これからも共に、一緒に…
大陸を穏やかに吹き抜ける風が、レインの髪を舞い上がらせた。 そろそろ収穫の時期だ。 今年は天候にも恵まれ、畑いっぱいに黄金の実りが広がっている。 それを見て、レインは目元を緩ませる。 これも女王陛下のおかげだな、と。 あちこちでは畑を行き来する農家の姿が見られる。 収穫用に改良されたアーティファクトも活躍中であるようだ。 機械の導入によって、収穫も随分と効率的に行えている。 こうして人々の幸福のために、自分の研究して来た技術がつかわれているのを見るのが、レインは好きだった。 「ちょっと、そんなところで突っ立っていないでもらえるかね」 「おっと」 農家のおばさんが、麦の束をいっぱいに抱えながら、レインをじろりと見上げた。 「何だね、こんな忙しいときに。見る限りこの辺のもんじゃなさそうだけど」 ん? とおばさんは首を傾げた。 「あれ、あんた。どっかで見たような・・・」 「それよりも」 レインはおばさんの言葉を切って、辺りを見渡した。 「ずいぶんと今年は豊作のようだな」 「ああ、今年も、さね。これも女王陛下のおかげだよ」 女王の話になると、おばさんの表情は一気に和らいだ。 「ありがたいねえ。女王陛下はアルカディアのために祈りを捧げてくれているんだろう。かつてはタナトスなんて化け物に脅かされていたなんて、到底信じられないね」 「・・・そうか、それは良かったな」 「あとはあれだね、この収穫機が発達したのもかね。アーティファクト財団なんて、何か怪しげな集団かと思ってたけど、こんなに便利なものを作るなんて、大したもんじゃないか」 まさか女王陛下と並び立って褒められるとは思わなかった。 思っていた以上に、人々の役に立っていると感じられるのは嬉しいものなのだなと、レインは思った。 照れた顔を見られたくなくて、レインはおばさんに別れを告げて歩き出した。 「あっ!」 背後でおばさんの声が聞こえた。 「あんた、もしかして・・・」 その声を振り切る様に、レインは足早にその地を後にした。 豊穣の恵みを授かる地からの道すがら、見える景色はどこも穏やかだ。 まるで、世界が全て彼女のよう。 それはとても尊いことだ。 この世界が守れて、本当に良かった。 幸せを形作るこのアルカディアを歩き回るたびに、その思いは膨れ上がる。 そしてまた、彼女への思慕の情も。 「・・・女王陛下は、みんなの女王陛下だからな」 自分で言っていて、ちくりと胸が痛む。 我ながら馬鹿だと思う。 そんなことは、彼女が女王になると決意したときに、分かり切っていたことなのに。 「贅沢だな、オレは」 彼女の治める大陸は輝きに満ちている。 それは彼女が願ったこと。 これからも変わらないだろう。 レインの腕の中に彼女の全てが収まることはない。 それでも。 「この大陸を、一緒に守っていられるのはオレにとって幸福だ」 彼女と一緒にアルカディアの発展に尽力する。 方法は違えども、同じ道を歩いている。 それはレインの心を慰めた。 気がつくと、いつの間にかウォードンまで戻ってきていた。 政治の中心地として、この街はいつでも大陸の中でにぎわっている。 商業の町として発展したファリアンとは趣を異にしているが、伝統的な町並みはいつの時代も変わらない。 ふとウォードンタイムズの本社ビルが目に入り、知った顔を思い出して懐かしく思う。 そこから記者らしき二人組が駈け出して来た。 「おい、早くしろ! 豊穣の地で目撃例があったんだ!」 「はい! 今度こそ取材しましょう!」 バタバタとあわただしく、レインの横を通り抜けていく。 その背中を見ながら、ほっと胸をなでおろした。 「この大陸も情報網が発達して来たんだな」 面倒なことになるのはごめんだ。 とりあえず今はうまくやり過ごせたらしい。 「ああいう奴らは、変わらないんだな」 だが気をつけねばな、とレインは人混みを避けるようにウォードンを後にした。 昔、オーブハンターとして大陸を駆け回っていた頃が蘇る。 よく街道を二人で歩いた。 あの頃は大陸を幸せにすることが一番で、その先のことなど考えられなかった。 彼女の願いどおり、アルカディアに幸福が戻った。 そしてこれからも、この地は女王の恩恵を受け続ける。 では、自分は? 「オレは・・・」 レインは己の両手を見つめる。 この手で何ができるのだろう。 「―――ははっ」 そんなこと、決まっている。 ずっと前から、迷う必要なんてない。 「オレは、アンジェを守り続ける」 ぎゅっと両手を握りしめた。 