再会の日
放課後の山吹中。 部活がある生徒は、めいめい校庭やら体育館やら部室へ向かっている。 そのまま帰る生徒もいるし、委員会の仕事があるのか、忙しそうに駆けている生徒もいる。 運動着と制服の生徒が行きかうその中に紛れるように、明らかに怪しい一団がそこにいた。 「ふっふっふ。誰も気づいてへんな」 人目につきにくい木陰で、不敵に笑う不審者その一。 「そうね、変装は完璧よ!」 くねくねと身をくねらす不審者その二。 その言葉に、不審者一は誇らしげに胸を張った。 「そやろそやろ! 俺の変装は完璧やねん」 「きゃっ、素敵!」 「そない褒めんなや。照れるやないか」 いちゃいちゃべたべたする不審者その一とその二の横で、ため息をついたのが不審者その三。 「はあ・・・。何で変装までして山吹中に乗りこまなあかんのですか。やっぱアホっすわ、先輩達」 明らかにやる気がない。 不審者その四は、そんな不審者その三の頭を横から小突く。 「でも、気になるやろ。白石の彼女やで?」 「正直どうでもいいっすわ。俺めんどいこと嫌いやのに」 「まあっ、そんなこと言っていたら、素敵な恋は出来ないわよ?」 「そや! ちょっとモテるからって」 不審者その一とその二が絡んだことで、さらにその三は嫌な顔をしたが、その四が「しっ!」と親指を立てて一同を収める。 「静かにしぃや! おい、それで、どの子が白石の彼女やねん」 不審者その四は、後ろに控えている長身の不審者その五を仰ぎ見た。 「・・・俺も、できれば不法侵入は遠慮したかったばい」 「何ゆうてんねん。お前しか顔分からへんやん」 「金ちゃんも知っとーとよ」 「アホゆうなや! あいつ連れて来よったら、こっそり侵入なんてできへんやん。絶対正面から突っ込んでって捕まるで。俺らこの年で前科持ちは勘弁や。ちなみに銀さんは、あの貫禄からこの侵入作戦にはアウトっちゅー話や」 はあ、とその五はため息をついた。 「顔見たらすぐ帰るけん、それでよか?」 「十分や。おっ、何や女の子がぎょうさん歩いてきたわ。あん中におるか?」 その四が指さした先には、女の子の集団がいる。 きゃっきゃと騒ぐその一その二、ものすごくやる気のないその三を尻目に、その五は目を眇めた。 「・・・ん」 校門へと歩いてくる集団の中。 白い制服の眩しい一団の中で、どちらかと言えば大人しめの女の子を、その五は指さした。 「あの子ばい」 「きゃっ! どの子どの子?」 「どれどれ」 その五が指さした先の女の子は、同級生と楽しげに話をしている。 髪の毛はセミロングで、色は自然なこげ茶。 背丈は他の子と同じくらい。 顔立ちは華やかではないけれど、可愛らしい。 白い制服が良く似合っている。 「意外や」 「意外ね」 「意外っすわ」 「意外やな」 ものすごくぴったりと四人の声が重なった。 「ばってん、白石の彼女はあの子たい。文化祭準備中に仲良くなったけん、俺も顔しか知らんばい」 ああ、一回一緒にトランプばしたことあった、等というその五の言葉を、残り四人は聞いていなかった。 「白石はあのルックスやろ。彼女ゆうたらもっと派手な子かと思うたわ」 「でも、そういえば蔵リンあれで奥手よ。分かる気もするわ」 「正直どうでも良いですわ。もうええんとちゃいますか」 「ますますどんな子か興味湧いてきたな」 よしっ、とその四が気合を入れた。 「俺がひとっ走りして、あの子の実態を掴んできてやるわ」 「きゃっ! さすが浪速のスピードスターね!」 「なっ、浮気は許さんで!」 そんなやり取りがなされているとは知らないその子は、五人の前を通り過ぎていった。 校門を出たことを確認すると、その四は金色の髪の毛をなびかせて、あっという間に走っていった。 「よし、俺らも追うでぇ!」 バンダナのその一と、彼と手をつないだその二も後を追っていく。 「俺ら、もう帰ってもええですよね?」 「勝手に帰ると、後であいつらからのうるさい文句が待っとるけん、一応後を追ったほうがよかよ」 「はあ、しゃーないっすわ」 やる気が地に落ちたその三と、やれやれと首をすくめるその五も、重い足取りのまま山吹中を後にした。 「ふふっ」 今日は朝から、授業が終わるのが楽しみで仕方がなかった。 私は鞄の中に入れた携帯電話を押さえながら、自然と笑みがこぼれるのを抑えられなかった。 