何気ない昼下がりのひとコマ
「あら、お前・・・」 学園祭の出し物の準備の最中。 両手いっぱいの荷物を抱えながらも、会場内で見知ったものを見つけた私は、思わずその場に足をとめた。 とことこと目の前を歩いて行くのは、黒と白の混じり合った毛の子猫だ。 その子猫に見覚えがあったのだ。 「お前、この間千歳さんに拾われた子ね」 この会場内には、意外と野良猫が多い。 目の前の子猫も、その中の一匹なのだが、この子は千歳さんに拾われて可愛がられていたのだ。 子猫は私を覚えていたらしく、足元にまとわりついてきた。 忙しさを忘れて、ついしゃがみこんでその子の頭を撫でてしまう。 「ううう・・・完璧に情が移っちゃったな。千歳さんの策略通り、これは本当に私も共犯者だよ」 この学園祭のためだけに呼ばれてきた、他校の生徒である千歳さんは、どうやら動物がお好きのようで。 この辺にいる猫をこっそり世話しているようだ。 本当は、良くないことなんだと思うけれど。 「・・・・・・」 私はふと、千歳さんの姿を思い出した。 子猫を撫でる大きな手。 あの手はとてもあったかそうで、何だか見ているだけで安心感を得られる。 私は子猫の小さな頭を撫でながら、思わずつぶやいていた。 「お前、良いわね。千歳さんに可愛がってもらえて」 その時、不意に目の前に影が落ちた。 「何ね、お前さんも撫でてほしかったと?」 声と共に頭の上に落ちてきた、ぽんと軽い衝撃。 はっとして顔を上げて、私は驚きの声を上げた。 「ち、千歳さん!? いつの間に」 「ちょうどお前さんの姿ば見つけたけん、来てみたところばい」 「あ、あの、その、手・・・」 千歳さんは、子猫を可愛がる時と同じように、私の頭を撫でている。 それが無性に恥ずかしくて、控えめに訴えてみるが、千歳さんにはあまり伝わらなかったようだ。 「遠慮せんでよか。こぎゃんこつ、お安い御用ばい」 「ち、違います! そういう意味じゃなくて・・・」 「ん? 頭ば撫でてほしかったんじゃなかと?」 そこでようやく千歳さんの手が頭から離れた。 少し寂しい気もしたけれど、恥ずかしさから解放されたほうが大きかった。 ほっとしたところで、私は立ち上がった。 立ち上がって見ても、千歳さんの顔はまだもっと上にある。 改めて、大きい人だと思った。 「まあ、よか。それにしても、相変わらずお前さんは忙しかね」 「ええ、それは運営委員ですから。千歳さんは休憩中ですか?」 「ああ。相変わらずその辺ほっつき歩いとったい」 千歳さんはふと視線を私からそらして、そばに置いたままになっていた荷物を見つけた。 「これ、みんなお前さんの荷物か?」 「はい。お化け屋敷の飾りつけに使う備品なんです。これから持っていきます」 「そうか。んじゃ」 ひと山あった荷物を、千歳さんは軽々と抱えあげた。 「えっ、千歳さん」 「ちんまいお前さんには大変ばい。こんくらい俺にとっては何でもなか。全部会場に持っていくと?」 「あ、は、はい」 「じゃ、行くかね」 結構重かったはずの段ボールが、千歳さんが持つと、一回り小さくなったように見える。 「あの・・・重くないですか?」 「さっきも言った通り、こんくらい何でもなかよ。たまには働かんと罰が当たるたい。何よりお前さんが働いとるところば、黙って見とるわけにはいかん」 本当に、何でもないことのように千歳さんは楽々荷物を運んでいく。 私は彼の後をついていった。 彼は学園祭の準備をしつつも、気がつけばどこかふらりといなくなっている。 別にサボっているわけではない。 きちんと仕事をしつつも、どこかほかのみんなとは距離をとっているように見えた。 だからこそ、目が離せなかったりする。 千歳さんにも、学園祭を楽しんでほしかったから。 ――――それに、距離を取られているのは少し・・・・・・ううん、結構寂しい。 そんなことをぼんやりと考えていた時だった。 「きゃっ!」 足元につき出ていた石につまずいてしまった。 不意打ちを食らった形の私は、バランスを崩して、目の前の背中に思い切り突っ込んだ。 「おわっ!?」 不意打ちだったのは、目の前の千歳さんも同じだった。 私がとっさに千歳さんに抱きついてしまったので、危うく持っていた荷物を落とすところだった。 「す、すみません!」 慌てて千歳さんから離れ、ひたすら謝る。 「大丈夫ですか? 本当にごめんなさい!」 「いや。それより、怪我はなかと?」 「私は大丈夫です」 千歳さんに抱きついて、転ばなかったから。 そう言おうとして、ハタと止まる。 ――――抱きついた? その事実にようやく気付いた。 「ああああああの、ほ、本当に、す、すみません! その、わざとじゃなくて!」 そう、転ばないように支えてもらったとはいえ、抱きついたのだ。 信じられない自分の行動に、戸惑いばかりが生まれてくる。 目の前がぐるぐると回る私。 千歳さんは構わず問いかけてきた。 「ま、怪我がなくて何よりばい。それよりもお前さん、いつも転びそうになって、誰かにつかまっていると?」 「そ、そんなこと、ありません! は、初めてです!」 そんなこと、するわけがない。 大げさなくらい首を振る私に、千歳さんは何故か神妙な面持ちになった。 「むむ、そうか・・・。ひとまず安心ばいね」 その呟きは私には聞こえていない。 まざまざとよみがえる千歳さんの体温に、さらに頭がオーバーヒートしそうになる。 彼の背中の広さを自分で確かめてしまったのだ。 男の人に抱きつくなんて、あり得ない。 「今度つまずく時は、俺と一緒ん時にするばい。次はお前さんの動きば予測するけん」 「も、もうつまずきません!」 そんなことになったら、恥ずかしすぎて今度こそ心臓が破裂してしまう。 顔の熱は上がったまま。 今日の天気のせいばかりではない。 当分下がりそうにもなかった。 そんな私を千歳さんは、穏やかな笑みを浮かべて見つめていた。 |