居眠り





 うーん・・・。
 えーと・・・。
 私は学校の屋上で遠くの景色を見ながら、動くに動けない状況にあった。
 原因は、肩にのしかかる重み。
「すう・・・」
 耳元に届くは、規則正しい寝息。
 目の端に映るは、愛しい人の寝顔。
「祐一先輩・・・」
 私は隣で私にもたれかかって寝ている人の名を呼んでみた。
 ・・・・・・返事はない。
 ううっ、首筋にかかる先輩の髪の毛がくすぐったい。
 でも、動けば先輩を起こしてしまう。
 健やかに眠る、類まれなほど整った顔が、今はちょっと恨めしい。
 そんなわけで私は先輩に肩を貸しているのだ。
 早めに終わった授業のおかげで、いつもより早く屋上へ来たら、すでに先輩がいた。
 入り口横の壁にもたれかかっていたので、どこか具合でも悪いのかと先輩の顔を覗き込んだら・・・今の状況にいたったのだ。
 ふう、と自然とため息が出た。
 ここから見える景色は変わらない。
 いつも綺麗。のどかな村の様子が一望できた。
 山々が鮮やかに彩られているのを、私は何とはなしに見つめていた。
 ・・・全部、終わったんだよね。
 ここにいると、そんな気がしてしまう。
 前とあまりにも変わらず、村も学校もあるから。
 でも、これらがどんなに険しい道のりの果てにあるものか、私はいやと言うほど知っている。
 全てがうまく収まって、今またこうして私たちは学校に通っている。
 私は正式にこの村に住むことになった。
 両親を説得して、おばあちゃんのうちに引っ越したのだ。
 特にお母さんは心配したけれど、もう封印に縛られることがなくなったと説明すると、心から喜んで送り出してくれた。
 今度、遊びに来るらしい。
 珠紀の良い人も紹介してね、なんて言っていたけど・・・どうして知っているんだろう。
 まあ、いいや。
「・・・こういう時間を、幸せって言うのかなぁ」
 好きな人が隣にいる。
 もう誰も、彼を傷つけるものはいない。
 お互いの気持ちは通じ合って、こうしてそばにいられる。
 ・・・怒られてしまうかもしれないけれど、世界を救ったこと以上に、このことが嬉しい。
 ふふ、と笑いが思わずこぼれた。
「ずっとずっと、一緒にいたいですね」
 独り言のつもりで言ったつもりだった。
 ――――なのに。
「俺も、そう思う」
「え?」
 予想していなかった返答に、私は声の主を見た。
 ゆっくり身を起こした祐一先輩は、ほのかに微笑んでいる。
「お、起きていたんですか!? いつから?」
「ついさっきだ」
「ど、どうして黙っていたんですか」
「おまえの肩が、ちょうど良かったから」
 相変わらずマイペースというか。
 がっくり肩を落とした私を、先輩は抱き寄せた。
「!」
 何だか良い匂いがする。
 見た目は細身なのに、私を抱きしめる先輩の腕の力は意外と強い。
 制服越しに聞こえる先輩の鼓動は規則正しく、なぜかとても安心できる。
「こうしておまえの隣にいてよく分かる」
 いつもと変わらぬ穏やかな口調で、祐一先輩はぽつぽつと語る。
「俺の望みは、すべておまえに重なるのだと。それがかなった今は、自分でも驚くほど満ち足りている」
「先輩・・・」
「俺は、おまえを守り通せたことを、誇りに思う」
 それは、私が玉依姫であなたが守護者だから?
 ふと浮かんだ不安を読み取った先輩は、私を安心させるようにぎゅっと腕の力を強めた。
「いつの間にかもう、おまえしか見えなくなっていたんだ、珠紀」
 とても静かな一言だったのに、その言葉は私の胸深くに重く沈んでいく。
 珠紀。
 そう呼ばれたことが、全ての不安を打ち砕いた。
 この人はもう、私を玉依姫とは言わない。
 宿命とか関係なく、私を選んでくれたんだ。
 私は知らずに先輩の制服をぎゅっとつかんでいた。
「夢みたい・・・本当に何もかもうまくいくなんて」
 一時は自分の命を捧げるつもりでいた。
 そのために、みんなに生かされていたと思ったから。
 みんながこんな役立たずを命がけで守っているのは、いざというときこの命が封印に必要だからだったのだ。
 そう思って、静かに自分の運命を受け入れた。
 ――――それを留まらせたのは祐一先輩だ。
「感謝してます」
「ん? 何か言ったか?」
「あ、いえ、何にも」
 あまりにも小さな呟きは、先輩に届かなかった。
 ほっとしたような、残念なような複雑な気分。
 でも、それで良かった。
 私は届かないと知りつつ同じ声量で一言付け加えた。
「――――愛しています」
「ああ、俺もだ」
「え?」
 聞こえないはずなのに。
 どうして先輩は返事を?
 赤く染まった顔を上げた私に、祐一先輩は底知れぬ微笑を浮かべた。
 ・・・卑怯だ。
 綺麗な顔立ちはそれだけで全ての言葉を奪ってしまう。
 そこに満面の笑みが浮かんでいれば、その効果は絶大だ。
 今だっていっぱい言いたいことがあったのに。
 ――――結局私は、重ねられた唇の感触に、ただただ赤面することしかできなかった。




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