にんじん


「レディ・・・、これは・・・」

 フランシス様は目の前に広げられたものに目を見開いた。
 ある昼下がり。
 フランシス様の私邸での出来事だ。
 今、テーブルの上には所狭しととあるものが並んでいる。
 にんじんケーキ、にんじんサラダ、にんじんジュース、にんじんスティック、にんじんグラッセ、にんじん・・・。
 すべて私が持ち込んだものだ。
 私の意図をはかりかねている様子の彼に、私はお皿にとりわけながらにこりと笑った。

「フランシス様は、ウサギ嫌いをお気にしていると聞いたので」

「それで、にんじん料理ですか・・・?」

「はい!」

 一通り盛り終えたお皿をフランシス様に手渡す。

「苦手なものを克服するためには、まずは相手の好きなものを好きになってみるのはどうかと思いまして」

「これは、レディがお作りになったのですか・・・?」

「え? あ、はい、一応・・・お口にあわないかも知れないんですが」

 フランシス様には高級料理がお似合いで、私の料理なんて足元に及ばないのは分かっている。
 でも作って差し上げたいと思ったのは、私のわがままだ。
 これでおなかを壊されたり、余計ウサギがお嫌いになっりしたらどうしようかと心配にもなったけれど、結局作ってきてしまった。
 恥ずかしくて顔をうつむけた私に、フランシス様はお優しかった。

「ああ・・・、私のために作ってくださったものを、口にあわないなどあるはずありません・・・。嬉しいですよ・・・」

 優雅な手つきでケーキにフォークをさす。
 そのまま一口含んだ。
 緊張の一瞬。
 私はごくりとつばを飲み込みながら、その様子を見つめていた。
 そんな私の視線の向こうでは、ゆっくり顎を動かすフランシス様。
 十分に味わわれたあと、穏やかな微笑を浮かべた。

「あなたの優しさに満ちた味がします・・・。これを私のために・・・」

 その言葉に、やっと私の肩の力も抜けた。

「ありがとうございます。フランシス様は本当にお優しいですね」

「いえ・・・、私は正直な感想を申し上げているだけ・・・」

 フランシス様はもう一口ケーキを取り分けながら、

「本当にお優しいのは、レディのほうですよ・・・」

「え?」

 首をかしげる私を笑う。

「私のためにこれほどのことをしてくださるとは・・・。言葉がありません・・・」

 フランシス様は私の目をじっと見つめてくる。
 吸い込まれてしまいそうな深い知性をたたえた瞳から目が逸らせない。

「あなたの優しさが私の胸を温かくします・・・こんなに幸せな者は、世界にいないでしょう・・・」

「フランシス様・・・」

 そっと白い手が伸びてきて、私のそれに重なる。
 フランシス様の手は少し冷たかった。

「あなたのお心、しっかりと頂きました・・・」

 すっと目が細められる。
 この人は今にも消えてしまいそうに微笑む。
 だからたまに不安になるのだ。
 どこかへいってしまうような気がして・・・。

「レディ・・・? どうされました・・・?」

「あっ」

 フランシス様を前に上の空になってしまっていたことに、私は慌てて頭を下げた。

「す、すみません。私ったら・・・」

「いえ・・・何か心配事でもおありですか・・・?」

 セラピストをしていたからだろうか。
 フランシス様はとても上手に人の話を聞き出す。
 自然と私も口を開いていた。

「フランシス様は、どこへも行かれませんよね?」

「え・・・?」

 唐突な私の言葉に、フランシス様が目を丸くする。
 でも、すぐにいつもの穏やかな表情に戻った。

「レディを置いて、どこかへ行くことなど、ありませんよ・・・」

 フランシス様は重ねたままだった私の手を、優しくとった。

「私のことを思ってくださっているレディを残して、どこへ行けましょう・・・?」

「フランシス様・・・」

 その言葉が嬉しかった。
 不覚にも涙がこみ上げてきた。

「ああ・・・レディ、泣かないで・・・。大丈夫、私はここにいますよ・・・」

 悪夢から覚めたばかりの子どもを慰めるような口調に、私は胸が詰まった。

「ありがとうございます」

 それだけやっと口にすると、フランシス様の手が私の頬に移動してきた。

「お礼を言わなければならないのは、私のほうです・・・」

 ささやくような声が心地良い。
 先ほどまでの不安が嘘のように消えていった。

「申し訳ありませんが、私のウサギ嫌いは根が深いのです・・・」

 フランシス様は唐突にそんなことをい始めた。

「え?」

 見返す私の目に、少し困ったような彼の顔が映る。

「ですから、ゆっくり、時間をかけて克服していかねばならないのです・・・お手伝いいただけますか?」

 それって・・・。
 私の中である仮説が浮かぶ。
 違うかもしれないけれど。
 もしかして、これからも一緒にいて良いよってこと、なのかな?
 それが顔に出ていたのか、フランシス様がゆっくりうなずく。

「私にはあなたが必要なのです・・・」

「!」

 それがまるで告白のように聞こえたので、思わず顔が熱くなった。

「あ、あの、その、わ、私で良ければ・・・」

 しどろもどろに答えるのが精一杯だ。
 まともにフランシス様の顔を見ることも出来ない。
 でも。

「嬉しいですよ、レディ・・・」

 返ってきた言葉はさらに優しくて、私の心を激しく揺さぶり続けた。

「さあ、ゆっくりレディのお料理をいただきましょう・・・」

「は、はい。どうぞ」

「ありがとうございます・・・」

 悠然と食事を始めたフランシス様を見つめながら、自分の作ったものを食べてもらえる幸せを、私はしみじみと感じていた。







back