かたく。 「ずっとずっと、オレはオレのやり方で、お前を守るよ」 レインは気がつくと、銀の大樹の前に立っていた。 セレスティザムは変わらず、敬虔な信仰者で溢れている。 女王陛下への祈りを捧げるこの地の中でも、銀の大樹はごく限られた人物しか立ち入りを許されない神聖な場所だ。 何故ならここは、アルカディアと女王の住まう聖地とを結ぶところだから。 レインはその大樹の前で佇んでいる人物に声をかけた。 「アンジェ」 ゆっくりと振り返る。 愛おしい女王陛下。 そして、生涯のパートナー。 女王となって久しいが、彼女の輝きは増すばかりだ。 レインの姿を捕えるや、アンジェリークはほっとしたように微笑んだ。 「良かった、レイン。大陸の様子はどう?」 「ああ、お前のおかげで、幸福に満ちているよ」 その言葉を聴いて、アンジェリークは嬉しそうに胸をなでおろす。 「それは良かったわ。私は聖地から遠く離れられないから、こうしてレインが実際に見て来てくれると助かるの」 「おかげでオレは、ちょっとした噂になっているようだけどな」 「どんな噂?」 「かつて女王とともに聖地へと旅立ったオーブハンターが、実は大陸を視察に回っているのだと」 レインの仕事は、この地で幸福がどれほど浸透しているのか、何か悲しいことはないかを見回ることだ。 アンジェリークが女王になると決意したとき、レインは一緒にいることを望んだ。 それから時が流れ、もう地上には直接彼らを知る人物はいなくなった。 それなのではあるが。 「まあ。どうしてばれたのかしら」 「オレたちが思っている以上に、アルカディアの奴らはオレたちを知っているらしい。セレスティザムには女王陛下の肖像画が大聖堂のど真ん中を飾っているし、アーティファクト財団の本部には、アーティファクト発展の祖とか言って、でっかいオレの銅像が立っているしな」 「ふふっ、レインの銅像なんて凄いわ」 「初めて見たときは目を疑ったぜ」 それに、ウォードンタイムズは女王の功績についての記事をまとめ上げた、『女王誕生記』なる大作を発行していた。 直接会ったことはなくても、数々の写真と記事から、アルカディアの人々はレインたちを知っている。 幸せをもたらす使者を歓迎しようと、セレスティザムの神官たちは銀樹騎士たちに大陸を回らせているし、アーティファクト財団はずば抜けた才能を持つ博士とぜひ対談したいと、各地の情報を集めているし、ウォードンタイムズは改めて特集を組みたいと、目撃例があるたびに記者を派遣している。 「応えてあげないの?」 「冗談じゃないぜ。面倒なことになって、お前のもとに帰るのが遅くなる」 「ふふっ。確かにそれは困るわ」 周囲がざわつき始めてはいるが、レインは地上を回ることをやめるつもりはない。 偉大な女王陛下のため。 そして、この大陸の発展のため。 きっとこれからも、このアルカディアを奔走することになるだろう。 そのことを嫌に思うことはない。 「お前の方は、順調か?」 「ええ、大丈夫。そろそろレインが戻る頃だと思って、少しだけ抜けられるくらいは」 「それは、偉大な女王陛下に感謝しないとな」 大げさにうなずいて見せると、アンジェリークはくすくすと声を立てて笑った。 こうしてそばに寄り添っていられるだけで十分だ。 いつかアンジェリークが女王の座を退いて、普通の女の子に戻るときが来たら、思い切りこの腕に抱くことが出来る。 そのときまでは、彼女はアルカディアのものである。 大陸に嫉妬するなんてどうかしている、と我ながらレインは苦笑いを浮かべた。 「どうしたの?」 「いや・・・オレもまだまだだなと思っただけだ」 「?」 「それより、聖地へ帰ろう。他の奴らに見つかったら面倒だから」 「あら、レイン。銀の大樹には相変わらず忍びこんでいるのね」 まだオーブハンターであった頃、一緒に銀の大樹へ来たことを、アンジェリークは覚えていた。 あのときは、こうして手を携え、聖地へと行くことなど考えもしなかった。 レインは目を細める。 「面倒事が嫌なだけだ。ほら」 そう言って差し出した手に、アンジェリークの真っ白な手が重なる。 「ええ、帰りましょう」 ほっそりとした、しなやかな手だ。 この手が今は大陸を支えている。 ――――この手は絶対に離さない。 重ねた手を握りしめながら、レインは小さく呟いた。 その声が聞こえたのかどうかは分からなかったが、銀色の光に照らされたアンジェリークの頬は、いつもより少しだけ赤く染まっていた。 |