お弁当






「あの・・・」

「ん?」

「ええと・・・」

「何だ?」

 私はちらちらとしきりに周りを見ながら、先輩にかける言葉を失っていた。

 ここは学校の食堂。
 昼食のひと時を気の置けない友人と語らいながら過ごす生徒で、本来はいっぱいであるはずのこの場所。
 しかし残念ながら、今日だけは妙に緊張感の漂う場となっていた。
 勿論その原因は、私の目の前にいる人だ。
 跡部先輩は思い切り顔をしかめた。

「静。何が言いたいんだ?」

「それは・・・」

 困り果てた私の後ろから、思いがけない救世主が現れた。

「そりゃ、天下のテニス部の部長さんが、食堂のど真ん中で彼女に弁当食わしてもろうとったら、誰だって驚くやろ」

「ああ?」

 聞きなれた方言の先輩――――忍足先輩は、はあとため息をつきながら、私たちに近づいてきた。
 そうなのだ。忍足先輩の言うとおり。
 私と先輩は、食堂のど真ん中に陣取って、私の作ってきたお弁当を一緒に食べていたのだ。
 しかも先輩にいたっては、自分で一切箸を持とうとせず、全部私に食べさせろと言い渡している。
 みんなの視線が痛くて戸惑う私の心情なんて、お構いなしだ。

 私がそれをどう伝えようか考えあぐねていたときに、忍足先輩の登場だ。
 私には本当に忍足先輩が天の助けのように思えた。

「ほ、ほら、跡部先輩。きっとみんなびっくりしているので、お昼はご自分で・・・」

「何を言っているんだ。俺と付き合う以上、これくらいのことに慣れなければ、後々大変だぞ」

 えええ!?
 ということは、この先さらに恥ずかしいことを要求されるってこと!?
 助けを求めるように忍足先輩に視線を向けると、案の定気の毒そうな表情を浮かべていた。

「なあ、跡部。彼女が出来て嬉しゅうてしゃあないのは分かるけどな。彼女の気持ちも考えてみい。女の子には恥じらいもあるわけや」

「こいつにそんな恥じらいがあると?」

「え? ああ、そういわれてみれば・・・」

 忍足先輩はまじまじと私を凝視する。
 ・・・・・・って、それはあんまりにも失礼なんじゃないだろうか。

「忍足先輩?」

 じろりと半眼で睨むと、彼はわざとらしい咳払いをした。

「ゴホン。えーと、そうじゃなくてやな。そういうんは、二人きりでやるもんや。みせびらかしてやるもんとちゃう」

 そうだ、忍足先輩、よく言ってくれました!!
 うんうんと、納得してうなずいている私を見た先輩は、とたんに怪訝そうな顔をした。

「見せびらかす? 誰がだ?」

「は?」

 跡部先輩の言葉に、私と忍足先輩の驚きが重なった。
 さらに重ねて先輩は言う。

「付き合っていても、別に隠す必要などないだろう。俺は普通にしているつもりだが、何か問題でもあるのか?」

「・・・・・・」

 私と忍足先輩はあんぐりと口を開けたまま、跡部先輩の言葉にぽかんとした。

「あの・・・その、わざとやっていたんじゃないんですか?」

「? 何のことだ」

「まさかとは思うんやけど、跡部天然なん?」

「ああ?」

 私たちの言っていることが分からないのだろう。先輩は険しい顔をしたまま、私たちを交互に見る。

「お前たちの言っていることが分からない」

 先輩はそう、どきっぱりと言った。

「・・・・・・」

 私は先輩を誤解していたのかもしれない。
 人前でわざといちゃついて、困る私を見て楽しんでいるのだと思っていた。

 ――――が、しかしだ。

 今の先輩からは、人をからかうような空気など読み取れない。
 先ほどの言葉が真実を表している。
 そうとしか思えなかった。
 だとすると・・・。

「なあ」

 不意に忍足先輩が私の肩をぽんと叩いた。

「はい?」

 何だか嫌な予感がして恐る恐るそちらに目を向けると、どこか悟りきった忍足先輩の顔があった。

「これはもう、運命と思うて覚悟を決めるしかないんとちゃう?」

 ぽんぽん、と同情のこもった励ましつきでそんなことを言うと、これ以上付き合うのはごめんとばかりに去っていってしまった。

「何なんだ、あいつは」

 残されたのは、疑問が解決されずに戸惑う跡部先輩と、決定的な言葉を吐かれて呆然とする私、そして相変わらず静かに見つめ続けるギャラリー。
 最悪だ。
 この空気をいったいどうすればいいんだろう。
 静まり返ったこの状況・・・た、耐えられない・・・!

「静」

「は、はいっ!?」

 思わず大声を上げてしまった私に対し、声をかけた跡部先輩は驚いて目を見開いた。

「何だ?」

「いえ、何でもないんですけど・・・先輩こそ、な、何ですか?」

 ああ、鼓動が速すぎて心臓が痛い。
 こっそりと深呼吸していると、跡部先輩がじっと私の目を見つめてきた。

「!」

 この凝視は迫力がある。
 今まで持っていた言葉を全てなくしてしまう。
 思わずそのまま見返していると、先輩がゆっくりと口を開いた。

「お前は俺とこうして飯を食うのは嫌いなのかよ?」

 気がつくと私は首を振っていた。

「嫌じゃないです」

 あれ?
 私何言っているの?
 何で「嫌じゃない」とか言っているの?
 一人混乱する私を差し置いて、跡部先輩はにやりと笑った。

「そうか。じゃあ、食事の続きだな」

 そう言って、先輩は私の手元にある箸を指差した。
 勿論、何を言いたいのかは分かってしまった。

「・・・・・・」

 私は見慣れた箸と、先輩を見比べて、固まって・・・・・・おかずの玉子焼きをつまんだ。
 早起きして私が焼いたものだ。
 震える手を何とか押さえながら、そっと先輩の口元へ運ぶと、あっさりそれは先輩の口の中に消えていった。
 ゆっくりかみ締めた後、先輩は一言。

「悪くない味だ」

 嘘だ、と思う。
 だってそれは、火加減を間違えて焦げてしまっているから。
 まさか先輩に食べさせるとは思っていなかったので、失敗作でもまあいいやと詰めてきたものなのだ。
 それを・・・。

「おい」

「え?」

「手が止まっている」

 さっさとよこせというように、先輩は私のほうへずいと身を乗り出してきた。

 ああ・・・。

 好奇の目を向けられて困っていたはずなのに、私にはいつの間にかそれが気にならなくなっていた。
 気がついてしまったから。
 恥ずかしいけれど、本当は、こうして先輩にお弁当を食べさせてあげたいと思っていた、ということに。
 私は昨日の残り物のからあげを先輩に食べさせてあげる。

 何だろう・・・好きな人が自分のご飯を食べてくれるのって、こんなに幸せな気持ちになるんだなあ。

「静? どうした?」

「あっ、いえ・・・なんでもないです」

 不審そうな先輩を見ても、ニヤニヤが押さえられない。
 そうか、私は先輩にお弁当を食べてもらえたら、幸せになるんだ・・・。
 しみじみとそう思った。

「静、俺が食べ終わったら、今度は俺が食わしてやる」

「あっ、ありがとうございます」

 周りから見れば、完全に空気の読めていない私たちのやり取りが注目を集める中、遠くで私たちをこっそり観察していた忍足先輩が、

「お互い様やなあ」

 と呟きながら、やれやれと首をすくめていたとは、このときの私には知る由もなかった








back