寝不足






 今日は朝からずっと、頭痛がひどかった。
 というのも、新調した枕の具合がどうにも良くないのだ。
 先日蔵ノ介さんに教わって、低反発枕の正しい使い方をしているのだけれど、それでも寝不足は続いている。


「・・・ちょっと、休もう」


 みんな頑張って学園祭の準備をしていることを思えば、とても申し訳ないのだけれど、このまま放置しておいたらさらに頭痛がひどくなるのは間違いない。
 一応薬は医務室で貰って飲んだものの、あまり効き目がないのだから、困ってしまう。
 私は人目につかない場所を求めて、ふらふらと歩き始めた。


「ここなら、良いかも」


 足の向くままたどり着いた先は、倉庫だった。
 倉庫の中は他より冷房が利いているわけではないが、ひっそりとしているからかどこか涼しげで、何よりほとんど人が出入りしない。


「よいしょっと」


 適当に隅を見つけて座り込むと、一気に体から力が抜けていった。
 相当体は無理をしていたみたいだ。
 壁に体を預けただけで、意識を失うまでにそれほど時間はかからなかった。






 ――――何だろう。


 耳元で優しい声が聞こえる。


「何や、こんなとこにおったんか」


 あれ? 蔵ノ介さんの声?
 呆れているような、それでいてホッとしたような。
 そんな声。


「同じ運営委員の子が心配しとったで。静は具合悪そうなのに無理しとるから、気ぃ付けてくれゆうて、わざわざ俺のところへきてくれたんや」


 ああ・・・そうなんだ・・・。
 ふと一人の子の顔が浮かんだ。
 きっと、医務室へ行くときに会った、青学担当の子だ。


 あの時も、大丈夫だと何度言っても、それでも心配してくれていた。
 迷惑、掛けちゃったな・・・。


「何言うとるんや。誰も迷惑なんて思うてへんで。誰にでも調子の悪い時はあるやろ。心配するのは当然のことや」


 でも、あの子も仕事があるはずなのに、わざわざ蔵ノ介さんのところまで行ってくれるなんて。


「ん、その辺あの子はよう分かっとるな。俺のところへ報告に来たんやから」


 それで、蔵ノ介さんは私を探してくれたの・・・?


「そうや。自分、いつまで経っても顔見せへんから、どっかで倒れてるんとちゃうか思うて、あちこち走りまわって探したわ」


 それは申し訳ないことをした。
 蔵ノ介さんだって忙しいはずなのに。
 本当に、ごめんなさい・・・。


「別に謝らんでええ。こんなとこにいても疲れとれんやろ。医務室行こか」


 それは駄目だ。
 だって、みんなに申し訳なくて、こっそり休もうと思ってここへ来たのだから。
 医務室なんかで休んだら、何だか大事になりそうだ。


「そやかて、現に具合悪そやないか。体調不良を悪く思うやつはおらんし、そんなんいたら俺がしばいたる。立てへんのやったら、連れてったるわ」


 それはもっと申し訳ない。
 薬も飲んだので、きっと少し休めば良くなるはずだ。
 だから少しだけ、ここで休ませてほしい。
 すると、今度は声の代わりにため息が聞こえた。


