恋愛初心者




「こら、待て!」

「きゃっ!」

 突然角からレインが飛び出してきて、アンジェリークは思わず、片付けるばかりであった洗濯物を落としてしまった。

「あっ、いけない!」

 陽だまり邸の廊下にぶちまけてしまった洗濯物に気を取られていると、その傍らをびしょぬれになったエルヴィンが風のように駆けていった。

「わ! アンジェ!? 悪い!」

 レインはアンジェリークに危うくぶつかりそうになってたたらを踏んでから、彼女の落としたものを拾おうと身をかがめた。
 とたん、アンジェリークの手の甲に、ぽたりと冷たい雫が落ちた。

「レイン? どうしたの、そんなに濡れて・・・」

 よく見れば、彼は頭らか水をかぶったのか、先ほどのエルヴィンと同じくらい濡れている。
 先ほどいきなり飛び出てきたことといい、いったい何があったのだろう。
 すると、彼は顔をしかめた。

「ああ、エルヴィンを洗ってやろうと思ってな。お前がいつも苦労しているから、たまにはと思ったんだが・・・」

 そう言って、レインは濡れて額に張り付いた髪の毛を掻き上げた。

「あいつ、もの凄く抵抗して、うっかりオレまでこの有様だ。しかもまんまと逃げられてしまった」

「まあ。そうだったのね」

 アンジェリークは洗いたてのタオルを差し出しながら、何気なくレインに視線を向けて――凍りついた。

「!?」

 はっとした。
 濡れた髪の毛をうっとうしそうに後ろへ流しながら、眉を寄せて不機嫌さを表しているレイン。
 そんな彼を見た途端、アンジェリークは自分でも驚くほど、どきりとした。
 普段隠れている額や、への字に曲がった口元、雫が流れていく首筋、くっきり浮かび上がった鎖骨、しなやかな腕に、晒し出された腹筋・・・・・・。

「? アンジェ?」

 名前を呼ばれてはっとした。

「な、何!?」

 思わず声が上ずってしまうアンジェリークに、レインは首をかしげる。

「どうしたんだ?」

「い、いいえ、何でもないわ」

 対するアンジェリークは、これ以上ないほど何度も何度も首を振る。
 顔が真っ赤であることは自分でも分かったが、それをレインに悟られるのはさらに恥ずかしい。

 ――――すっかりレインに見惚れていたわ。

 我を忘れて、彼に見入っていた。
 そのことが、アンジェリークの顔をさらにさらに赤くしていた。

「まあ、いい。それより」

 レインはアンジェリークの手元を指差す。

「それ、貸してくれないか?」

「あっ、ええ、どうぞ」

 手に持っているタオルのことを言われたのだと思って、アンジェリークは手を伸ばした。

「ありがとう」

 そう言って、レインはアンジェリークの手は取らず、代わりに彼女の背中に手をまわした。

「! レイン!?」

 まさか抱きしめられるとは思っていなかったアンジェリークの心の中は、まさに嵐のようだ。
 目の前がぐるぐると回っているような気さえする。
 そんなアンジェリークが面白かったのか、レインは声をたてて笑った。

「温めてもらうには、人肌が一番だな」

「も、もう・・・」

 レインに抱きしめられるのは初めてではない。
 ただ、まだ抱きしめられたらどうしていいか、分からないだけ。

「温かいな・・・」

「レインは冷たいわ」

「じゃあ、お前が温めてくれ」

「レインたら・・・」

 しっかり水気をぬぐっていなかったため、レインは思いのほか濡れている。
 そんな彼に抱きしめられているので、もちろんアンジェリークだって、服が湿ってしまった。
 だが、アンジェリークには不快感は一切ない。

「あ・・・」

 レインの腕の力がこもる。
 その瞬間、胸が詰まった。
 先ほど見惚れていた全てが、今自分に触れている。
 それが、信じられないほど幸せだった。

「レイン・・・好きよ」

 知らないうちに、そう、小さくつぶやいていた。

 ――――聞こえたかしら?

 そっと顔をあげると、そこにはあふれんばかりに喜びを表したレインの笑顔があった。
 その笑顔に目を奪われている間に、彼はアンジェリークの額にキスを落とした。

「オレも、好きだぜ」

 自分の言葉を証明するかのように、レインは改めてアンジェリークを強く抱きしめた。
 彼の気持ちが伝わってくると思ったので、アンジェリークも負けじとぎゅっと抱きつく。
 あれだけ冷たく感じた彼の体も、もう全然冷たくなかった。

「・・・エルヴィンも、なかなか良い働きをしたな。お前とこうして抱き合えるなら、また頑張ってみるか」

 冗談なのか本気なのか、レインが耳元で囁いたので、アンジェリークはぞくりと背筋を震わせた。
 再び赤くなってしまった顔を隠すように、アンジェリークは顔をレインの胸に押しつける。

 ――――そんなことがなくても、抱き合いたいわ。

 そんなことは、今は恥ずかしくて口に出せないけれど、いつかはっきり口にできたらいいなと、アンジェリークは思った。
 







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