夏の終わりと始まりの季節
無人島でのサバイバル経験から、早いものでもう一ヵ月が経とうとしていた。 少しだけ夏の日差しも柔らかくなってきている。 真夏の夢みたいな出来事だったと思うけれど。 「何かぼんやりしているようですが、どうかしましたか?」 隣から聞こえた声にどきりとした。 少しだけ顔を上げる。 「永四郎さん、すみません。何でもありません」 「そうですか。なら良いんですが」 うわぁ・・・。 あの南の島での出来事が嘘じゃない証拠が、今隣を歩いている人の存在だった。 たった五日間の出来事。 でもその濃密な時間の中で、私はこの人に恋に落ちた。 そして、両想いになって、こうして一緒に、その、デートとか。 「何だかキミが大人しいと調子が狂うんですがね」 「あはは。そうですか? いつもと同じだと思いますけど」 いけない。 せっかくこうして永四郎さんが沖縄から会いに来てくれたんだから、明るくしていないと! 「そうだ、永四郎さん、お腹空きませんか?」 「ああ、言われてみれば」 私は持っていたバスケットを目の前につきだした。 「これ! 作ってみちゃいました!」 「ええと・・・弁当、ですか? キミの手作り?」 「はい! あっちにベンチがあるんです。行きましょう!」 「分かりましたから、引っ張らないで下さいよ」 苦笑気味の永四郎さん。 お母さんとつぐみの協力を得て、どうにかそれらしいものは作れたと思うけれど・・・緊張するかも・・・。 「では、いただきましょうか」 木陰の下のベンチで、私はバスケットの蓋をあけて・・・。 固まった。 「? 彩夏? どうしました?」 「あー・・・ええと」 最大のピンチに、それと悟られないように、私は慌てて言葉をつないだ。 「そのっ、ええとですね・・・あっ、そう! どうやらお弁当、家においてきてしまったみたいなんですっ! すみません! 今、何かお昼買ってきますねっ!」 私はバスケットを抱えてくるりと背を向けた。 けれど。 「お待ちなさい」 あっという間に永四郎さんに捕まった。 「な、何でしょうか・・・?」 「キミはそんな見え透いた嘘で、俺の目がごまかせると思っているんですか」 「えっ、う、嘘なんて・・・」 「では、これはいただきますよ」 「あっ!」 いつの間にかバスケットは取り上げられていた。 私が手を伸ばしても、到底永四郎さんの手に届くはずもなく。 呆気なくバスケットの蓋は開かれてしまった。 「これは」 目を見開く永四郎さん。 それはそうだろうと思う。 「すみません! 知らないうちにバスケットを振り回していたせいで、お弁当が・・・」 崩れてしまったのだ。 そりゃあもう、派手に偏って。 お弁当箱の蓋が外れていなかったことだけが幸い。 「すぐに、あっちの売店で何か買ってきます!」 「その必要はありませんよ」 何でもない顔で、永四郎さんはバスケットの中からお弁当箱を取り出した。 しかも。 ぱかりと蓋を開けて、箸をとった。 「俺の評価は厳しいですよ」 「ええと・・・でもそれ、かなり偏っちゃってます。そこからもうアウトなんじゃないですか?」 私は大真面目に言ったのに、永四郎さんは涼しげに笑っただけだった。 「弁当が偏るくらいで動揺しては、キミとは付き合えませんから。バスケットを振り回すのも、キミらしいですよ」 「怒ってないんですか?」 「怒るわけがないでしょう。せっかく作ってくれたんですから。朝、早かったんじゃないですか?」 その言葉には、私への気遣いが感じられて。 胸がぎゅっと締めつけられた。 「そんな泣きそうな顔されては、俺が悪いみたいです。さ、料理の解説はお任せしましたよ」 「はいっ! 任せて下さい! 一番のおススメはですね、何といっても・・・」 私は昨日から準備を重ねた、苦心の末の数々を指差しながら説明していく。 それに、永四郎さんは律儀に全部うなずいてくれた。 そして気分を悪くした様子も見せずに、ポテトサラダにまみれた空揚げや、煮物の汁を吸ってしまった卵焼きを次々と平らげていった。 「ごちそうさまでした」 水筒から熱いお茶を注いで渡すと、永四郎さんは一口飲んで一息ついた。 「ど・・・どうでした?」 恐る恐るそう尋ねる。 永四郎さんはふっと息をついた。 「まあ、なかなか個性的な味ではありましたが」 「す、すみません・・・」 「何を謝っているんです。それはこれから練習して行けば良いだけのこと。時間はまだ、あるんですから」 「え?」 首を傾げた私に、そっと永四郎さんの手が伸びてきた。 「俺は、毎日彩夏の料理を食べられるようになることが、楽しみなんですがね」 長い指が私の頬に触れた。 「彩夏は違いますか?」 いつもより少しだけ低い声。 それにどきりとした私は、きっと顔を真っ赤にさせながら、ぶんぶん首を振った。 「私も! 毎日、永四郎さんにあーんとか、したりされたりしたいです!」 「・・・キミはそんなこと考えていたんですか」 「はい! やっぱそこは外せないと思いまして!」 「まあ、良いですよ。キミが望むなら」 柔らかく永四郎さんは笑った。 南の島では見ることができなかった笑顔に、私達は恋人になったんだなあとしみじみ思った。 「そんなに嬉しそうな顔しないで下さい」 そんな顔されたら、と言う間に、永四郎さんはふと身をかがめた。 そして。 「!」 唇同士が触れた衝撃に私が呆気にとられていると、 「ま、俺も我慢がきかなくなりますから」 そんなことを言った。 「や・・・やられましたっ・・・! 完全に不覚でした」 「キミが無防備すぎるんです。良いですか、俺がいないときは十分気をつけなさいよ」 恋人になったからと言って、急激な変化を遂げられているわけじゃないんだけど。 確実に距離は縮まっている。 「分かりました! 約束です、永四郎さん!」 「それは結構です。くれぐれも、無防備は俺の前だけにして下さい」 「はーい! って、無防備・・・?」 「・・・はぁ。道のりは長そうですね」 夢みたいな出来事の終わりがハッピーエンドなんて。 それもまた夢みたいだけれど、目の前で永四郎さんが笑顔を見せてくれているのは、夢でも何でもないんだよね。 和らいだ日差しと、目の前の笑顔が、新しい季節を予告していた。 |