というのも。 何と、うちの学校と蔵ノ介さん率いる四天宝寺中のテニス部が、練習試合をするというのだ。 文化祭で南先輩と蔵ノ介さんが仲良さそうに話しているのを見たことがあったけれど、どうもその文化祭が今回の練習試合のきっかけになったらしい。 それで、蔵ノ介さんたちがこっちに来ているのだそうだ。 「どうしよう、緊張する」 試合は明日だけれど、全国大会を控えたテニス部は特別に授業をお休みして、前日入りできたらしい。 「俺が校長爆笑させるギャグを披露したったからな。宿泊代も交通費も出してもろうたわ」 なんて蔵ノ介さんは、誇らしげに電話の向こうで笑っていたけど。 ホントかな。 ・・・まさかね。 いつもの冗談だよね。 私は考えを振り払うように頭を振って、思わず鞄から携帯を取り出していた。 メール画面を見てみる。 「前日入りできそやから、久々に会わへんか? 夜やったら少し時間ができると思うわ」 時間は改めて指定するから、とある。 そして、会えるのを楽しみにしとる、とも。 あああ。駄目だ、嬉しい。 再び携帯をしまいこみ、私はいつもより速足になる。 いつ呼び出されても良いように、早く家へ帰って着替えよう。 どうしよう。 どんな服を着たら良いんだろう。 ううう、楽しみだけど、どうしたら・・・。 嬉しい悩みに頭を悩ませていた時だ。 いきなり突風が行き過ぎたかと思うと、 「きゃっ!?」 ものすごい勢いで突っ込んできた人が、私の目の前で思いっきり見事にすっ転んだ。 土煙をもうもうと上げ、倒れる金髪の男の子一人。 事態は全く呑みこめなかったものの、放っておくこともできなくて、おずおずと声を掛ける。 「あ・・・あの、大丈夫ですか?」 プロ野球選手もかくやと思うほどの見事なヘッドスライディングだった。 思いっきり突っ込んではダメージもさぞ大きかったことだろうと思ったが、その人は私の言葉を聴いた途端、がばっと身を起こした。 「ちゃうやん! いきなり人がずっこけてんで! もっと何ちゅーか、ツッコミとかあるやろ」 「えええ!?」 いきなり何を言い出したんだろう、この人は。 見たところ高校生ではないみたいだけれど、同じ学年とも思えない。 返す言葉を失っていると、ぱんぱんと砂を落としながら、その人は何やらぶつぶつ言っていた。 「ツッコミが冴えてるとも思えん。ますます謎や」 「あの・・・?」 何なんだろう。 新手の通り魔だろうか。 見たところ、そんなに悪い人には思えないけれど。 「あっ」 腕を組んでうんうん唸っているその人の肘を見て、私は鞄から絆創膏を取り出した。 「あの、肘、血が出ていますよ」 「え? あ、ホンマや」 「ちょっと失礼しますね」 ティッシュで砂と血を拭い、擦り剥けている個所に大きめの絆創膏を貼る。 「これで良いですね」 「あ・・・ああ、ありがとうな」 「ええと、これからはつまずかないように、気をつけたほうが良いですよ」 では、と言ってその人に別れを告げた。 何か凄い勢いの人だったな。 大阪弁だったから、多分悪い人じゃないと思ったんだけど、良く考えたらそれって、蔵ノ介さんの影響よね。 ・・・浮かれているのかな。 いけないいけない、と表情を改めた時だ。 「いやああああ! アタシのメガネが!」 「うおおおおお! 俺のバンダナが!」 「きゃああっ!?」 後ろからものすごい奇声が聞こえてきて、思わず悲鳴を上げてしまった。 慌てて振り向くと、奇妙な二人組がメガネとバンダナと叫びながら、手を前に出してバタバタしている。 ・・・・・・? あれは、メガネとバンダナを探しているのだろうか。 しかし、それぞれちゃんと、メガネもバンダナも着けているような気がするんだけど。 「え・・・ええと、大丈夫ですか?」 このまま無視するのは、あまりにもわざとらしいというか、どうかと思ったので、とりあえず声を掛けてみる。 すると、二人は息をぴったり合わせて動きを止めた。 「何やこの子、ツッコミもできへんやないか」 「いいえ、これはボケのつもりなのかも知れないわ」 「そっちかいな。でも、なあ」 「ボケでもいまいちね」 こそこそしているつもりみたいだけれど、会話はダダ漏れだ。 ボケとかツッコミとか、どういうことだろう。 そういえば、この人たちも大阪弁だ。 