お見合い



「すまん、紗依!」
 彼のアパートを訪れた紗依は、ドアを開けるなりいきなり心ノ介に頭を下げられた。
「ど・・・どうしたんですか、いきなり」
 たじろぐ紗依に、心ノ介はがばっと顔を上げた。
「紗依、俺が好きなのはお前だけだからな! それは信じてくれ!」
「え、え、え。何? 何ですか?」
 何が何だか分からない紗依は、心ノ介のそばにひざをついて顔を上げさせようとする。
 そんな彼女を、心ノ介は思い切り抱きしめた。
「好きだ、紗依ぃぃぃっ!」
「き、きゃああっ!」
 あまりの勢いに、思わず悲鳴が出た。
「お、落ち着いて! 心さん、本当にどうしたんですか?」
 玄関先で押し倒されながらも、紗依は何とか暴走する心ノ介を鎮めようと必死だ。
「どうどう、落ち着いて」
「ウウッ・・・」
「ほら、怖くないから」
 よしよし、と頭を撫でてやると、心ノ介はようやく野生から戻ってきた。
「・・・悪ぃ」
「いえ、まだ何のことで謝られているのか分からないんですが・・・どうかしたんですか?」
 紗依がいぶかしげに眉を寄せると、いつもは明るい心ノ介の顔がとたんに曇る。
「・・・実はな、ちょっとした厄介ごとに巻き込まれていて・・・その、俺がお前と再会する前に、助けたおっさんに色々生活の世話してもらっていた、って話、覚えているか?」
「はい。確か、絡まれているところを助けたんですよね」
「ああ」
 この世界にやってきた心ノ介が紗依と再会する前に、彼は若者に囲まれていたおっさんを助けてやった。
 そのおっさんのおかげで、こうして戸籍もない心ノ介は現代で人並みに生活を送るのに、不自由をしていない。
「そのおっさんが、どうかしたんですか?」
「ん・・・その・・・な」
 どうにかうまい言葉を捜していたようだったが、結局ふさわしいものが思い浮かばなかったのか、心ノ介はうなだれながら言った。
「おっさんには娘がいて・・・その・・・その娘と会ってみろ、と」
「えっ!?」
 それってまさか、お見合い?
 驚いた表情を向けると、責められていると感じたのだろう。
 心ノ介は大きく首を振った。
「違う! 俺はその娘に興味はないし、てゆーか、お前だけだ。この気持ちに揺るぎはねえよ」
「その娘がとてつもなく可愛くて、性格も良くて、スタイル抜群でも?」
「馬鹿、見くびるな。お前にかなう女なんていねえよ」
「!」
 気の利いた台詞は言えない心ノ介であるが、その分彼の言葉には嘘偽りがない。
 思わず紗依の顔が赤らむ。
 対する心ノ介は重い口をどうにか動かしていた。
「だがな、おっさんには色々世話をしてもらった恩がある。何かそのおっさん、えらく俺を気に入ってくれていてな。ぜひ娘と! とか何とか言われちまったんだ。ここで断ったら、恩をあだで返すようで・・・だから、今回も無下に断るわけにいかない気がしてな・・・」
 紗依よりも大きな体が、しゅんと小さくなった。
「本当はお前がいるからって、きっぱり断りたい。だが、一応義理は果たさねえとならねえ。・・・お前は面白く思わないだろうが・・・」
 申し訳なさそうにうなだれる心ノ介に、紗依はすかさず首を振った。
「いいえ、そういうところ、心さんらしいです」
 受けた恩義に対して誠実であるところ。
 そこも彼の良いところだ。
「それに――――」
 紗依ははにかんだような微笑を浮かべた。
「私は心さんを信じています」
「紗依・・・」
 彼女の言葉に感極まったのか、心ノ介は思い切り紗依を抱きしめる。
「いっ、痛いですよ・・・」
 骨がきしみそうなくらい強く抱きしめられ、思わず顔をしかめる紗依の首筋に、心ノ介は首をうずめた。
「紗依・・・」
 いつもより低い声が、心を震わせる。
 その滅多に聞けない低音がどれだけ紗依の鼓動を早くするか、本人は知らないだろう。
「や、約束は、いつなんですか?」
 苦し紛れにそんな質問をすると、心ノ介はあっさり一言。
「今夜」
「今夜? また突然・・・」
「いや、言いづらくてずるずると」
 紗依に嫌われるのではないか、と心ノ介なりにずいぶん悩んだのだろう。
 それを思うだけでも、紗依の口元には笑みが浮かんだ。
「あっ、笑い事じゃねえ」
「すみません。でも、嬉しかったから」
 紗依は心ノ介の背に手を回すと、ぎゅっと力を込めた。
「・・・心配しなくても、ちゃんと断ってくるから」
 頭上からそう聞こえたかと思うと、心ノ介の腕の力も強まった。
 それだけで彼の誠実さが伝わってくる。
 こみ上げる思いを、紗依は一言に込めた。
「うん・・・信じてる」





