春が来て




 皇后の肩書きを捨てて、宮廷御用達職人の肩書きを選んだのは、昊の歴史を紐解いてもお前のほかに誰もおるまい、と言ったのは泰斗だ。


 私は織り上げた布を納めに、宮廷を訪れていた。
 後宮暮らしは長いものの、宮廷は未だに迷う。
 今回も美蘭の部屋が分からずうろうろしていたところに、たまたま泰斗が通りかかったのだ。


「泰斗、良かった。美蘭の部屋へ行きたいのだけれど」


 辺りを見回している私を見て、おおよそ察しはついていたのか、泰斗は呆れたように首を振った。


「全く、私を道案内に使うのはお前くらいだ」

「とか言って、ちゃんと案内してあげるのですね。泰斗は」


 隣にいた劉瑯さんが、くすくすと袖もとで口を隠しながら笑う。
 昊の統治に忙しくなった二人だけれど、私が後宮にいたときとからわない態度だ。
 劉瑯さんの言葉に、何故か泰斗は無駄に胸を張った。


「当たり前だろう。こいつが後宮を去ってからは、会う機会も減ったからな。いつでも会いに来いと言っているのに、こいつはちっとも宮廷には来ない。私は非常に悲しい」

「布を納めになら、いつでも来てるわよ?」

「莫迦か、私に会いに来ないのでは意味がないではないか」


 泰斗はどこまで本気なんだか、ため息をついた。
 相変わらずみたい。


「まあ、泰斗には会わなくても、私の部屋にはいつでもいらして良いのですよ?」

「それは絶対に私が許さん! 勅命だ!」


 劉瑯さんも相変わらず。


 皇帝陛下とその側近。
 今や民からの支持を一身に集める話題の二人は、しかし、私の前では、おおよそその威光の欠片も見せないのは、どうしたことなんだろう。


 気さくな人柄、というのとはちょっと違う気がするんだけれど。


「まあ良い。美蘭の部屋だったな。私が案内してやろう」


 泰斗はさり気なく私が持っていた布を持つと、私の少し前を歩きだす。
 劉瑯さんもその後に続く。


 以前からそう思っていたが、宮廷の中は分かりづらい。
 どうしても同じ光景が続いているとしか思えないのだ。


 二人の後に続こうとした私だったが。


「・・・? あれ、この方向って・・・」

「ん? どうした?」


 不思議そうに私を見る泰斗と劉瑯さん。
 そんな顔されると、凄く自信がないんだけれど。
 思い切って、疑問を口にした。


「ねえ、こっちは皇族の部屋があるんじゃないの?」

「え?」


 あれ、違ったかな。
 以前、同じように宮廷で迷子になったことがあった。
 そのときは、たまたま通りかかった呂雄に案内してもらったのだけれど。
 そのとき私が進もうとしていた方角が、二人の今進もうとしている道のような気がするのだ。


