お返しのもの
かすかなノックの音に、アンジェリークは読んでいた料理の本をめくる手を止めた。
昼のやわらかな光が窓から差し込んでいる。
「はい、どなたですか?」
「オレだ。少し良いか?」
誰何の声に答えたのは、アンジェリークの胸を高鳴らせる声の持ち主だった。
「レイン?」
アンジェリークがドアを開けると、そこにはトレイを持ったレインが立っていた。
トレイの上にはティーセットと、二片のアップルパイがあった。
「ジェイドが焼いたんだ。一緒に食べないか?」
どうしたのか問う前に、レインは先にそう言った。
「ええ、嬉しいわ」
焼きたてなのだろう、ほのかに湯気がたっており、とろりとりんごのコンポートがパイ生地からこぼれ落ちそうなところが、さらに食欲を誘う。
「凄いわ。美味しそう」
「そ、そうか…? あ、いや、そうだな。ジェイドの焼いたものだからな」
レインは手際よくテーブルの上に、お茶の用意を整える。
「ふふっ、レインにお茶をいれてもらえるなんて、何だかくすぐったい気持ちだわ」
「別に、お前が望むなら、いつでもいれてやる」
立ち上る香りに誘われるまま、
「いただきます」
アンジェリークは早速アップルパイを一口食べる。
その様子を、レインはじっと見つめている。
「どうだ? うまいか?」
どこか恐る恐る、といった様子のレインに、アンジェリークは小さく首を傾げた。
「何だ? 美味くなかったか?」
「……ううん、違うわ」
レインの問いかけに首を振りながらも、彼女は釈然としない様子で、ポツリと問うた。
「とても美味しいけれど、ジェイドさんが焼いたものではないんじゃないかしら?」
「え…!? 分かるのか?」
レインの驚きで、アンジェリークはやっぱりと、納得したようにうなずく。
「良かった。気のせいではなかったのね」
「参ったな。こんなにあっさり見抜かれるなんて…。どうして分かったんだ?」
「あまりうまく言えないのだけれど…、アップルパイにかけた気持ちの違いかしら。ジェイドさんのお料理は、いつも笑顔がこめられているけれど、これは違う気がして」
「どう違うんだ?」
鋭いレインの質問に、少しだけアンジェリークは言葉につまったが、すぐに答えは出た。
「こう…何だか気持ちが温かくなるの」
同じアップルパイのはずなのに、と自分でも思う。
しかし、料理は愛情。
こめた思いによって、いくらでも別物に変わるのだ。
「これは、レインが作ってくれたの?」
それしか考えられなかった。
その考えが正しかった証に、レインは苦笑いを浮かべながら彼女の言葉を肯定した。
「ああ、その通りだ。ジェイドに教わりながら、オレが作ったが…まさか見破られるとは思わなかった」
「レインのくれる気持ちは、いつだって私を幸せにしてくれるわ」
「そう言ってくれるとうれしいぜ」
レインはアンジェリークの背後に回ると、そのまま抱き締める。
「今日はホワイトデーだからな。お前へのお返しだ」
「私もレインに、こんな温かい気持ち、あげられているかしら?」
「当たり前だ。本当はもっと、もっともっと、お返しがしたい」
耳元でそう囁いたかと思うと、レインはアンジェリークの頬に手を添えた。
そして、彼女に横を向かせてから、そっと唇を重ねる。
「いつも、ありがとう」
「こちらこそ、ありがとう、レイン」
間近で目が合って。
同時に微笑み合ってから、二人はもう一度、りんご味のキスをした。