「はあ。自分、変なとこで頑固やな」


 そうだろうか。


「どれどれ」


 何だろう。
 良く分からないけれど、額に温かいものが触れた。


「まあ、熱はないみたいやから、ホンマ重症やない思うけどな。自分ここで休むんやったら、俺もそばにおるからな」


 額に触れていたものが、緩やかに頭のほうへと移っていき、優しく撫でられる。
 凄く安心できた。


「しかし、何でこない具合悪なったんや。何か無茶でもしよったんか?」


 別に無茶をしていることはない。
 その問いの答えは簡単だ。
 先ほども述べたとおり、枕が合わなくて寝不足なだけなのだから。


「枕・・・? ああ、前に言うとったな。あれ、正しい使い方してもあかんかったのか?」


 そう。
 多分、今まで使ったことのない材質のものだから、まだ体が慣れないだけだとは思うけれど。


「けどな、合わんモン無理して使うていたら、体のほうがもたんわ。無理せんとすぱっと変えてしもうたほうがええで」


 でも・・・。


「でも?」


 せっかく蔵ノ介さんに正しい使い方を教わったのだから、その枕を使いたい。


「静・・・」


 頭を撫でていたぬくもりが消えていった。
 何かしてしまったのだろうか。
 心地良いものが離れていく不安が、胸の中に広まっていく。


「ホンマ、敵わんなぁ」


 だが、すぐに不安を打ち消す優しい声が私を包み込んだ。


「そやったら、静の体調悪いんは俺のせいでもあるわけやろ」


 それは違う。
 私が勝手に頭痛になっただけで・・・。


「いや、そこは俺も譲らん。責任はとらせてもらうわ」


 責任?


 いぶかしんでいる間に、頭がそっと宙に浮く。
 体だけではない。
 壁に預けていた体が、ゆっくりと倒れていく。
 衝撃はなくて、代わりに頭がちょうど良い高さでおさまった。


