相合傘






「あれ、雨・・・」

 ちょうど帰ろうと昇降口で靴を履き替えていると、図ったようなタイミングで大粒の雨が降りだした。
 たまたま折り畳み傘も持っていなかった私は、途方に暮れて灰色の空を仰ぐ。
 急に降りだしてきたので、きっとそんなに長くは降らないだろう。とはいえ、雨が止むまで一人ここで待っているのも何だか気が滅入ってしまう。

「困ったなぁ」

「どうした?」
 
 思わず呟いた声に、まさか返事があるとは思わなかったので、驚いて私は思いっきり身を引いた。

「ああ? 何だ、その反応は」

「す、すみません! びっくりして、つい・・・」

 私は慌てて先輩――跡部先輩に頭を下げる。
 腕を組んで私を見下ろす先輩は、言葉ほどは怒っていなかったらしく、ふんと鼻を鳴らしただけでそれ以上のお咎めはなかった。
 代わりにもう一度同じ言葉を繰り返した。

「何か困ったことがあるんだろう? 何があったんだ?」

「あっ、その…傘を忘れてしまって…」

 言いながら外を指差すと、先輩も納得してうなずいた。

「ああ、なるほど。仕方ねぇな。送っていってやる」

 先輩は隣にいた樺地君に一言、
「傘」

 と言って手を差し出した。
 さすが樺地君。
 いつのまにやら彼の手にはシックな色合いの、見るからにブランドものと分かる傘があった。
 それを受け取った先輩が、ぱっと傘を開く。

「静、家まで傘一本だから、濡れそうになったら遠慮なく俺に言え」

「えっ? 歩きですか? それじゃあ先輩が濡れてしまいます」

 てっきり車のお迎えが来るのだと思っていたが、先輩はものともせずに昇降口から一歩踏み出した。
 私がためらっていると、不機嫌さ全開で、先輩が振り返る。

「ぐずぐずするな。さっさと来い」

「えっ、は、はい!」

 私は言われるままに先輩の隣に並んだ。
 相合傘・・・だよね、これ。
 意識したとたん、急に私の鼓動が速くなる。

「おい」

「なっ、何ですか?」

 声が裏返らないよう必死に気を付けながら、先輩を仰ぐと、先輩は空いている手で私の肩を指差す。

「肩が濡れている。もっとこっちに来い」

「い、いえ、大丈夫です」

 即座に私は首を振った。
 ただでさえ近い距離に先輩がいるのだ。
 これ以上近づくなんて、とんでもない。
 が。

「大丈夫じゃねぇだろ。遠慮するな。ほら」

「!」

 先輩は有無を言わさず私の肩をつかむと、自分のほうへと引き寄せた。
 うわああ! せ、先輩のつけている香水がいつもより強く感じられる!
 心の中は完全にパニックだ。
 焦れば焦るほど、顔が熱くなっていく。

「何だ、今日はやけに静かだな。何かまたあったのか?」

 先輩はきっと、以前嫌がらせをしてきた人たちのことを言っているのだろう。
 それを心配してくれているのは、申し訳なさもあるが、単純に嬉しい。
 嬉しいけれど!

「静」

「!」

 先輩のただでさえフェロモン垂れ流しな声が、耳元で自分の名前を呼ぶ。
 わわわ!
 何? 何?
 何でそんな良い声でささやくの?

「こっちを向け」

「む、無理です!」

 こんな赤い顔、見せられないよ!
 ぶんぶんと必死になって抵抗を試みるが、そんなものを許す先輩ではない。

「はぁ? 俺様に逆らうのか?」

 先輩の怒った声が、さらに私の焦りを呼び起こす。

「ち、違います!」

「だったら、ほら」

「わっ!」

 するりと先輩の手が伸びてきて、私の顎をつかんだ。
 無理矢理上を向けさせられ、思い切り真っ赤な顔を見られてしまった。

「!」

 しかも、ご丁寧なことにばっちり目まで合ってしまった。
 私はこれ以上先輩を見ていられなくなり、ぎゅっと目をつぶる。 
 と。

――――え?

 触れた。
 唇に、何かやわらかいものが。
 目を開けると、すぐ目の前に先輩の顔があった。

「せ、せせせ先輩! い、今まさか・・・!?」

「ん? してほしかったんだろ?」

「!!!?」

 そう言うと、先輩はもう一度おまけとばかりにキスをした。
 ああ、どうしよう。
 凄く恥ずかしいのに、同じくらい嬉しい。

「ったく、してほしかったらはっきり言えよ」

「ち、違いますよ! 私はただ、赤くなった顔を見られるのが恥ずかしくて・・・」

 そこまで言ったところで、先輩が、「バーカ」と私の額をこづいた。

「先輩?」

 先輩の反応が分からなくて、疑問符を並べながら答えを求めるように先輩を見ると、なぜかにやりと笑われた。

「こっちはお前の照れた顔を見てぇんだよ」

「え? きゃっ!」

 先輩はさらりととんでもない事を言ってのけると、楽しげな様子で私を抱き締めた。







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