大人の階段




 籠もりの期間があけ、いよいよ今日、私は皆の前に成人姿を披露することとなった。


「これで、レハト様も大人の一員ですね」


 唯一顔を会わせていたローニカは、嬉しそうにそう言ってくれたが。


「ふぅ…」


 正直私の心には靄がかかったままだった。
 原因ははっきりしている。


 ――――ヴァイルだ。


 互いに籠もりの期間があける彼とは、一月ぶりに会うわけだが…。
 だんだん自分の体が女になっていくにつれ、彼の言葉が無性に気になりだしたのだ。


 あれは、籠もりの期間に入る前のこと。
 私が王位継承権を返上したのち、神殿で性別を認められた、あの日の夜のことだ。


「変になったらどうしよう」


 成人した後の姿を、彼は心配していた。
 まさか変になるなんてと、その時は気にも留めていなかったのだ。
 が、しかし。


「もしかして私のこの姿は、ヴァイルの言う『変』にあたるのではないだろうか…」


 一度それとなくローニカに尋ねてみたものの、


「まさか。レハト様は王配にふさわしく、立派にお変わりですよ」


 と、何故か妙に力説されてしまった。
 だが、彼は私にたいして甘いところがあるから、話半分にとらえると良いだろう。
 ということは、可もなく不可もなくと言ったところか。


 あまり人の美醜には興味のなかった私だが、私のこの姿が、果たして彼に釣り合っているのだろうか。
 そのことを判断できないのが、こんなに不安になるなんて。


 もうすぐヴァイルが迎えにくる。
 籠もりの期間がすぎたら即、戴冠式と結婚式が待っているのだ。
 準備はすでに整っているらしいので、今日からは衣裳作りが急ピッチで始まる。
 衣裳合わせは二人揃わぬと進まない。
 この衣裳合わせが実質、私たちの成人姿のお披露目となるのだ。


 トントン。


 控えめなノックの音に、私の鼓動ははね上がった。


「ああ、きっとヴァイル様ですね」


 ローニカは上機嫌のまま、対応に出ていった。


 ――――うわぁ。


 微かに聞こえたのは、少し低めではあるが、間違いない。
 ヴァイルのものだ。


 彼はどんなふうに変わったのだろうか。
 ふとどうしても彼の姿がみたくなって、私はこっそりとドアの方へと近寄る。
 そのくせ自分の姿を見せる勇気はなかったので、大きなフードをかぶった。


 ローニカの背中越しに、確かにヴァイルがいる。
 もう少し、ずれてくれないだろうか。
 その思いが通じたのか、ローニカが少しだけ振り返った。
 と、同時に、不意に私の目にヴァイルの姿が飛び込んできた。


「っ!!」


 金髪、碧い目。
 額には紛れもない、王となるものだけに出る証である印が浮かんでいる。
 それだけヴァイルだと分かった。


 しかし。
 しかしだ。
 いつのまにか背は伸び、肩幅は広くなり、顔つきが凛々しくなっている。
 私の知っている彼にはあった、中性的な可愛らしさはどこにもない。
 完全な「男性」が、そこにはいた。


