お天気雨
会場を出るときは、あれ程綺麗に晴れ上がっていた空が、にわかに曇り始めたかと思うと、一気に大粒の滴が落ちてきた。 「あかん、夕立ちや。走るで」 「はい!」 一緒に買い出しに出かけていた蔵ノ介さんに促されて、私達はさほど離れていなかった小さなカフェの店先に駆け込んだ。 庇のついた店先には、ちょうど並んで雨宿りできるくらいのスペースができていた。 「びっくりしたわ。いきなり降り出すとは」 「お天気予報では何も言っていなかったですもんね。荷物、濡れてないかな」 「大丈夫やろ。工具中心やから、濡れても別に問題ないわ」 それよりも、と蔵ノ介さんは左手で手招きした。 「もっとこっち。端っこやと水がはねてまうやろ」 「は、はい・・・」 少しだけ蔵ノ介さんとの距離を詰めるが、それだけでは彼は納得しなかったらしい。 「遠慮せんと、もっと」 「きゃっ!」 蔵ノ介さんは、ぐいと強引に私の肩を抱き寄せた。 「!」 すぐ近くに蔵ノ介さんの胸があってびっくりした。 それよりも肩を抱く手の感触が、私の胸をざわめかせる。 ――――どうしよう。近すぎる・・・! 何も言えず、何もできないまま茫然と立ち尽くす私には気にも留めず、蔵ノ介さんは空を見上げた。 「空は晴れとるから、すぐやむやろなぁ」 それは私に語りかけるというよりは、独り言に近かった。 「知っとるか? こういうんを、狐の嫁入りゆうんやて」 「ええと・・・空は晴れているのに、雨が降ってくる天気のときのことですよね」 詳しくは知らないけれど、そう言う話は聞いたことがあった。 目は伏せたまま答えると、蔵ノ介さんはふっと笑った。 「今、どっかの狐が嫁入りしとるんやろな。めでたいこっちゃ」 「きっと、可愛いお嫁さんですよね」 想像すると、心が和んだ。 白無垢の狐さんが、紋付き袴の狐さんの待つおうちへ向かう姿はメルヘンで可愛い。 「何や、静はそういうんが好きか?」 「はい、狐さんがお嫁入りなんて、考えただけで可愛いです」 「ちゃうちゃう、そっちやなくて」 蔵ノ介さんは私の顔を覗き込んで、とんでもないことを訊いてきた。 「自分のお嫁入りの話や」 「ええっ! わ、私ですか!?」 そや、と蔵ノ介さんはうなずく。 「自分、お嫁さんに興味あるんか? その予定とかは?」 「ないですよ! だ、だいたい、まだ結婚できません! そ、そりゃ、憧れますけど・・・」 私だって女の子だ。 好きな人のお嫁さんになることを、想像してみたりすることはある。 好きな人、というところで、目の前の蔵ノ介さんとばっちりと目があってしまった。 「!」 とたんに恥ずかしさがこみ上げてきた私は、慌てて顔をうつ向ける。 馬鹿! 私ったら、何を想像して・・・!! 一瞬だけだったが、白いウエディングドレスを着ている私と、白いタキシードを着ている蔵ノ介さんの絵が頭の中に浮かんで、思考が完全に停止した。 真っ赤になった私をどう思ったのか、蔵ノ介さんは囁くように問いを重ねる。 「なあ、どうや? お嫁さんになりとうなったら俺が・・・」 そこまで言いかけたところで、彼は再び空を見やった。 「おっと」 そして、苦笑いを浮かべながら、残念そうにため息をつく。 「雨、やんでもうたな」 「あ・・・」 本当だ。 いつの間にか先ほどまでの激しい雨は過ぎ去っており、照りつける残照が水たまりに反射して眩しい。 「あーあ。もうちょっと雨宿りしとっても、罰は当たらへんやろ」 誰にともなく呟く蔵ノ介さんは、笑みこそ浮かんでいるが本当に残念そうだった。 「あ・・・」 肩から外された手を追うように、蔵ノ介さんの左手を見つめていると、蔵ノ介さんが気がついた。 「あっ、いえ、その・・・」 どうしよう。 肩を抱かれていた手が離れていったことを、自分でも驚くほど名残惜しく感じていた。 そのことが蔵ノ介さんにも分かってしまったなんて、恥ずかしすぎる。 「っ・・・」 言葉が続かない私に、蔵ノ介さんは何も訊かなかった。 代わりに、何でもないことのように自然に、左手を差し出してくれる。 「ほら、はよ帰ろ。皆首を長うして待っとるわ」 差し出された、大きな手。 ためらいながらもそっと自分のそれを重ねると、思いのほか強い力で握り返された。 あったかい。 凄く安心できる。 「・・・その顔は、反則やと思うんやけどな」 くすりと蔵ノ介さんが笑ったことも、私は気付かなかった。 じんわりと心の芯が温まってく感じは、きっとお嫁に行く狐にも負けていないと思う。 いつもより少しだけ歩調をゆっくりにして、私達は会場へと戻って行った。 |