おかえり




「今日一日、僕に付き合わないかい?」
 そう誘われて、特に疑問も持たずにベルナールについてきたアンジェリークだったが、広い背中を見て歩きながらふと首をかしげる。
「ベルナールさん、どこへ行くんですか?」
「ん? ああ、まだ言っていなかったっけ。磐石の台地だよ」
「そこに何かあるんですか?」
「それは行ってのお楽しみだよ」
 何か含みのある言い方をしたベルナールだが、それ以上説明する気はないらしく、アンジェリークの前を歩いていく。
 普段ものすごく忙しいベルナールと、こうしてのんびり二人きりで歩くのは、どのくらいぶりだろう。
 記憶を手繰ってみたが、はっきりしない。
 一緒に暮らすようになって、毎日顔をあわせているとはいえ、こうして外出するというのはまた違う。
 今日が終わったら、次はいつこうして一緒に出掛けられるのだろう。
 そう思うと、アンジェリークの手は勝手に動いていた。
 ぎゅっと、前を行くベルナールの手を握る。
「アンジェ?」
「あ、すみません。あの、手、つないでもいいですか?」
 子どもじみていると思われるだろうか。そんな不安を浮かべた顔でベルナールを見上げると、彼はにっこりと微笑んだ。
「もちろんかまわないさ、可愛いアンジェ」
「・・・それって、子ども扱いしていません?」
「そんなことないさ。君は立派な女性だよ」
「本当にそう思います?」
「そうじゃなきゃ、奥さんになってくれ、なんていわないよ」
 それはそうかもしれないけれど。
 なんとなく釈然としないものを感じつつも、アンジェリークはベルナールのあとに続いた。



 磐石の大地は、相変わらず見晴らしが良い。眼下には首都ウォードンが一望できる。今日は天気も良く、気候も穏やかで、散策するには絶好の日和だ。
「さ、ここへどうぞ」
 促されて、アンジェリークは、ベルナールが敷いたシートに腰を下ろした。
 顔をなでる風が心地よい。
 澄んだ空気を胸いっぱい吸い込んで、アンジェリークは平和な世界を改めてかみ締めた。
 エレボスの危機は去って、自分は女王にならずに、ベルナールの元へ帰ってきた。
 まだ後始末は残っているものの、世界は少しずつ、輝きをとり戻りつつある。それがアンジェリークにはとてもうれしかった。
 何より、自分はベルナールの隣にいる。
「はい、アンジェ。お茶」
「すみません。全部やらせてしまって」
「いいんだよ。僕が好きでやっていることなんだから」
 甲斐甲斐しく世話を焼きながら、ベルナールもアンジェリークの隣に座った。
「気分転換には良い場所ですね」
「うん。覚えているかい? 昔も良くここへ遊びに来たね」
「花を摘んで冠を作ったり、草の上でお昼寝をしたりしましたね」
「そうそう。君が転んでしまって、泣きながら帰ったこともあったね」
 そのときのことを思い出しているのか、ベルナールはアンジェリークから少し顔をそらして、こみ上げる笑いをこらえている。
 ぷう、とアンジェリークが頬を膨らませた。
「もう、そんなことまで覚えているんですか。やっぱりベルナールさんは、わたしのことをまだ子ども扱いするんですね」
「いや、そんなことはないよ」
 懐かしい思い出をそっとまた胸に返し、ベルナールはアンジェリークの緑色の瞳を見つめた。
「その逆だよ」
「逆、ですか?」
「そう」
 不意にベルナールは表情を改めた。真摯なまなざしが、アンジェリークに瞬きすることさえ忘れさせる。
「本当に、この間まで、小さな子どもだと思っていたのに」
 大きな手が、アンジェリークのふわふわした長い髪の毛に触れる。
「僕の元へ帰ってきてくれて、ありがとう、アンジェ。君が帰ってくるまで、僕は不安でたまらなかった。このまま君が帰ってこなかったら、僕はどうしたらいいんだろうって」
 その存在をしっかりとどめておきたいのか、ベルナールがアンジェリークをしっかりと腕の中に抱いた。
「こうして一緒にいられることが、本当にうれしい。一緒に暮らせることも、君が僕の奥さんになったこともね」
 あ・・・。
 アンジェリークははっとして顔を上げた。
「わたしも。ベルナールさんと同じ気持ちです」
「本当に? だったら僕は、どれだけ幸せ者かな」
 アンジェリークを抱く腕の力が、強くなった。
「今日は君に、改めてお礼を言いたかったんだ。ここなら、普段言えないことも言えてしまう気がして」
「ベルナールさん・・・」
 アンジェリークはきゅっとベルナールのシャツを握った。
「絶対に、放したりしない。ずっと君を守っていくよ」
「・・・はい」
 嬉しさのあまり思わずこみ上げた涙を隠すように、彼の腕の中で少しうつむきながら、アンジェリークはしっかりとうなずいた。




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