 満足な結果が得られてレインは気分が良かった。
 ――――これも、あいつのおかげかな。
 脳裏に愛しい少女の顔が浮かんで、レインの口元は自然とほころんでいく。
「明日は陽だまり邸のみんなで、レインのお誕生パーティを開こうと思うの」
 だから、それまでに研究は一区切り付けておいてね、という彼女の言葉に、素直に従った結果がこれだ。
 我ながら単純だと思ったが、向こうは、一度研究にのめりこむと寝食も忘れて何日でも部屋にこもりっきりになるのを防ごうとしたのだろう。
 パーティの主役が誕生日も忘れて部屋にこもってしまったら、せっかくの催し物が台無しになってしまう。
 アンジェリークのお願いだったら絶対に忘れることはないと思うのだが、まだまだ彼女の信頼を得るには努力が必要のようだ。
「ふう・・・・・・さて、そろそろ休むか」
 簡単なストレッチをして、レインは席を立った。
 どれくらい研究に没頭していたのだろうか。
 思い出したように眠気が襲ってきた。
「せっかくのパーティで、目の下にクマができていた、なんて、格好悪いからな」
 今夜はゆっくり休めそうだ。
 アンジェリークが自分のために誕生日を祝ってくれる。
 それを思うだけで心が弾んできた。
「ふあ・・・・・・・・・え?」
 大きなあくびをして、寝室へと向かう途中のレインは、一瞬自分の目を疑った。
 いやいや、まさか、そんなことがあるはずない。
 いくら彼女のことを考えていたからといって、こんなことは。
 頭を振って、もう一度もう一度目を開けて・・・。
「ええっ!?」
 改めて驚いた。
 自分の見たものは錯覚などではなかった。
 入り口近くで、いすにちょこんと座って寝息を立てている人物・・・。
 レインは思わずその少女の名を口にした。
「アンジェ!?」
 何故アンジェリークが自分の部屋にいるのか。
 そもそも、いつからそこにいたのかさえ分からない。
 おそらくノックをして声を掛けてくれたのだろうが、研究に集中しすぎて気づかなかった。
 これでは彼女に念押しされても仕方ない。
「う・・・ん・・・? レイン・・・?」
 レインの声に誘われるように、アンジェリークがゆっくりと目を開ける。
 自分が寝ていたということが認識できないのだろう。
 ぼんやりと周囲を見回したあと、驚き顔のレインと目があって、やっと我に返った。
「レイン!? あれ、私、いつの間に・・・」
「それはこっちのセリフだ。驚いた・・・」
 レインはいすを引っ張ってきて、アンジェリークの隣に座った。
「悪い。全然気がつかなくて。いつからそこにいたんだ?」
 ようやく冷静さを取り戻しつつあるレインは、じっと彼女の緑色の目を覗き込む。
 いつ見ても鮮やかな緑は、これから来るべき穏やかな春を連想させた。
「ごめんなさい。日付が変わったくらいからかしら。声を掛けたのだけれど、集中しているみたいだったから、勝手に待たせてもらってしまって・・・」
「いや、気がつかなかったほうが悪い。何かあったのか?」
 レインは時計を見て驚いた。
 居眠りしてしまって当然だ。
 日付が変わってずいぶん時間が経っている。
 その間ずっと彼女は待っていてくれたということか。
 真夜中訪ねてくるだけでも普段ないことなのに、さらにこんなに待っていてくれるなんて、何か自分にしか言えない相談事でもあるのかもしれない。
「待たせてしまったお詫びに、オレに出来ることがあるなら何でも言ってくれ」
 レインは至って真面目にそう言ったのだが、アンジェリークは少し頬を赤く染めて、微笑みながら首を振った。
「違うの・・・その、これ・・・」
「え?」
 そっと差し出されたそれに、レインは目を見開いた。
 綺麗にラッピングされた小さな箱を、アンジェリークはレインの手の上に載せる。
「これは・・・」
「誕生日プレゼント」
「え?」
 レインはしげしげと手渡されたものを見つめる。
 それは確かに、プレゼント以外のものには見えない。
 が、プレゼントとアンジェリークがずっと待っていてくれた状況が、上手く頭の中で結びつかないのだ。
 黙りこんでしまったレインに、アンジェリークは言い訳するようにぽつぽと付け足す。
「だって、日付が変わって一番に、レインにおめでとうを言いたかったの」
「アンジェ・・・」
 それでレインが気がつくまで待っていたというのか。
 プレゼントなら、朝目が覚めてから渡しても、何の問題もないというのに。
 ようやくレインの胸に歓喜がこみ上げてきた。
 と同時に、これ以上ないほど、アンジェリークが愛しいと思う。
「・・・サンキュ」
 その思いをどう言葉にしたら良いかわからなくて、ありきたりなお礼を述べると、それでもアンジェリークは満足そうににっこり笑ってくれた。
「ううん、どういたしまして。お誕生日おめでとう、レイン。あなたが生まれてきてくれて、本当に良かった」
 何を大げさな、といつもなら思うところだろう。
 だが今日は素直にその言葉にうなずいた。
「オレも。お前と同じ時代に生きていて、お前と出会って、こうして誕生日を祝ってもらえて、本当に幸せだ」
「レイン!?」
 レインはそう言うと、受け取ったプレゼントごとアンジェリークを抱きしめた。






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