大阪の人にとっては、よほどボケとかツッコミとか重要なのかな。 蔵ノ介さんもそういえば、前に冗談を言った後、「自分のツッコミ待ちなんやけど」って言っていたっけ。 うう・・・だとすると、ボケやツッコミができないのは、私の欠点なんだろうな。 「あ・・・あの、失礼ですが、大阪の方ですか?」 私は勇気を振り絞って質問してみた。 「あ、ああ。そうや」 「あの、大阪の方って、やっぱり、ツッコミができないと駄目なんですか?」 「そら、できへんと大変やで。会話がなり立たへんわ」 う、やっぱり・・・。 そうなんだ。 「だからお二人は、息がぴったりなんですね」 「え?」 私の言葉に、二人がピクリと反応した。 「自分、今何て言うた?」 「あ、いえ、あの、息があってて良いなあって」 「まあっ!」 感激いっぱいの声を上げたメガネの人が身をよじらせて、バンダナの人と手を取り合った。 かたやバンダナの人も、ものすごく晴れやかな表情をしている。 ・・・私、何か変なこと言った? そんな私の疑問をよそに、二人はめくるめく世界に旅立ってしまったらしい。 「小春、この子、俺らのことお似合いやゆうとるで」 「合格よ! 花丸だわ!」 何故か片手ずつ握手されて、茫然とする私の目の前を、有頂天のままその人たちは、手を取り合って仲良く帰っていった。 「・・・凄い、大阪の人って」 あれがスタンダードなんだろう。 あのテンションを保つためには、どうしたらいいのだろうか。 そう言えばさっきの人も、ツッコミがどうのとか言っていた。 「ハードル高いけど」 蔵ノ介さんの恋人になったんだから、それくらい克服しなくちゃいけないんだ。 気合を入れ直して、私は駅へと急いだ。 「俺らも、突っ込んだりしたほうがええですか?」 「どっちでもよかよ。ばってん、俺が出て行ったらばれるけん、行くなら一人で行くたい」 「めっちゃ冗談じゃないっすわ」 いたいけな女子中学生にちょっかいを掛けまくる不審者その一とその二、その四の様を見ながら、その三は限りなくどうでもよさげにため息をついた。 「もうええでしょう。結局先輩ら、ほだされているように見えましたけど」 「そんな子だけん、きっと白石も好きになったとよ」 その五がうまくまとめた、ちょうどその時だった。 「誰が、何したって?」 感情を押し殺したような、低い声が辺りに響いたのは。 「あっ、蔵ノ介さん」 いったん家へ帰り、着替えを済ませた頃に蔵ノ介さんから連絡があり、私たちは駅で待ち合わせをしていた。 もうすぐ日が暮れるような時間帯だ。 暮れなずむ夕日のオレンジが空いっぱいに広がっている。 「悪いな。待ったか?」 「いいえ、私も今来たところです」 うわあ、本物だ・・・! 少し息を切らせた蔵ノ介さんは、夏と同じ制服姿で、目の前に立っている。 それが嘘みたいで、思わす手を伸ばして袖を掴んでしまった。 「本物だ・・・」 「ああ、正真正銘本物や」 くすりと笑われたのは恥ずかしかったけれど、その声も電話越しとも違う。 これもまた、本物だ。 「嬉しい。お久しぶりです」 「俺も嬉しいで」 ぽんと手を頭に置かれると、蔵ノ介さんの手の温かさをはっきりと感じた。 「蔵ノ介さん、走ってきてくれたんですか? 何か息を切らせているような気がするんですが」 「あ・・・ああ。うちの部のアホどもがこっちに着いた途端、こぞって脱走しよってな。いたいけな一般市民に迷惑かけよったから、全員とっ捕まえて説教しててん」 「それも部長さんのお仕事なんですか。大変ですね」 「ホンマや、まったく、油断も隙もない」 ぐっと拳を握りしめながら、忌々しげに口をへの字にする蔵ノ介さん。 個性が強い部員さんだということは聞いていたし、遠山くんを見ている限りでも、大変だなあとは思っていたけど、私の予想以上に部長さんは苦労が多いみたいだ。 「だったら、出てきてしまって良かったんですか? 部員さんたち、またどこかへ行ってしまうかも知れませんよ」 「ああ、大丈夫や。今頃多摩川の川べりでも走っとるわ。見張りも置いてきたし、脱走できへんやろ」 事情はよく分からないけれど、蔵ノ介さんが大丈夫だと言うのなら、大丈夫なのだろう。 「悪いな。あんま時間はとれへんけど、一秒でも早く静に会いとうてしゃーなかったんや」 「いいえ。