「夢の向こうがわ」サンプル



「・・・くそっ」

 自室に戻り、ごちゃごちゃと積み重ねられた資料の合間を抜けてベッドに倒れこむと、レインは忌々しげに舌打ちをした。
 ものが多い部屋はもとより使いやすく研究には良いのだが、今このときにあっては、もう少し歩きやすいほうが良いのかもしれないとふと思う。
 やや赤らんだ顔で、階下で先ほどまで催されていた集まりを思い出し、さらに気分を沈ませる。

「あいつ、絶対に面白がって・・・」

 怒りの矛先は、この屋敷の持ち主へ向かっている。
 主人の涼やかな表情を思い浮かべただけで、腹立たしくなる。

 そもそもなぜそんなにレインがご立腹かというと、始まりは単なるカードゲームだった。ひだまり邸の紅一点、アンジェリークも加わったゲーム大会であったのだが、

「あら、またレインの負けなのね」

「おやおや、わざとですか?」

「今日はついていないね、レイン」

「ここまで負けとおすのは、ある意味勝ち続けるより難しくはないか」

 皆が驚くほど今日のレインはツキに見放されていた。
 まるで運がレインを避けているかのように、思ったカードはこないわ、好機は逃すわ、とにかくヒュウガのように感嘆してしまうほどの惨憺たる有様であった。

「もう今日はここまでにしておきましょう」

 気の毒に思ったアンジェリークがそう提案したが、それと気がついたレインはむきになって勝負の続行を望んだ。
 今日の彼は引き際も分からなかったのである。
 今思えば、あの時彼女の言葉に素直に従っておけば良かったのだが、後の祭りだ。

「困ったわね・・・」

 ひっそりとため息をつくアンジェリークの横で、なにやらひらめいた様子のニクスがぽんと手を打った。

「分かりました。では、条件を出しましょう」

「いいぜ。で、どんな条件なんだ?」

「ええ、それはですね」

 あの時ちゃんと気づくべきだったのだ。
 好奇に満ちた裏のあるあの笑顔に。
 何故かけらも疑問に思わなかったのか。
 思い出すだけで腹が立つレインは、ぼふっと枕を叩いた。

「負けたらニクス特製の果実酒を飲まされると分かっていながら、勝負を挑んだオレが馬鹿だった」

 力なく呟くレインの目は、早くも酔いが回ったのか、わずかに潤んでいる。
 どこかうつろな目つきは完全に酔っ払っている証拠だ。
 酔っている自覚があるだけに、余計にレインの落ち込みは深かった。

 案の定勝負には負け、ニクスの出した条件を実行したところでお開きとなった。
 これ以上レインが勝負を続けられないと判断したからだ。
 心配そうなアンジェリークの手を振り払って、ふらつく足取りでようやくここまでたどり着いたのだ。

「・・・こんなに酔うなんて」

 レインには衝撃的だった。
 酒に弱い自覚はなかったのに、何なのだろう、この失態は。
 自然重いため息もこぼれ出るというもの。

「はあ・・・」

 抑えきれないやりきれなさがため息として表れたと同時に、ドアのノックされた音が聞こえた。
 答えるのも億劫だ。レインは伏せったまま返事をしなかった。

「・・・レイン、いるんでしょ? お水を持ってきたわ。入るわよ」

 いつまで経っても返事がないことに痺れを切らしてそっと部屋に入ってきたのは、レインにとって今一番会いたくない人物だった。

「大丈夫? やっぱり顔が赤いわ」

 ひょいと顔をのぞかれて、レインはアンジェリークの視線から逃れるために寝返りを打った。
 こんな情けない姿を彼女にさらすのは一番の罰ゲームだ。
 そんな彼の姿を拒絶ととったアンジェリークは傷ついたように一瞬顔をしかめたが、くじけずにもう一度レインの顔を覗き込む。

「ねえ、お水を飲んだら少しは楽になるんじゃないかしら」

「・・・・・・」

 自分は何か言った、とレインは思う。だが、あとで考えてみると何と言ったのかさっぱり記憶にはない。ただ、

「えっ・・・!?」

 彼の言葉を受けてひどくアンジェリークが驚いたのだけは覚えている。
 目を見開いた彼女の顔を見ているうちに、だんだんと記憶があいまいになっていく。
 ぼんやりとしていく思考で彼は何をしたのだろう。
 ――――レインが覚えているのはそこまでだった。






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