お花見
「ホント、この桜は時代が変わっても全然変わらないんだね」 敷いたシートに座って、下から悠久ノ桜を眺めながら、私はしみじみとそんなことを呟いた。 時は大正。 私が生まれた時代より百年くらい前なのに、この悠久ノ桜だけは、現代見たものと変わりない。 それが懐かしくもあり――――切なくもあった。 もう元の時代には戻れない。過去は変わってしまったから。 たとえ現代に行けたとしても、もう私の居場所はそこにない。 だから私はこの時代で生きていくと決めたのだ。 ――――克と一緒に。 「鳴美? どうしたの?」 あまりにもぼんやりと桜を眺めていたのだろう。 心配して克が声を掛けてきた。 「え? ううん、何でもないよ」 「そう?」 私はうなずいて、視線を克に向けた。 「大丈夫ならいいけど・・・」 そういう彼の手には、私の作ったおにぎりがある。 そもそも、このお花見を言い出したのは克だった。 「ねえ、お花見に行かない?」 私たちがこの時代にやってきてちょうど季節が一周巡ったある日。 不意に克がそんなことを言い出した。 「そういえば、悠久ノ桜がもうすぐ満開だっけ。うん、おじいちゃんやかなえちゃんも誘って・・・」 「あ・・・ううん、ええと・・・できたら、二人っきりがいいんだけど・・・」 「えっ?」 今では家族同様に暮らしている克のひいおじいさんと、養い子のかなえちゃん。 どうして一緒じゃダメなのか聞いてみたけれど、 「えと・・・たまにはいいじゃない。二人きり・・・」 克ははぐらかして教えてくれなかった。 結局ぐずるかなえちゃんを何とか説得して、私たちは二人だけでお花見をしていた。 他にも同じようにお花見をしているグループがいくつかあり、私たちが桜の根元の絶好の位置を取れたのは、奇跡に近かった。 「あ、そうだ」 私は急に思い立って、茶碗にお茶を注ぎ、小皿におにぎりとおかずを適当に載せた。 「鳴美? そんなに食べるの?」 私が突然茶碗と小皿を三つずつ用意したので、意味を図りかねた克は首をかしげている。 私はふふ、と笑うと、それらを載せたお盆を悠久ノ桜の根元に置いた。 「宝玉の人と、桜花さんと桜樹さんの分。何だかまだ、ここにいるような気がして、おすそ分け」 「ああ。なるほど」 ようやく克も納得して破顔する。 私たちはどちらからともなく、薄紅の花の群れに目を向けた。 風に吹かれるたび、花びらが何枚か飛び立っていく。 その行く先はそれぞれだけれど、最後にたどり着いた大地ではもう一度満開の風景を再現するように、ピンクのじゅうたんを作っている。 ああ、何て綺麗なんだろう・・・。 ほっと息を吐き出すと同時に、何故か涙がにじんだ。 「鳴美?」 ぎょっとした克が手を差し伸べて、零れ落ちるものをぬぐってくれる。 「ごめん・・・何だか分からないけれど、急に涙が出てきちゃって・・・」 「鳴美・・・」 克はそれ以上何か聞くでもなく、ただ私を抱き寄せた。 変わらないのは、彼の温かさもそうだ。 優しくてほっとする。 「・・・ねえ、覚えてる?」 独り言のように克がポツリと呟く。 「おれたちがまだ元の時代にいたとき、佐藤がお花見をしたいって言って、三人で約束したじゃない」 「うん、覚えているよ」 「あの日、名虎の宴があって、宝玉が義地に奪われて・・・あの日からすべてが変わっちゃったんだよね」 宝玉が奪われて、私は元の時代に返りたくて、いっぱい時代をめぐって。 その中で自分を失いかけた私を受け入れてくれたのが、この時代と、そして克だった。 「おれ、今の生活に満足しているんだ。もう元の時代には戻れないって事にも、それほどこだわりないし」 でもね、と克は私を見下ろしながら照れたように微笑んだ。 「あの日、鳴美がお弁当作ってきてくれるって約束したでしょ? あの時名虎の宴のごたごたがあって、結局おれ、鳴海の作ったお弁当を食べ損なったんだ」 そういえば、そうだった気がする。 克との約束のお弁当を作るために、図書館に行ったり買い物に行ったりしたのだけれど、言われてみれば、名虎の宴を見て混乱した私は、それ以上お花見を続けることができなくなって、そのまま帰ったから・・・あのお弁当を克は食べていない。 「元の時代の唯一の心残りがそれだったんだよね。だから、悠久ノ桜が満開になったら、鳴美にお弁当作ってもらって、お花見したかったんだ」 あ・・・そうか。それで急にお花見をしたいだなんて・・・。 ん? でも。 「克、毎日私の作る料理を食べてくれているじゃない」 最初は失敗ばかりだったけれど、最近はやっとまともなものを作れるようになっていた。 首を傾げる私に、克は顔を赤く染めて少し視線をそらした。 「だって、『お花見しながらのお弁当』が食べたかったんだ・・・」 こういう克の照れた顔も、変わっていない。 急に胸が詰まって、私も顔に熱が集まるのを感じていた。 じわり、と二人の間だけ空気が熱を帯びたような気がする。 「あ、あ、そうだ、えと、克、何か食べる? いっぱいあるから」 私はあたふたしながらそんなことを言うと、小さな声で、お願いします、と返ってきた。 「うん、じゃあ、取り分ける・・・・・・え?」 小皿におかずを盛りつけようとした私は、ぴたりと手を止めた。 「鳴美?」 凍りついた克はいぶかしんで私の顔を覗き込んだ後、その視線を追って顔を悠久ノ桜の根元に移した。 「えっ!?」 私と同じ克の反応。 「これって・・・」 ようやく私の口からそれだけ言葉が出た。 二人の視線の先――――そこには、先ほど私が料理を取り分けた小皿や、お茶を注いだ茶碗を載せたお盆があった。 が、先ほどと大きな違いがある。 「中身が・・・」 そこに載っていたはずの料理やお茶が、みっつともきれいになくなっていたのだ。 「鳴美! これ・・・」 克はその奥にあった白いものを引っ張り出した。 確か、先ほどお盆を置いたときにはなかったものだ。 何だろうと広げてみてびっくりする。 「これって・・・」 「ウエディングドレス・・・?」 真っ白の生地に、たっぷりのレースときれいな刺繍が施されているドレスに目を瞠っていると、ひらりと一枚の紙が舞い降りてきた。 そこには達筆な手で一言。 「ごちそうさま」と。 「これ、もしかしてさっきの料理のお礼なんじゃない?」 「で、でも、こんな高価なもの、もらっちゃっていいのかな? 私の料理しか出していないのに・・・」 汚してはいけないと慌てふためく私の元に、どこからかまた紙が降ってきた。 「素直にもらっておきなさいよ。私の自信作なんだから」 文字を見ているだけなのに、書き手の声も聞こえてくるようだった。 「桜樹さん・・・・・・うん、ありがとう!」 今はもう姿を見ることはないけれど、見守ってくれている人がいるということがこんなに嬉しいなんて・・・。 「・・・絶対それ着て、結婚式挙げよう」 「うん、そうだね」 桜の花びらが、相変わらず舞い散っていく。 それが、私たちを祝福するような紙吹雪みたいに思えたのは――――きっと、今私はとても幸せだという証拠なのかもしれない、と思った。 |