私だって、ちょっとの間だけでも、蔵ノ介さんに会いたかったですから」 蔵ノ介さんは遊びでこちらへ来ているわけではないのだから、本当だったら遠慮するべきだったのかもしれない。 でも、どうしても直接会って話したかった。 だから、少しの間でも良い。 隣で一緒に同じ時間を過ごせるだけで十分だ。 「ちょっとその辺歩こか。何や久々やな」 「はい。喜んで」 「ほな、ちょっと宇宙の果てまで一緒に行ってみよか」 この言葉に、私はピクリと反応した。 いつもの蔵ノ介さんの冗談・・・・・・ううん、こういうのをボケって言うんだよね。 昼間の面白い大阪の人たちを思い出す。 ボケとツッコミ。 ツッコミができなければ、大阪では会話が成り立たない。 いつまでもツッコミができないことを、欠点にしておいてはいけないのだ。 私は意を決して、その一言を口にした。 「何でやねん!」 「な・・・!」 まさかツッコミが返ってくるとは思わなかったのだろう。 蔵ノ介さんはびっくりして口を閉ざしてしまった。 その様子に、私は必要以上に慌てた。 「あああ、あの、大阪の人って、こういうふうにツッコミをするんじゃなかったでしたっけ? 昼間会った大阪の方が、ツッコミができないと、大阪では会話が成り立たないと言っていてですね。私はツッコミがいまいちだったらしいので、スタンダードなものを選んでみたんですが」 「あいつら・・・」 何故か蔵ノ介さんはこめかみに手を当てて、表情をひきつらせている。 やっぱり私のツッコミは良くなかったのだろうか。 不安な気持ちが表情に出ていたのか、私に気がついた蔵ノ介さんは首を振った。 「ちゃうちゃう。自分のことに呆れたんとちゃうわ。あいつら海まで走らせよかと思うとっただけやから」 「?」 「まあ、静は気にせんでええよ。それよか、何かええな」 「え?」 私の手をとって歩きだした蔵ノ介さんは、前を見たまま、夕日の眩しさに目を細めた。 「俺のためにツッコミ入れてくれたんやろ?」 「う・・・。あまりうまくできなかったんですけれど」 「いや、それは問題やない。前にもゆうたやろ? 俺のために、ちゅーとこが重要なんやから。それに、逆にあのたどたどしさが結構たまらんわ。やっぱ静はかわええな」 そんな風に言われると、何と返して分からなくなる。 うつむいていると、それに気がついた蔵ノ介さんが顔を覗き込んできた。 「静。顔、赤いな」 「夕日のせいです、きっと」 笑いをこらえた蔵ノ介さんは、「そうかもしれへんな」なんてうなずいたものの、じっと私に視線を向けたままだ。 「あ・・・あの、そんなに見られると、恥ずかしいです」 「ええやろ、減るもんやないし」 それに、と言って蔵ノ介さんはふと足をとめた。 私の肩に手を置き、優しく笑う。 「離れとった分、じっくり見ときたかったんや」 そんな風に微笑まれて言われたら、嫌だなどとは言えない。 「駄目か?」 その問いに、私は首を振った。 「恥ずかしいのは、我慢します・・・」 「ああ、そうしてくれると助かるわ。あ、お返しに俺の顔も見放題やから、ご自由にどうぞ」 そっと、上目づかいに蔵ノ介さんの顔をうかがう。 大好きな人の顔。 格好良いけれど、好きなもののことになると夢中になるところは、子どもみたいに可愛かったりする。 ああ、本当に、この人が好きなんだなあって実感した。 「なあ、静」 「はい?」 「今俺のこと惚れ直したやろ」 「えっ・・・」 いつの間にか、私は蔵ノ介さんの顔を凝視していたみたいだ。 声を掛けられてはっとした。 そして、その言葉が真実を言い当てていることにも驚いた。 「う・・・はい」 「ははっ、そやろ。俺も同じやからな」 さらりと言ってのけられたので、危うく流してしまうところだった。 「え・・・えええ?」 「何や、その意外そうな反応は」 「だって・・・」 「好きな子の顔見とったら、そら、やっぱええなあとか、思うやろ」 「蔵ノ介さんも、そう思ってくれているんですか?」 「当たり前や。どないしてくれるん。また離れとうなくなってしもたわ」 困ったように微笑む蔵ノ介さん。 それが照れているようにも見えたので、やっぱりちょっと可愛いと思ってしまった。 「あの・・・明日の練習試合、陰でこっそり邪魔しないようにしていますから、見に行っても良いですか?」 