変わらないもの




 きっと私は、彼の敬称が「さん」から「様」に変わるくらいしか変化はないと思っていたんだ。いくら特別な存在になっても、彼は彼だし、私は私だし。あまり深くは考えていなかった。
 ――――でも。
 現実はそんなに甘くはなかったんだ。



「こんにちは、レオナード様」
 新しく用意された立派な部屋に少し気後れしながらも、私はここの主に頭を下げた。今日こそは、という並々ならぬ覚悟を持ってやってきた私に対して、彼は対照的に軽くこちらを見て返事をした。
「あっ・・・」
 部屋に入って初めて、私以外の来訪者に気がついた。
「ジュリアス様、すみません。いらしていたところ・・・」
「エンジュか。では私は行こう」
 光の守護聖の名にふさわしく威厳に満ちたジュリアス様は、わざわざこちらにいらっしゃるほどの御用があったのかもしれない。それなのにお邪魔してしまったのが、そして私の決意の不謹慎さが申し訳なくて、胸がいっぱいになった。
 そんな私の心情を知らないジュリアス様は、珍しく表情を和らげた。
「そなたの活躍、こちらの聖地まで届いている。頑張っているようだな」
「あ、いえ、そんな・・・」
 思わず私はうつむいた。こんなときに褒められたら、逆にいたたまれない気分になる。だって、私はここへ、レオナード様とお話しようとやってきたのだから。
 毎回毎回、今日こそはと思うのに、いつもお忙しい姿のレオナード様を見ていると、お話しするのが申し訳なくて、ついつい拝受をお願いしてしまうのだ。
 けれど、今日は思い切ってお話を伺おうと思っていた矢先の、ジュリアス様との遭遇。やっぱり同じ光の守護聖様同士お役目上の大切なお話があったのだろう。
それなのにお話がしたいだなんて・・・。口が裂けても言えない。
「では、失礼する」
 律儀にそういいおかれて、ジュリアス様は出て行かれた。
 部屋に残されたのは、私とレオナード様。
「で、何の用だ?」
「えっ?」
 そう問いかけてこられるレオナード様の表情が、どこかうんざりして見えるのは私の錯覚だろうか。
 お話はお願いできない、そうかといって力もたまっている。
「あっ、えっと・・・」
 しまった。良い口実が見つからない。
「な、なんでもないんです、本当に。では、失礼しました!」
「あっ、おい! こら!」
 待て、と言うレオナード様を無視して、私は走り出していた。