「この先へ行ったら、不敬罪で捕まるぞ」


 と言った呂雄の言葉が印象的で、奇跡的に覚えていたのかもしれない。


「・・・何だ、知っていたのか。劉瑯、愛麗は極度の方向音痴じゃなかったのか」

「これは、私も驚きました」


 悪びれた様子もない、皇帝と貴族。
 ということは。


「二人して、堂々と人の嫁を誘拐しようとしたんだな」


 タイミング良く声が聞こえて、私達は揃って振り返った。


「ったく、本当に油断も隙もないな」


 呆れたような、怒ったような表情をした呂雄は、大股で私達に歩み寄ると、私と泰斗たちの間に割り込んだ。


「何だ、呂雄。もう新兵の訓練は終わったのか」

「この莫迦皇帝! 嫌な予感がして来てみれば、何をしているんだ」

「何って、別に私はこいつを女官のもとへ連れていってやろうとしていただけだが」

「どこの世界に皇帝の寝室で品物を受け取る女官がいるんだ!」


 しれっと言いのける泰斗に、呂雄は怒りを通り越して盛大なため息をついた。


「だいたい、お前もお前だ。いい加減、女官の部屋への生き方くらい覚えろ」

「そりゃ、覚えたいとは思っているけど」


 それができたら苦労はしない。
 言葉にはしなかったけど、呂雄には分かったようだ。


「はあ、分かった。じゃあ、今度から門まで迎えに来てもらえ。そうじゃなければこいつら二人以外の役人に道を訊け」

「全く、心の狭い男だな、呂雄は」

「白昼堂々自分の寝所に人の嫁連れ込もうとした莫迦に、そんなこと言われたくはない!」


 呂雄は本気で怒っているものの、泰斗や劉瑯さんが呂雄をからかっているのは明白で。
 すっかり呂雄は可愛くなってしまったなあと思う。


「・・・何、ニヤついているんだ、お前は」

「え? に、ニヤついてなんかないよ!?」


 じっとり疑い深い目が私を見ている。
 慌てて私は手を振って潔白をアピールした。


「そ、それよりも、呂雄。凄い汗だよ?」

「え、あ、まあ。新兵の訓練を洪惇殿に任せて、抜けだして走ってきたからな」

「ちょっと待って」


 私は持っていた手拭いで、呂雄の額の汗を拭いた。


「ちゃんと汗を拭かないと、風邪ひいちゃうでしょ」

「あ、ああ・・・。ありがとう」


 私に汗をふかれることなんて今までなかったから、呂雄はほんのりと顔を赤らめた。


「う・・・その顔はずるいよ」


 つられて私も赤面してしまう。
 黙り込んでしまった私達の脇で、不満そうな声が上がった。


「劉瑯、何故だろう。私は今猛烈に、呂雄を辺境警備に推薦したいんだが」

「心境はよく分かりますよ、泰斗。ですがそんなことをしたら、彼女は呂雄についていってしまいますよ?」

「ふむ、では仕方ない。宮廷の掃除でも任せるか」

「それは良い考えですね。少しでも埃が残れば、最初からやり直しででね」


 声を押し殺して、くつくつと黒い笑みを浮かべる二人。
 冗談なのか本気なのか・・・結構本気っぽいのは気のせいだよね。
 照れ隠しなのか、呂雄は二人に「真面目に働け!」と言って、まるで野良犬を追い払うときのように手を振る。


「ほら、さっさと行くぞ!」


 泰斗が持っていた布をひったくるように奪うと、呂雄はさっさと歩いていってしまう。


「ま、待ってよ! ええと、じゃあね、泰斗、劉瑯さん」


 私は慌てて二人に頭を下げて、呂雄の後を追った。


「今度、宮廷内でいちゃついた者(男の方)は、国外追放にする旨の法律を作ってみたらどうだろうか」

「ふふ、そうしたら彼が取り締まり第一号でしょうね」

「なかなか良い法律だな」


 多分、わざと呂雄に聞こえるように言っているんだろうな・・・。
 毎日毎日こんな感じでは呂雄も大変だ。
 帰ってきて家にいるときは、もっともっと癒してあげなきゃと思った。


 と、急に呂雄が立ち止まった。
 そして。


「・・・ほら」

「え?」


 突然差し出された呂雄の手。
 目を丸くする私に、呂雄はにっと笑った。


「今はあんな莫迦げた法律はないからな。盛大にいちゃついて見せつけてやる」


 私が差しだすより先に、呂雄の大きな手が私の手を包み込む。
 精一杯の呂雄の反撃だろう。


 ふと気になって振り返ると、泰斗も劉瑯さんも、穏やかな笑顔で私達を見つめてくれていた。
 本当に、私達は幸せ者だ。


「ねえ、いっそ腕組んで歩こうか?」


 その言葉に、呂雄は予想以上に真っ赤になってしまい。
 わけもなく殴られた。
 いや、わけはあるんだけれど。
 呂雄にとって私の発言は、完全に不意打ちだったみたい。


「な、何よ。殴ることないでしょ!」

「うるさい黙れ。お前がおかしなこと言うから悪いんだろ!」

「別におかしくないじゃない。肩組んで歩こうと言っているわけじゃないんだから」

「お前・・・!」


 呂雄が顔を赤くするから、私だってつられてしまう。
 本当に、どうしようもない。
 それでも、掴んだ手は離されることはなく。
 見せつけるわけじゃないけれど、私達は手をつないだまま、宮廷を一緒に歩いた。


 ――――後日、物凄く美蘭と天巽様に事情を聞き出されるのだけれど。
 そのときの私には、ただ呂雄の手の温かさしか、感じられなかった。
 






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