「え? 自分明日来るんか?」 「駄目でしょうか」 「いや、駄目っちゅー訳やないが・・・」 そう言いつつも、蔵ノ介さんの歯切れが悪い。 やっぱり迷惑だろうか。 困らせてしまったのなら、行かないほうがいいよね。 「すみません。ご迷惑ならやめておきます」 「あ、いやいや、静が来てくれて迷惑なことはあらへん。どっちかっちゅーと、迷惑かけられるんは自分やで、きっと」 「そうなんですか?」 「あー・・・ああ、まあ。うーん、そやな」 少し考えるような仕草を見せた蔵ノ介さんは、頭の中で何かを天秤にかけているようだ。 どんな思いが駆け巡っているかは分からないが、すぐに答えは出たようだ。 「俺は明日も静に会えたら嬉しいからな。来てもええよ」 ただし、と釘を刺される。 「今日昼間会ったアホどものことは、きれいさっぱり忘れること。あと、うちの部員には近づかんことや。何しよるか分からへんからな。危ないもんに近づいたらあかん」 「はあ、蔵ノ介さんがそう言うなら・・・」 うなずいてみたものの、はてと思う。 どうして蔵ノ介さん、昼間私が会った人のことを知っているんだろう。 さっき、ツッコミの話が出た時に、少しだけそういう話をしたからかな。 私の疑問をよそに、蔵ノ介さんは満足気にうなずいた。 「よっしゃ。俺もあいつらに目ぇ光らしとくからな。静は安心してええ」 「あ、はい。ありがとうございます」 ともあれ、お許しが出たのだ。 テニスをする蔵ノ介さんを実際に見るのは初めてなので、何だか無性に緊張するけれど、同じくらい楽しみだ。 それから、私たちは再び手を取り合って歩き始めた。 話すのは、主に日常のことが多かった。 最近の学校の様子とか、家でのこととか。 普段メールや電話でもやり取りしているというのに、話題は全然つきなくて、気がつくといつの間にかずいぶん時が経っていた。 「ホンマにここでええんか?」 「はい、大丈夫です」 私たちは待ち合わせした駅に戻ってきていた。 すっかり日は暮れてしまっている。 家まで送ってくれるという蔵ノ介さんに、私は首を振った。 そこまでしてもらうのは申し訳ないし、そろそろ本当に戻ったほうが良い。 「いつも塾が終わるのもこのくらいの時間なので、慣れているんです。それより、そろそろ帰って、部員さんたちを見てあげて下さい。そう言えばまだ走っていらっしゃるんですか?」 「ああ、あんなの達のことはまあええけど、せやな。急いで戻らんとあかんな」 残念そうな蔵ノ介さん。 「ホンマ、もっと一緒におれたらな。なんて、ゆうてもしゃーないな。静」 「はい」 呼ばれて足をとめた。 何だろうと次の言葉を待ったが、それよりも早く。 「あっ・・・」 蔵ノ介さんがそっと私を抱きしめた。 「あ、ああああ、あの・・・!!」 「またちょっと間が開くけど、俺のこと、忘れんといてな」 「は、はい!」 「俺も、静のこと、ずっと思うとるから」 ぎゅっとされると、とても嬉しい反面、少しだけ切なくもある。 きっと、お別れの合図だから。 でも。 「またメールします。電話もいっぱいします」 「俺も。待っとってな」 「はい!」 悲しんでいる場合ではない。 本当のお別れじゃないから。 蔵ノ介さんは私を信じてくれているし、私は蔵ノ介さんを信じている。 それが自然にできていることは、幸せなことだ。 「ほな、またな。明日は時間あんまないと思うねんけど、くれぐれも他の部員には気ぃつけや」 「分かりました。楽しみにしています」 ゆっくりと体が離れていって、ぴったりくっついていた時のぬくもりが夜の風にさらわれていく。 それでも心は満たされたままだ。 温かい。 「蔵ノ介さん」 「ん? 何や?」 「大好きです」 「ありがとう。俺も、静のことめっちゃ好きやで」 それがさようならの代わりとなって、私たちはそれぞれの帰路に着いた。 少しだけだったのに、やっぱり蔵ノ介さんと一緒にいられるのは、本当に幸せだ。 蔵ノ介さんも同じように思ってくれていたら嬉しい。 その日は興奮のあまり眠れなくて、次の日の練習試合に危うく遅れるところだった。 山吹中のテニスコートで行われた練習試合。 そこで私は、前日の大阪弁の人たちの正体と、蔵ノ介さんの言葉の意味を身を以って知ることになるのだった。 |