 何だろう。
 気持ち良い。


「んー。こんなもんか?」


 今度は声が、さっきよりも近い真上から降ってきた。
 すぐ近くに蔵ノ介さんを感じる。
 それがひどく安心できた。


「こんなくらいしかしてやれへんけど、俺の膝の上で、ゆっくりお休み」


 深いことを考える余裕はなかった。
 言われるまま、私はまどろみに身を預けた。






 ――――名前を、呼ばれた気がした。


「はい・・・」


 返事をしながらゆっくり目を上げる。
 ・・・・・・。


「え?」


 ぼんやりをしていた頭は、目の前に広がる人物の顔を見た瞬間、一気に覚醒した。


「蔵ノ介さん!?」

「あ、ああ。お早うさん」


 何故か驚いた顔の蔵ノ介さんが、真上から私を見下ろしている。
 私はと言えば、彼の膝を枕にして寝ていたようだ。


「す、すみません!」


 いつの間にそんなことになったのだろう。
 全然覚えていない。
 申し訳なくて、慌てて起き上がろうとする。
 しかし。


「あ、あかん! まだ寝てな」


 蔵ノ介さんに体を押さえられて、起き上がることができなかった。
 意外なほど強い力に、私は抵抗できなくなる。


「あの・・・私、どうして・・・」


 蔵ノ介さんの膝に頭を載せたまま、問いかけてみる。
 まだ目の前が真っ白で、頭もあまり動いてくれない。
 それでも彼の声ははっきりと聞こえた。


「具合悪うてここで休んでたんやろ」

「でも、蔵ノ介さんは・・・」

「俺はたまたま倉庫を探険しに来た通りすがりの男前や」


 何だろう。
 何だか質問と答えがあっていない気がする。


「そうじゃなくて、どうして私、蔵ノ介さんに膝枕を・・・」

「罰や。自分、俺に体調悪いこと隠しとったやろ」

「罰・・・? い、いえ、そんな、だって・・・」

「何や。俺の膝では寝れんちゅーのか」


 そんなことはない、と首を振った・・・つもりだったけれど、顔も上げられないので、結果的に蔵ノ介さんの膝に頭をこすりつけるような動作になってしまった。


「ほな、何も問題はないな」


 満足したように蔵ノ介さんがうなずいた。
 問題はありすぎて仕方ないのに、蔵ノ介さんは質問の機会を許してくれないので、仕方なしに大人しく膝を借りることにする。


 高さはちょうど良い。
 居眠りしていたようだが、妙に目が冴え渡っている。
 頭痛はずいぶんと良くなっていた。


「最近あんまり眠れへんのやろ? 静、この後何か予定あるか?」

「え? いいえ、ないですが」


 何で最近寝不足だということを知っているんだろう。
 そのことにびっくりして、その次のお誘いへの反応に遅くなった。


「ほな、一緒に枕買いにいこか」

「え・・・えええっ!?」


 思いがけず大声を出してしまった。
 蔵ノ介さんもびっくりしたようだ。


「自分、声おっきいわ。鼓膜破れるか思うたわ」

「ご、ごめんなさい。でも、そんな、わざわざ・・・」

「ええんや。静が具合悪うなってるの、見てて我慢できるはずないやろ」


 どこか叱るような口調だったが、でも、私の頭の上に置かれた手はやっぱりとても優しい。


「俺が直々に選んだる。今日からは安眠生活やで」

「あ・・・ありがとうございます」


 ううう・・・。
 申し訳ないのに、凄く嬉しい。


「あー、でもな、俺の膝に敵う枕はないかもしれへんぞ」

「いえ・・・あの、確かに良いですが、心臓には悪いです」

「俺にドキドキしとるっちゅーことやろ? ええことやないか。もっとときめかしてやってもええで」


 何を思ったのか、蔵ノ介さんが私の肩に手を置いた。
 身をかがめて私の耳元に顔を寄せる。
 彼の吐息を感じる距離。
 そこから、低い声で囁かれた一言。


「今度は腕枕とか、な」

「!!?」


 その一言で、一気に頭が沸騰した。
 頭痛なんてひと飛びだった。


「んんー? 静? どないしたん?」


 私が恥ずかしくて顔が上げられないと知りながら、蔵ノ介さんは楽しそうにわざと問いかけてくる。
 当然答えられる余裕はない。
 顔を伏せてしまった私の上からは、くつくつと喉の奥で笑う声が聞こえた。


「熱があるんやないか? それはあかんなぁ。一緒に医務室へいこか? 添い寝して看病したるわ」

「蔵ノ介さんはまたそうやって・・・! もう。そんなこと軽々と口にしていたら、本当の告白の時に信じてもらえなくなりますよ!」


 精一杯の私の反撃。
 難なくかわされるのは分かっていたけれど、何か言い返さなければ気が済まなかった。
 からかい半分の言葉がすぐに返ってくると思ったのだけれど。


「・・・・・・」


 何故か返って来たのは沈黙だった。


「蔵ノ介さん?」


 そして、何やら神妙な表情をしている。
 恐ろしいほど思いつめているような。


「あ・・・あの、私、何か変なこと言いましたか?」


 思わずそんなことを訊き返してしまったほどだ。
 蔵ノ介さんは私の言葉に、ゆっくりとではあるが首を振る。


「いや、静の言う通りやな、と、思うてな。そうか。確かにな」


 参考になったわ、とまで言われたけれど、何が何やら。
 どういうことなのかと、訳の分からない私には届かないほどの声で、蔵ノ介さんはぼそりと呟いていた。


「静はあんまからこうたらあかんのやな。本気の告白流されとうないもんな」






 結局、体調不良はいつの間にか消え去ってしまって。
 蔵ノ介さんのからかいも、それ以降ぴたりと止んだ。
 私には、ショッピングモールで蔵ノ介さんが選んでくれた――――しかも、


「俺が言いだしたことやから」


 と、何とプレゼントまでしてくれた――――枕が手元にやってきた。


「何か、蔵ノ介さんには、お世話になりっぱなしだな」


 一日が終わり、お風呂からあがって部屋に戻ってきた私は、ベッドの上で新しい枕を抱えながら、蔵ノ介さんのことを考えていた。
 具合の悪くなった私につき添ってくれたり、わざわざ枕を選んでくれたり。


「面倒見が良いのは、部長さんだからかな・・・。でも、きっと優しいのは元からの性格だよね」


 良くからかわれもするけれど、根はとてもいい人なのだと思う。


「大阪の学校でも、やっぱり優しいんだろうな。蔵ノ介さん、きっと人気があるだろうし」


 よく女の子から声を掛けられるって言っていた。
 もしかして、もう誰か、特定の女の子がいるのかも。
 いてもおかしくない。
 むしろ、いないほうがおかしい・・・?


「どうなんだろ・・・」


 凄く知りたい。
 彼女さんがいるかどうなのか。
 でも、怖くて訊けない。


「こんな時、どうしたら良いのかな」


 ううう・・・。
 駄目だ、解決策が見つからない。
 それなのに、色々考えても仕方ないことまで、ぐるぐると頭の中を巡っている。


「・・・どうしよう。枕を変えても、寝不足は続きそうだよ」


 すっかり頭は冴えてしまって、眠気は吹き飛んでいた。
 冴えた頭は勝手にあれこれと想像しては、さらに私を混乱させていく。
 私の長い夜は、まだまだ続きそうだった。











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