「ああ、紗依。やっと帰ってきてくれたのね」
 家に帰るなり、忙しそうな母親に紗依は面食らった。
「どうしたの?」
「それがね・・・」
 困ったように紗依の母親は手を頬に添えた。
「お父さんがね、急にお客さんを連れてくるって言い出したのよ」
「お客さん?」
 珍しい。
 父親はそういう付き合いが得意な人ではなかったのだ。
「だから、急いで準備しないと。紗依、あなたも手伝って頂戴」
「うん」
 紗依は自室で着替えてから、台所へ降りる。
「もう。もう少し早く言ってくれれば、色々準備できるのに」
「誰が来るの? 会社の人?」
 ぶつぶつ文句を言う母をなだめるように、紗依は問を投げる。
 忙しさのほうが怒りより上回っていたのだろう。
 母はすぐにまなじりを下げて、困惑の表情を浮かべた。
「さあ・・・ただ、あなたには必ず家にいてほしいって言っていたわよ」
「? 私の知り合いなのかな・・・?」
「どうかしら。お父さんたら、やけに嬉しそうだったのよね・・・何かおかしなこと考えていないと良いんだけど」
 ため息をつきつつも、長年主婦をやっているだけあって、母の手さばきは鮮やかだった。
 紗依は食器を出したり、料理を並べたりと、母の邪魔をしないように来客の準備を進める。
 私に家にいてほしいって、どういうことなんだろう。
 まさか、受験勉強のために、家庭教師でもつけるつもりなんだろうか。
 ・・・この間のテスト、ひどかったからなぁ。
 あまり人付き合いが得意でない紗依は、今から来客への不安で気分が沈んでいく。
 と、そのとき、玄関から、ドアが開く音と、父の「ただいま」という声が聞こえてきた。
「はーい」
 ぱたぱたと母が玄関まで出て行く。
 客も一緒にいるらしく、母のかしこまった声が聞こえた。
 そして、客の声も・・・・・・。
「えっ!?」
 思わず紗依は声をあげた。
 その声に聞き覚えがあったから。
 知らぬうちに駆け出していた。
 廊下に出てきた紗依を見た父の声は、彼女のあわて振りとは対照的に、暢気なものだった。
「ああ、紗依、ちょうど良かった。彼は父さんの知り合いで、村雨心ノ介君と・・・」
「あーーっっ!!?」
 父の言葉を打ち消して、紗依と、客である青年はお互い指をさして、仲良く大声を上げた。





「・・・まさか、心さんに助けられたおっさんが、うちのお父さんだったなんて」
 しみじみ紗依が呟いたのは、彼女自身の部屋だ。
「俺だって、あのおっさんが紗依の父さんとは思いもしなかったぜ」
 隣に座る心ノ介も、驚きのさめぬままどこかぼんやりしている。
「でもま、そのおかげで、すっかり俺はお前の婚約者扱いなんだけどな」
「そ、それは・・・」
 かあっと紗依は頬を赤く染めた。
 あの後、心ノ介と紗依はすでに知り合いであること、それだけでなく心ノ介は紗依の恩人で、すでに知り合い以上の関係である、と知ってから、紗依の両親は非常にご機嫌だった。
 特に母親のほうは、今まで一切浮いた話のなかった娘の春に、はしゃいでさえいた。
 夕食は、やたら二人が紗依たちの中を聞きたがるので、二人で顔を見合わせあいまいに答えることしかできなかった。
 それはそうだろう。
 馴れ初めなんて聞かれても、本当のことを言ったほうが嘘っぽい。
「すみません・・・あんなにうちの親が浮かれるなんて」
「いや、何か懐かしかったぜ。家族って、あんな感じだもんな」
 そう言う心ノ介の声があまりにもしんみりとしていたので、紗依はとっさに彼の手を握った。
「紗依?」
「心さんだって、家族の一員ですよ」
「えっ」
 侍に憧れて家を離れてから、ずいぶんと経った。
 その間、家族がいなくてさびしいと思うことはなかった。
 それは周りに仲間がいたせいかもしれない。
 だが久々に触れた家族は、長年忘れていたものを呼び覚ました。
 郷愁は心ノ介の想像以上に彼を沈ませていた。
 それを、いとも簡単にこの娘は拾い上げてしまう。
 心ノ介は口元に笑みを作った。
「そうか・・・」
 そして、ぎこちない手つきで紗依を抱き寄せる。
「・・・心さん?」
 ふと見上げた心ノ介の目に浮かぶ意思に、紗依は気がついた。
 だが、抵抗はしなかった。
 彼にしては奇跡的なくらい自然な流れで、心ノ介は紗依を押し倒した。
 何かの力で引き寄せられるように、互いの息がかかるくらいに顔が近づく。
「紗依・・・」
「心さん・・・」
 どちらからともなくそっと目を閉じる。
 もう少しで互いの唇に触れそうになったとき――――
「紗依ー、心ノ介君ー! お茶が入ったわよー」
 タイミングよく階下から紗依の母親の声がした。
「!」
 はっとして心ノ介がもの凄い跳躍力で部屋の隅まで飛び退いた。
 紗依も我に返ったものの、顔を赤くしたまま呆然と天井を見上げている。
「・・・・・・」
 気恥ずかしさで、二人とも相手の言葉を待つ。
 しばし沈黙が続いた後、示し合わせたわけでもないのに、二人がゆっくり相手のほうへと視線を向けた。
 紗依も心ノ介も驚きと恥ずかしさで顔が赤い。
 互いにそれを確認すると、同時に笑みがこぼれていた。
「・・・お茶ですって。行きましょうか」
「ああ・・・。そうだな」
 つい先ほどまでは大胆なことをしようとしていたというのに、今は手をつなぐことさえ戸惑って、なかなかうまくいかない。
 でも、何故かそれが心地よかった。
 ようやく互いの手をとらえると、二人は笑顔で部屋を後にした。






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