「・・・え? なに、この状況」

 愕然とした思いで、紗依は目の前に横たわる人物を見つめている。

「モンモンさん、だよね?」

 普段と変わらぬ姿の坊主が布団の中で寝息を立てている。
 それは良い。
 良くないのは、その布団の中に自分も一緒に寝ていたことだ。
 それも彼の腕を枕にして。

「え? 何で? 何で?」

 記憶の糸を手繰り寄せてみるが、思い出せない。
 宴会をしていたのは覚えている。
 お城の誰かが余興で腹踊りをした際の、おなかに書かれていたとぼけた顔さえもすぐに頭の中に浮かんだ。
 そのうち座敷は酔っ払いがはびこりだし、普段割けなど飲まない紗依もお酒を勧められて、どうしても断れなくて一口飲んで――――そこでぷっつりと記憶が途切れている。
 気がついたら紋山の腕を枕に寝ていた。

「何か、あったわけじゃ・・・ないよね?」

 お互いに服は着ているし、体にも異変はない。
 大丈夫。間違いは起こっていない。
 正確には、起こっても相手が紋山なら構いはしなかったが、その間の記憶がないのは悲しいことだ。

 ――――一応、初めてだし?

 そこまで考えて、紗依は我に返った。

「ばかばか! 何考えてるのよ!?」

 今考えていたことすべてを払いたくて、手をばたばたさせていると、ようやくこの謎を解ける人物が目を覚ました。

「おお、紗依。目が覚めたか」

「は、はい・・・」

 まだ心がざわめいたままの紗依は、真っ赤な顔でうなずいた。

「・・・・・・」

 そんな彼女をじっと紋山が見つめる。

「あ・・・あの?」

「ふうむ。まだ酔いが残っておるのだろう。顔が赤い」

 顔が赤いのは自分のよこしまな考えからだろうが・・・それよりも今彼は大きなヒントを口にした。

「酔い?」

 記憶が途切れているのは勧められた酒を飲んだところ、そして紗依の顔を見て「良いが残っている」と言った紋山。
 と言うことは。

「私、もしかしてお酒を飲んで寝込んでしまったんですか?」

 本気で言ったのに、紋山は大笑いした。

「ど・・・どうして笑うんですか?」

「おお、すまぬすまぬ。いやー、紗依は酒を飲むと記憶が飛ぶのだな。あと笑い上戸」

「え? 何か最後のほうが聞こえなかったんですが、もう一度お願いします」

「いやいや、何でもないぞ?」

「?」

 不思議そうな顔をする紗依をそのままに、紋山は彼女の肩からずり落ちた布団をかけなおした。
 さすが望月藩の場内。
 薄いせんべい布団とは比べ物にはならないほど、ふかふかで手触りも良い。
 寒さとは無縁だった。
 そのぬくもりにうっとりしかけた紗依は、いやいやと首を振った。

「それで、どうしてモンモンさんと一緒に寝ているんですか?」

 酔っ払って宴会場から運び出されて、別室で休ませてもらっているのだったら話は分かる。
 だが、紋山と寝ているのは分からない。
 紗依は起き上がろうとしたのだが、ちゃっかりと紋山の腕に押さえられて失敗に終わった。

「ふうむ。どこから話したものか・・・」

「そんなに複雑な事情なんですか? 私、何かご迷惑でも?」

 記憶のないとは恐ろしいことだ。
 何をしたのかさっぱり覚えていないことがこんなに不安になるとは。
 しかも紋山の眉を寄せた難しい顔。
 何か良くないことでもしでかしたのかとはらはらしていると、おもむろに答えが返ってきた。

「ふむ。酔っ払ったおぬしを運んできたのだ。布団を借りて寝かしつけたまでは良かったのだ」

「は・・・はい」

 紗依は唾を飲みこんだ。
 ぎゅっとこぶしを握って次の言葉を待つ。

「布団をかけてふと見ると、何とも愛らしく寝ているではないか」

「はあ?」

「拙僧は出て行こうとしたのだがな、体が言うことをきかなくて」

「・・・それで?」

「気がついたら添い寝していたというわけだ」

 豪快に笑う紋山につられて紗依も笑いそうになったが、笑っている場合じゃない。

「じゃ、じゃあ、私が寝ているのを、ずっと思っていたんですか!?」

「ああ」

「ああ、じゃないですよ。そんな、恥ずかしい・・・」

 頬に手を当ててうつむいてしまった彼女に対し、紋山は本気で怪訝な顔をした。

「何をそんなに恥らっておるのだ。寝顔など、これからずっと眺められることになるのだぞ? いちいち恥らっては面倒だろう」

「えっ!?」

 それはどういう意味ですか、と言いかけた唇がふさがれる。
 驚いて目を瞠る紗依から唇を離すと、大きな手が彼女の頭を撫でた。

「やはり覚えておらなかったな。告白したこと」

「ええっ!? モンモンさんがですか?」

 その言葉に紋山は首を横に振った。

「いや、丁寧に言うと、おぬしが拙僧にしたのだ」

「わ、私!?」

 いつの間に!
 紗依は頑張って記憶を呼び起こそうとするが、全然思い出せない。
 何と言うことだろう。
 人生の一大場面の記憶がないなんて。

 ――――しかも私が告白!?

 内気で今まで誰かに告白したことなどない自分が、信じられない思いでいっぱいだ。

「ということは、拙僧の返事も覚えておらぬな」

「えっと・・・」

「では、またあのこっぱずかしいセリフを言わねばならぬのか」

 はあ、と紋山は深いため息をつく。

「す、すみません・・・」

 恐縮する紗依を抱き寄せると、紋山は彼女にしか聞こえない声でぽつぽつとささやき始めた。

「拙僧は今まで真っ当に生きてきてはおらぬから、おぬしには迷惑をかけることになるだろう。だが、これからの人生を二人で歩みたいと思う――――拙僧と一緒に生きて欲しい」

「!」

 見たこともない真摯なまなざし。
 いつも調子の良い紋山が、今は本気なのだと良く分かった。
 見つめられることに、こんなにどきどきしたことはない。
 突然のことなのに、すぐに嬉しさがこみ上げてきた。

「紗依?」

 しばらく見惚れていたらしい。
 名前を呼ばれてやっと紗依は、紋山が自分の言葉を待っているのに気がついた。

「あの・・・私っ・・・」

 あわてて口を開いたものの、寝起きのためか一口飲んだ日本酒のせいか、喉が渇いている。
 あるいはひどく緊張しているからかもしれない。
 かすれた声で、紗依はようやく紋山の望む言葉を返した。

「私も、モンモンさんと一緒にいたいです」

「そうか・・・」

 ほっと、紋山の表情が緩んだ。
 彼も彼なりに緊張していたのだろう。
 大きく息をついたあと、紗依をぎゅっと抱きしめた。

「やはり良いのう、さよりんは」

 ぐりぐりと頬をすり寄せてくるのだが、それがまるで照れているのを隠しているようで、紗依は吹き出してしまった。

「大好きです、モンモンさん!」

 驚くほどすんなりと言葉が出てきて、それをきいた紋山は嬉しそうににっこりと笑った。





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