 はあ・・・。
 庭園を思いっきり横切っていたため、まだ息が上がっている。それでもため息は立派に出てしまった。
 ・・・やっぱり守護聖様なんだな。
 当たり前のことだけれども、そんなことを思ってしまう。
 説得しているときはそんな風に思わなかった。ただ、この宇宙や女王陛下やレイチェル様のため、守護聖様になっていただきたかっただけ。
 最初はこんな人が守護聖様なのかって疑っていたけど、いざなってみると、ああ、やっぱりって思った。
 そう思った瞬間、凄く遠い存在になってしまったんだって、やっと気がついた。変わっていないようで、全く違う存在に、私は戸惑ってばかりだ。
 レイチェル様には、休日に誰かお誘いしてみてはって言われたけれど、どなたも忙しそうで、そんな勇気はなかった。
 私には私に任された仕事があるんだから。
 誰かのお邪魔をしてはならないし、私も足を引っ張ってはいけない。
 それなのに、お話したいだなんて・・・。
「私、馬鹿みたい・・・」
「何だ、自分でよく分かってんじゃねーか」
「!」
 大きな木の陰で膝を抱えていた私は、思いがけず掛けられた声にはっとして振り返った。
 太陽の光をさえぎるように私の背後に立っていたのは、先ほど逃げ出してきたばかりのレオナード様だった。怒っていらっしゃるのだろうか。顔をしかめていらっしゃる。
 確かに、いきなり失礼なことをしてしまったのだ。怒って当然だろう。
「ご、ごめんなさい!」
 慌てて立ち上がると、私は彼が何か言うより先に謝った。
「何で謝ってんだ?」
 レオナード様は不機嫌そうな声で問い返して来られた。思わず肩をすくめながら、私は視線を下に落としたまま答える。
「お忙しいところをお邪魔してしまって・・・」
「はあ? ジュリアスと話してただけじゃねえか。どこが忙しそうなんだよ」
「だって、何かお仕事のお話をされていたんでしょう?」
「お仕事のお話だァ?」
 明らかに口調が変わった。怒られる! と身をすくめた私に、レオナード様は実に意外なことを仰った。
「なんで説教が仕事の話と間違われるんだよ」
「・・・・・・はい?」
 顔を上げた私の目に映ったのは、うんざりと頭を抱えたレオナード様だった。何がどうなっているんだろう? 首をかしげていると、彼はさらに続けた。
「あいつ、こっちの女王陛下に用があってきたくせに、わざわざ俺のところへきて、説教たれやがった。お前が来なけりゃ一日中続いてたぜ、絶対」
「せ、説教!?」
「ああ。俺のスタイルが気にいらねえんだろうよ。本っ当にうるせえ奴だな、あいつは」
 やれやれと言って首をふるレオナード様。
 私はあっけにとられた表情をしていた。
「守護聖様も怒られることがあるんですか?」
「はあ? そりゃ守護聖だって完璧じゃねえんだ。怒ることも怒られることもあるだろ」
「・・・・・・」
 あまりにも簡単に言ってのけるレオナード様は、格好こそ違えど、どこか廃れた街のバーテンをしていたときと同じだった。
「・・・ついでに、思っていたんだけどよ、お前、俺が守護聖になってから、俺を避けてねえか?」
「えっ・・・」
 その言葉に私ははっとした。
「違います。私はただ、お忙しいところを邪魔してはいけないと思って・・・」
 お手を煩わせてはいけないと思ったし、皆の期待を裏切ってはいけないと思った。
「レオナード様は立派にお役目を果たしていらっしゃるから、私も頑張らなきゃって思ったんです」
 殆どしぶしぶお受けしたというのに、やることはちゃんとやっていらっしゃる。だから・・・。
「・・・それで、毎日俺のところへ拝受を頼みに通ってきていたってわけか」
「はい・・・」
「なるほどな」
 ひとつうなずいたレオナード様は、何故かおかしそうに口元を緩めた。
「何がおかしいんですか」
「いや。何でもねえよ。だがよ、それじゃあ今日は一体何の用で来たんだ? もう力はたまっているだろうが。何か俺に言いたいことでもあったんじゃねえか?」
「うっ・・・」
 私は言葉に詰まった。
 言いたいこと。
ある。たくさんある。いっぱいお話がしたい。
 だが、それを今ここで言うのがあまりにも恥ずかしくて、私は困った顔をレオナード様に向ける。
 レオナード様はにやりと白い歯を見せた。
「つまり、俺様の格好良さにやられちまってたってわけか」
「な!? そんなこと」
 あまりのことに、ありません、という言葉が続かなかった。顔に一気に血が上った私に、レオナード様はとうとう吹き出した。
「はっはっは。お前は本当に面白いな」
「ど、どこが面白いんですか!」
 思わず私の声は大きくなった。
 やっぱりこんな人、立派な守護聖様に向いているはずないんだわ。立派に見えたのは、周りの人が彼を特別扱いするようになったからで、決して彼自身が偉くなったわけじゃない。
 そう思うと、気が楽になった。
「馬鹿なこと言わないで下さい! 誰が! 私はレオナード様がサボっていないか心配していたんです!」
「そりゃあ、大変だな」
 まるで他人事のようにそう笑ってから、レオナード様は私の頭の上に手を置いた。
「毎日見張りにこねえと俺はすぐサボるぜ」
「分かりました。では毎日伺うことにします!」
 もう売り言葉に買い言葉という感じだ。勢いに任せて私がそう言うと、意外にもレオナード様は揶揄するような笑みをおさめて、まっすぐ私を見つめた。
「今の言葉、忘れるんじゃねえゼ」
「えっ?」
 不意を突かれて目を見張っている私の手を、自分のより一回りも大きい手が掴んだ。驚く間もなくレオナード様は私の手に唇を寄せた。
「!」
 どうして良いのか分からなくて、私は凍りついた。こんなことされたのは初めてなんだから、仕方がない。男の人にこんな・・・。
 大体、むやみやたらにこんな真面目な顔をして、こんなことを平気でしてしまうレオナード様が悪いんだ。本気じゃないにきまっている。私をからかっているだけなんだ。
 で、でも、この顔はもしかしたら・・・。
 考え出すと止まらなかった。
 えっ、わ、私はどう対応すれば良いの!?
 目の前がぐるぐる回っている私を見たレオナード様の反応は、実に意外なものだった。いえ、当然と言うべきか・・・。
「あっはっは! 本当にお前って奴は愉快だな」
 容赦なく大笑いすると、ぐしゃぐしゃ私の頭を掻き回した。
「からかったんですねっ・・・」
「ははは。まァ、気を悪くすんな。これでも褒めてんだぜ」
「レオナード様が楽しんでいるだけじゃないですか」
「ま、そりゃそうか」
「やっぱり」
 肩を震わせて私はレオナード様を睨んだ。
 ひどい。私がどれだけ悩んだと思っているのかしら。
 女の人とたくさんお付き合いのあるレオナード様から見たら、私なんてまだまだ子どもでしょうけど。
 でも、だからってやって良いことと悪いことがある。人の気持ちをもてあそぶなんて最低だわ!
 私はついとレオナード様から顔を背けた。
 さすがにやりすぎたと思ったのだろう、レオナード様が頭をかくのが視界の隅っこに映った。
「おいおい。そんなむくれるこたァねえだろ」
「知りません」
「本当に毎日来いよ。それは嘘じゃねえんだから、機嫌直せや」
「えっ」
 私は顔を上げた。
 いつの間にかレオナード様は背を向けて歩き出していた。
「ちょ、ちょっと待って下さい!」
「あァ? ヤダ。お前は後から来い」
 声をかけてもこちらを振り向こうともなさらない。どういうことなのだろう。どうして彼のほうが苛々しているのか。
「どうしてですか。待って下さいってば! あれ? どうして顔をしかめていらっしゃるんですか? 何かあったんですか?」
「あー、うるせぇ。ついてくるな」
「何でですか? レオナード様ってば!」
 どこか決まりの悪そうな顔をして早足で歩いていってしまわれるレオナード様を、私は慌てて追いかけた。


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