兄さん
「それでね、エルヴィンたら・・・」
楽しそうに話すアンジェリークに見入りすぎていたのだろうか。
突然ドアがノックされたとき、ベルナールは必要以上にどきりとした。
「すみません。ベルナールさん、デスクがお呼びなんです。緊急の用事だとかで・・・」
「あ・・・、ああ。分かった」
ベルナールがそう返事をするのと同時に、アンジェリークがあわてて立ち上がった。
「ごめんなさい、兄さん。ウォードンに来たついでに、ちょっと兄さんの顔を見て帰ろうと思っていたのに、長居してしまって・・・」
恐縮して頭を下げる彼女に、ベルナールは名残惜しそうに首を振った。
「いや、せっかく訪ねてきてくれたのに、こんな資料室で、カフェオレとビスケットでしかもてなせなくてすまないね」
「そんなことありません。ご馳走様でした」
アンジェリークが首を振ったのと同時に、ドアの向こうから催促の声がベルナールを呼んだ。
「ああ、もう、分かったよ」
いつもは穏やかな彼だが、少し苛立って聞こえたのだろう。
呼びに来た不幸な若い記者が息を飲んだのが分かった。
「忙しいのに、ごめんなさい」
「いいや。今度は改めて誘わせてもらうよ。今度一緒に食事でもしよう」
「はい」
さすがにこれ以上待たせてはまずいだろう。
ベルナールはアンジェリークに手を挙げると、慌しく資料室を出て行った。
緊急だというので急いで戻ったのに、呼び出しの理由は次の取材についてで、特に急ぎというわけでもなかった。
アンジェリークに気を遣わせるだけの用件ではなかったことに、ベルナールは、呼び出しに来た若い記者に八つ当たり気味に腹を立てている自分に気がついた。
浮かんでくるのは楽しそうなアンジェリークの笑顔。
陽だまり邸の面々のことや、オーブハンターの仕事のことなどを嬉々として語ってくれた。
久々に親戚の女の子と話したせいだろう。
彼女が笑うたび、つられてベルナールも口元がほころんでいた。
しばらく会わないうちに、立派な女の子として成長していたことを、素直に嬉しいと思う。
だが、それだけなのだろうか。
そこまで考えたとき、先ほどベルナールを呼びに来た青年が声を掛けてきた。
「ベルナールさん」
「ん? 何だい?」
先ほど乱暴な返事をしたせいか、若い記者はいつもより控えめにかしこまっている。
危うくさらに怖がらせてしまうところだったと、ベルナールは苦笑した。
不機嫌さを消して、穏やかに笑って見せた。
「どうしたの? 何かあったのかい?」
いつもの彼に戻ったことに安心したのか、あからさまにほっとした様子の若い記者は、そっと一通の手紙を差し出した。
「これは・・・?」
「先ほどのお嬢さんから預かったものです。ベルナールさんに渡してください、と」
ベルナールが手紙を受け取るのを確認してから、その記者は一礼して自分の仕事に戻っていった。
はやる気持ちを抑えて、渡された手紙を開く。
整った字の上を、ベルナールの視線が滑っていく。
「今日は忙しいところをお邪魔してごめんなさい。今度は昔の懐かしい話をしましょう。お食事、楽しみにしています。親愛なる兄さんへ、アンジェリークより、か・・・」
もう一度文面を確認してから、ベルナールは丁寧に手紙を折りたたんで、胸ポケットに突っ込んだ。
「いつまで僕は君の『兄さん』なのかな」
それはアンジェリークへの問いなのか。
それとも自分自身への問いなのか。
そんなことを口にした自分もおかしくて、
「どうかしているな、僕は」
ベルナールは肩をすくめて見せると、再び仕事に戻っていった。