 私が驚きのまま立ちすくんでいると、ヴァイルとローニカの会話がはっきり聞こえてきた。


「これはこれは。ヴァイル様におかれましては、立派なお姿になられまして。見違えました」

「あ…ああ。変じゃない? この姿、まだ慣れないんだけど」

「まさか。しかし、ふふっ」

「な、何?」

「レハト様も同じことを気にされていらっしゃいました。ああ、勿論、レハト様も立派な女性になられましたよ」

「レハト、いる?」

「勿論でございます」


 ローニカはヴァイルに一礼して、こちらへ戻ってきた。


「わわ!」


 待った。
 待ってくれ!
 あんな急に大人びたヴァイルと向き合うことについて、まだ私は心の準備ができていない。


 だが、うれしそうなローニカは、容赦なく近づいてくる。
 どうすれば…!
 パニックに陥った私の目に映ったのは――――


「れ、レハト様!!」

「ごめん、ローニカ!」


 私はフードをかぶったまま、窓から飛び出していた。






 まだ動悸がひどい。
 どこをどう走ったものか、私は城の裏手に来ていた。
 城の者に会わないよう、という意識が、無意識のうちに働いたのであろう。


「はぁ、はぁ…」


 呼吸を整えつつ、体を城壁へ預ける。
 一ヶ月間籠もっていたせいで、どうも体力が衰えてしまったようだ。


「ちょっと息があがるの、早くない?」

「全くその通り……」


 って!?
 聞き覚えのある声にはっとしたのと、とっさに逃げ出そうとした体を拘束されたのは同時だった。


「レハト、つかまえた!」

「ヴァイル!? なんで」

「何でって、こっちが訊きたいよ。急に逃げ出してさ」


 それはヴァイルが格好良すぎたから。
 そのことをうまく言葉にできなくて、モゴモゴ口籠もっていると、背中にヴァイルの体重がかかった。
 直に伝わる彼の体温に、再びどきりと胸が高鳴る。
 耳元に、低めの声が聞こえた。


「俺の姿が、やっぱ変なのかと思ったよ」

「それは、違う…!」

「じゃあ、俺のことが嫌いになった?」

「それも違うよ」

「だったら、どうして逃げたのさ」


 静かな問い掛けなのに、沈黙を許さない。
 腕の力も、私の逃亡を許さない。
 私の逃げ場所はどこにもなかった。


「逃げたのは…だって、あんまりにもヴァイルが格好良くて…」

「え…うええ!?」

「わ、私こそ、変なんじゃないかと思って…」


 気付かなかったが、私を後ろから抱き締めるヴァイルは、私の体より大きい。
 一月前は同じくらいだったのに、私たちは確実に違う性別に変わっていた。


「あ、そういえば、俺まだレハトの姿、見てないや」


 私はフードを被っているうえに、後向きだ。


「なー、こっち向いて」

「良いって、見なくて。絶対がっかりするから」

「しないって!」

「嫌いになるかも知れない…」

「なるわけないだろ!」


 私の言葉が気に入らなかったのだろう。
 ヴァイルは無理矢理私を振りかえさせた。
 そして、戸惑う私に抵抗する余裕も与えぬまま、容赦なく私のフードを取り去った。
 ついに、私の顔はヴァイルの前にさらされる。


「――――っ!」


 息を呑む彼は、大きく目を見開いた。
 奇異なものでも見るような反応だったので、きっと私の方は変になってしまったのだろう。


「も、もう良いだろう」


 私はフードをかぶろうとした。
 しかし。


「あっ、ダメ!」

「え?」


 ヴァイルがフードを剥ぎ取ってしまった。


「ヴァイル、ダメだって。変になってしまったんだから、隠さないと…」

「変? レハトが?」

「だって、ヴァイル、硬直していただろう。無理しなくても…」

「違うよ、違う!! そうじゃないって!」


 慌てたヴァイルは、何を思ったのか、いきなり私を抱き込んだ。


「きゃっ!」

「ほらあ、悲鳴とかさ。反則なんだって」

「え?」


 苦笑気味に笑みを浮かべるヴァイルの眼差しは、どこまでも穏やかだ。


「ビックリしているのはレハトだけじゃないってこと。俺だって…レハトが綺麗になっていて驚いたんだから」

「き、綺麗!?」


 思いがけない、しかも私には縁のない単語だったものだから、私はすっとんきょうな声を上げた。


「ヴァイル、お前、目が悪くなったんじゃ…」

「なっ! ひでー。レハトだってさっき、俺のこと格好良いとか言ったくせに」

「だってそれは、本当のことで…」

「俺だって本当にそう思ったんだ」


 どこかむきになって、ヴァイルは私の体をさらに強く抱き締める。


「成人の儀がおわって、これでさ、ようやく俺たち夫婦になれる」

「そうだね…」

「その時に証明されるよ。俺の目が悪いんじゃないって」


 気が付くと、いつの間にか間近にヴァイルの顔があった。


「ねえ、レハト。」


 ヴァイルはゆっくり目を細める。
 言葉には出さずとも、彼が何を要求しているか分かったので、私も静かに目を閉じる。
 唇に自分ではない吐息がかかる。


「結婚したらいっぱい子ども作って、みんなでにぎやかな家族、作ろうな。俺、王の仕事と同じくらい、家事も手伝うから」


 だから、一緒にいよう――――
 言葉にしなくても、その気持ちは彼の唇を通して十分伝わってきた。


(私も同じ気持ちだよ)


 その思いをこめて、私はヴァイルの体をきつく抱き締めた。
 これから先、離れ離れにならないことの、誓いを立てるように――――








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