木陰


「レイン?」

 珍しく庭に出て、木陰に座り込んでいるレインの姿を見つけたアンジェリークは、何をしているのかと不思議に思いながら声をかけた。

 今日は急ぎの依頼はない。
 陽だまり邸の住人は思い思いに過ごしていた。
 空はぬけるように青く、所々浮かんでいる雲の白との淡いコントラストがさわやかな印象を受ける。
 心地良い日の光を浴びて大きく葉を揺らしている木の下は、さぞ居心地が良いことだろう。

 アンジェリークの声に誘われて、レインは手元にある分厚い本から顔を上げた。

「ああ、お前か。どうしたんだ?」

「どうということはないのだけれど・・・レインはここで本を読んでいたの?」

 アンジェリークはレインの隣に腰を下ろした。
 ちらりと彼の読んでいた本の文面に視線を落としてみるが、びっしりと何かの図面が書かれている。
 おそらくアーティファクトについての研究書なのだろうというのは分かったが、何のことを言っているのかは全く分からない。
 それが顔に出ていたのだろう。
 アンジェリークの顔を見たレインは、ふっと表情を和らげた。

「これには、オレが発表した理論についての反論が載っているんだ」

「え?」

 驚くさまが面白かったのか、ぱたんと本を閉じながら、レインはにっこりと目を細めた。

「反論って・・・でも、レイン・・・」

「何でそんなに楽しそうにしているのか、だろ?」

 心の中を見透かされて言葉に詰まったアンジェリークに、ついにレインが吹き出した。

「別に不思議がることはないだろう? オレの理論に反対の意見を言うものだっているさ」

「でも、自分の意見を反対されるのって、嫌じゃない?」

 自分だったら嫌だとアンジェリークは思う。
 大げさかもしれないが、まるで自分を否定されるように思えてしまうからだ。
 さまざまな考え方があって、自分の考えが絶対に正しいなどとは思っていないが、それでも嫌なものは嫌なのだから仕方ない。
 するとレインは、まさか、と肩をすくめた。

「アーティファクトの発展、という共通の目的のために、お互いの知識を磨きあっているんだ。参考になることも多いぜ」

「そうなの・・・?」

「ああ。まあ・・・たまにはカチンと来ることもあるけどな」

 そう言ってレインは苦笑いを浮かべた。

「研究者って、個人で研究していれば良いってものではないのね」

「そりゃそうさ。オレ達の研究がアルカディアの未来を変えていくんだ。知識の共有は大切なことだ」

「そうなのね・・・」

 なるほど、と納得したアンジェリークだったが、意識の半分はレインの話とは別のところに向けられていた。

 ――――相変わらず、レインはアーティファクトのことになると、目の輝きが変わるわ・・・。

 じっとレインの横顔を見つめながらそんなことを思う。

「アンジェリーク?」

 しばらくぼんやりと彼の顔に見入っていたアンジェリークは、名前を呼ばれて我に返った。

「どうしたんだ、急に黙り込んで・・・」

「い、いいえ、なんでもないの・・・」

 まさか、レインの顔に見惚れていた、などとは言えない。
 慌てて大げさなほど手を振ると、ますますレインはいぶかしげな表情を浮かべて、首をかしげた。

「ええと・・・良く分からないが、まあいいか。で?」

「え?」

 とつぜん話を振られて、アンジェリークは緑色の目を丸くさせた。

「え、じゃないだろ。オレに用があって声をかけてきたんじゃないのか?」

「あ・・・」

 用?
 そんなものあっただろうかと頭をひねる。
 良い天気に誘われて、庭に出てみたら珍しく木陰にレインがいて、気がついたら声をかけていた。
 ただそれだけだ。

「あっ・・・ごめんなさい。私、別に用があったわけじゃないのに、読書の邪魔をしてしまって・・・」

 用もないのに声をかけるなんて、考えてみれば迷惑な話だ。
 申し訳なさから真っ赤になってしまったアンジェリークに、しかし、レインはほほえましそうに微笑んだ。

「いや、邪魔じゃない。ほら、ここに座ったらどうだ?」

 少し体をずらして、彼女が座れそうなスペースを作る。
 迷惑そうではないレインの様子につられて、アンジェリークは言われるままに彼の隣に腰を下ろした。
 部屋にこもることの多いレインが誘われただけあって、木の葉が光をさえぎるその場所は、うららかな気候の中を心地よい風が吹き抜けていく。

「もし・・・」

 その風に紛れるように、レインがポツリと呟いた。

「もし迷惑でなければ、しばらくここにいてくれないか?」

「!」

 とっさにレインの顔を見ると、彼はいつの間にかまた手元の論文に視線を落としていた。
 聞き間違いなのかと思ったが、良く見るとレインの目が一向に文字を追っていない。
 それもそのはず、

 ――――ふふっ。

 アンジェリークはレインに気づかれないように吹き出した。
 よく見ると彼の読んでいるはずの本は、上下逆さまになっている。
 読んでいるふりをしているのは明らかだった。
 笑いをこらえながら、アンジェリークは大きくうなずいた。

「ええ、分かったわ。その代わり、その本の内容を詳しく教えてくれる?」

「ああ、構わないぜ。・・・・・・って、あれっ」

 ようやく本が逆さまになっていることに気づいて慌てふためくレインに、とうとうアンジェリークは声を立てて笑った。






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