いつもの
「レイン? どうしたの、怖い顔をして・・・」
夜が更けて自然と夜のお茶会がお開きとなり、ひだまり邸の面々が各自の部屋に戻る中。
レインだけはソファに根が生えたように、ぴくりとも動かなかった。
ティーセットを片付けてサルーンに戻ってきたアンジェリークがいぶかしんで声をかけると、レインははっとしたように顔を上げた。
「あ、それ・・・」
彼の手にあったものを見て、アンジェリークはさっと顔を赤く染めた。
それは、昼間ロシュと一緒にウォードンを歩いたときの写真だった。
どういうつもりか送りつけてきた――――そもそも、どういうつもりで撮影したのかもわからないが――――写真の数々が、レインの前に並べられている。
「は、恥ずかしいわ、こんな・・・」
変装していたとはいえ、いつもと違う自分を見られるのは何だか変な気分になる。
何か悪いことをしたわけではないのに、居心地の悪さを感じた。
きっと、レインの表情が険しいのも、そんな気分に拍車をかけているのだろう。
「もう、写真は片付けるわね」
「ああ・・・」
うなずいたレインはためらうように口を開きかけ、言葉を飲み込む、という動作を何度も繰り返した。
何か言いたそうだが、それを言葉にしようか悩んでいるようだ。
「レイン? どうかしたの?」
「あ・・・いや・・・」
何でもないと言うには、レインの目は動揺を表している。
じっと見つめるアンジェリークの視線に戸惑いの色を浮かべたレインだったが、一息吸うと、意を決して胸の中にある疑問を彼女にぶつけた。
「なあ、お前はこういう格好が好きなのか?」
「え?」
アンジェリークはレインの指差す先にある自分の写真を見た。
ロシュの見立てた動きやすい服装に、赤い縁の伊達眼鏡。
髪型もいつもと違う結い方をしている。
「ええと、これは私の好みじゃなくて、ロシュが選んだのよ」
「いつもと雰囲気が全然違うな」
アンジェリークの返事を聞いているのかいないのか、判断のつきにくい返事を、レインはした。
「何だか、別人みたいだ・・・」
「そんなことないわ!」
ポツリとこぼしたレインの一言に、アンジェリークは自分でも驚くほど大きな声で反論していた。
驚いて目を見開いたレインの顔を見て、我に返る。
「ご、ごめんなさい」
「・・・・・・」
自分のしたことが恥ずかしくなったアンジェリークは、顔を真っ赤にしながら自分の写っている写真をかき集めた。
だいたい、どうしてこんな写真を撮られなければならないのか。
ロシュは写真を撮ることが仕事のようだから仕方ないといえばそうなのかもしれないが、知らないところで撮られるというのは、あまりいい気はしない。
もしかして、いつも見張られているのだろうか。
「アンジェリーク?」
「!」
気がつくと、アンジェリークは集めた写真を握り締めていた。
「あ・・・ご、ごめんなさい・・・」
「どうしたんだ? 顔色が良くない。何かあったのか?」
心配そうに顔を覗き込んでくるレインから、顔を背ける。
何故か、そうしなければいたたまれなかった。
まともに彼の顔が見られない。
「アンジェリーク・・・」
レインの視線がずっとこちらに向けられているのは分かっていた。
だが、顔が上げられない。
「ごめんなさい」
口からは何度も謝罪の言葉が出てくる。
何を謝っているのだろう。
自分でも分からない。
ただ、謝らなければならない気がしてたまらなかった。
「・・・・・・」
がたん、とレインが立ち上がる音が聞こえた。
奇怪な言動のアンジェリークに呆れて、部屋へ帰ろうとしているのだろうか。
何か言わなければ。
「あのっ・・・」
勢いに任せて顔を上げる。
「!」
レインの後姿を想定していたアンジェリークの目の前には、予想に反して彼の顔があった。
「あっ・・・」
レインは何も言わずに彼女の手から写真をとる。
ぐしゃりと潰れてしまったそれを、改めて穴が開くのではないかと思うほどまじまじと眺めてから、実物のアンジェリークに視線を戻した。
「やっぱり、これとは違うな」
「!」
レインはさまざまにしわがついている写真をテーブルの上に落とした。
あれだけ凝視していたのに、もう写真には一切の興味を失っているようだ。
手から落とした後のことには全く関心を向けず、ただアンジェリークの緑色の目を見ている。
深い知性をたたえた表情のまま、レインは静かに口を開く。
「オレは、今のお前のほうが、お前らしいと思う」
そう言って、ぽんとアンジェリークの頭に手を置いた。
そんなに長く触れられたわけではないのに、瞬時に触れられた箇所が熱を持った。
「じゃあ、オレも部屋に戻るぜ」
レインは言いたいことだけ言うと、手を上げてアンジェリークに背を向けた。
「あの、レイン・・・!」
自分でそうしようと思う前に、気がつくと、アンジェリークはレインを呼び止めていた。
「何だ?」
「あ・・・あのね・・・」
何かを言おうとして呼び止めたわけではない。
無意識のうちに行なった自分の行動に困惑しつつ、何か言わねばと頭に浮かんだ言葉を、心の中で吟味することなく口にした。
「私も、好きよ」
「え?」
とつぜんの告白にぎょっとして、レインは半分体をひねった格好で硬直した。
構わずアンジェリークは続ける。
「私も、この格好のほうが好きなの」
その言葉とともに、自然と笑みがこぼれた。
深く考えて出た言葉ではない。
だが、胸のつかえが取れたように、今までの暗い気分が消えていくのが分かった。
「あ・・・ああ、格好のことか」
どこかがっかりしたようなレインだったが、アンジェリークの微笑を見て、つられるように破顔した。
「・・・じゃあ、おやすみ」
「ええ。おやすみなさい」
今度こそレインは階段を上っていった。
その背中を見送りながら、アンジェリークはレインの落とした写真を拾う。
拾いながら首をかしげた。
――――どうして私は、あんなことをレインに言いたかったのかしら。
胸のもやもやが消えたときの一言を思い出しながら考えをめぐらせてみたが、答えはさっぱり見つからない。ただ。
アンジェリークのその一言を聞いた後、レインがほっとしたように微笑んでくれたのが嬉しかった。