いつまでも・・・
「ここが・・・心さんのアパートですか?」
軽量コンクリート造りの小さなアパートを見上げながら、紗依は感心したようにそう呟いた。
「でも、よくアパートなんて借りられましたね。どうやったんですか?」
つい十日ほど前までは江戸時代の人間であった心ノ介。
こちらに戸籍などあるはずもなく、ついでにお金も持っているはずもなく、それでどうやって十日過ごしてきたのだろうと今更ながら疑問に思った紗依は、隣に立つ心ノ介を仰ぎ見た。
「え? 何か、若者数人に取り囲まれてカツアゲされそうになっていたおっさんを通りすがりに助けたら、そのおっさんがえらく感激して。んで、住むとこも食べるものもねえっていったら、色々世話やいてくれたんだよ」
「へえ。親切なおっさんでよかったですね」
「おうよ。でなかったら今頃、紗依に会う前に行き倒れていたかも知れねえな」
どこの誰かは知らないが、紗依は心の中でそのおっさんに感謝した。
逃亡劇の途中二人で登った木の上で、虐める奴は許さないと言っていた心ノ介を思い出し、ひっそり微笑む。
時代は違っても、彼は彼なのだと思うと改めて嬉しかった。
つないだままの手が、互いに熱を持っていて熱い。
初デートに新宿スエヒロ亭に行って、ついでに寄生虫博物館にも足を延ばした。
あの時、信正に言ったことは実現したのだ。
その流れで、心ノ介の現在の暮らしを心配した紗依は、こうして彼のアパートにやってきたのだった。
「へえ・・・」
部屋に通された紗依は、思わずそんな声を漏らした。
必要最低限のものしかない部屋には、あまり生活感がなかった。
ワンルームだというのに、自分の部屋よりずいぶん広く感じられる。
「何か困ったことないですか? あ、ご飯作っていきましょうか」
ひとしきり感心したところで、紗依は背後の心ノ介のほうへ体を向けようとした。
が。
「え・・・?」
その前に後ろから抱きしめられた。
首筋に心ノ介の唇が当たって、ぞくりとする。
「ど・・・どうしたんですか・・・?」
ややかすれ気味の声でそう問うと、心ノ介は顔を上げて紗依の耳元でささやいた。
「・・・例のおっさんが言っていた」
「え?」
「部屋に連れ込む女は惚れた奴だけにしろ。その代わり、一度連れ込んだらただで返してはいけない――――」
「なっ」
なんということを教え込んだのだろう、そのおっさんは。
驚いて首だけ振り返り否定しようとした紗依のあごを、心ノ介がそっととらえる。
「あ・・・」
そのまま唇を重ねた。
不自然な体勢であるのに、それを苦とも思わなかった。
散々公衆の面前でしたのに、まだ足りない。
「紗依・・・」
名を呼ばれただけなのに、それは不思議な力をもって紗依の心を大きく震わせる。
そのたびに心が解けていくようにさえ感じられた。
「んっ・・・心さん・・・」
紗依は体を反転させると、心ノ介の背中に腕を回した。
がっちりとした上半身。
そういえば、裸を見てしまったこともあったんだっけ、とその光景がふと頭に浮かんで、一人さらに紅潮する。
はじめは触れるだけで十分だったキスも、だんだん長く、深いものになっていく。
全部がはじめての紗依には、戸惑うことしかできない。
だが、彼女いない歴が年齢と一緒である心ノ介は、信じられないほど積極的に彼女を求めてくる。
これが、緊張して女の子とろくに話もできなかった彼だろうか、と疑いたくなるほどだ。
そっと、優しく心ノ介の舌が紗依の唇に触れたとき、思わず紗依は身を硬くした。
その先にいっても良いか、無言の問いが投げかけられる。
――――心さん・・・。
どう答えて良いか分からず、紗依は小さくうなずいて心ノ介のシャツをきゅっと握り締めた。
それが答えだった。
ゆっくりと、生暖かい異物が紗依の口内に入ってくる。
「!」
その瞬間、思わず引きかけた彼女の身を、しかし心ノ介は逃さなかった。
「ん・・・・・・じ、・・・心、さ・・・」
心ノ介の名前を呼ぼうとしたのにうまくいかなかった。
入ってきたものにどう対応して良いか悩んだ挙句、少しだけ自分のそれを重ねた。
ようやく二人の顔が離れたとき、紗依は心配そうに心ノ介を見た。
もしかして、うまくできなくて、嫌な思いさせちゃったかも・・・。
そんな不安を抱いていたのだが、すぐにそれは砕け散った。
「くうぅっ、これが夢にまで見たデープなチッス!」
「・・・はい?」
すでにいつもの調子に戻っていた心ノ介は、何度もガッツポーズをして、感動をかみ締めている。
その姿に、一人混乱していた自分が、急におかしくなってきた。
「心さん、彼女いなかったって嘘でしょう」
「へ? 何でだよ」
「だって、さっきのキス、はじめてとは思えなかったから・・・」
笑い話のように軽い気持ちで言った言葉だったのだが、意外なほど心ノ介は強く首を振った。
「んなこたねーよ。お前がはじめてだ」
「そ・・・そうなんですか」
彼の勢いに圧されて思わず素直にうなずいてしまう紗依。
なぜか急に顔が熱くなってきた。
そんな彼女を、心ノ介はぎゅっと抱きしめた。
「・・・いきなり、朝までとはいわねーよ」
「え?」
「だから、せめて暗くなるまでは一緒にいてくれ」
珍しくまじめな低い声でそういう。
それがあまりにも嬉しくて、紗依は大きくうなずいていた。
「はい! じゃあ、一緒に夜ご飯の買い物に行きましょう!」
にっこり笑った彼女に、心ノ介はこの先の未来が明るく輝いているように思えた。