レイアン新刊サンプル
「・・・・・・?」 人の気配がする。気のせいかとも思いながらアンジェリークが目を覚ますと、暗闇の中に人の形に濃いところを見た。 「レイン・・・?」 まだ視界がぼけていて誰なのか良く分からないのに、何故かアンジェリークの口からはその名がこぼれた。普段ならはっと飛び起きるところだろうが、体が重くてそれが叶わない。この感覚には、覚えがあった。 ――――ああ、夢を見ているんだわ。 今日は依頼を解決するために、キリセ、ファリアン、モンタントと歩き回った。その疲れが一気に出て、眠っているときまで脳が興奮状態にある、金縛り現象が起きているのだ。アンジェリークはそう思った。これなら体が動かないことにもうなずける。 その影はだんだんと近づいてくる。泥棒、強盗の類かもしれない正体不明な影なのにもかかわらず、アンジェリークの中には恐れは一切ない。それが誰であるか、彼女にはもう分かっていたのだ。 「アンジェ・・・」 「やっぱりレインだったのね」 だんだんと暗闇に目が慣れてくると、その姿が月明かりに浮かんだ。光を受けた銀色のメッシュが輝いている。アンジェリークの想像した通り、いつの間にかレインがベッドサイドに立っていた。 普段なら、どうしてこんな時間に自分の部屋にレインがいるのか、という疑問が浮かびそうなものなのだが、レインの表情を見たとたん、疑問は全て消し飛んで、ただもう息が詰まった。 「アンジェ、良かった・・・いなくなったりしていないな」 最初に目に入ったのが、今にも泣きそうな悲しみにあふれたレインの顔。その悲壮感のあふれる痛々しい面持ちが、アンジェリークの姿を見たとたんに一変、大きな安堵に包まれる。レインは不安と安心が混在した複雑なため息をついた。 「良かった・・・」 そのまま、覆いかぶさるようにアンジェリークを抱きしめる。そして、まるでこの言葉しか知らないかのように、「良かった」を繰り返す。ぎゅっと触れ合ったところから、自分とは違う熱を感じて、アンジェリークは無性にレインを抱きしめ返したい衝動に駆られた。 「どうしたの?」 体は動かなくても、声は出るらしい。レインを驚かせないようにそっと問うと、彼は力ない声で素直に答える。 「お前が、どこかへ行ってしまったんじゃないかと思ったら、不安で耐えられなかった」 「私がどこに行くの?」 「・・・・・・いつかお前はこの世界の女王になって、オレの手の届かないところに行ってしまう。だけど、どう考えても、オレにはそれが許せない」 ぎゅっと、レインの腕の力がこもったため、アンジェリークは彼の胸とベッドに挟まれて息苦しくなった。だがおかしなことに、彼になら窒息させられても良いと思う。おぼれるくらいレインの体温を感じられたら、それだけでもう何もいらない。普段の自分からは考えられない思いがあふれるのは、これが現実ではない夢の世界のことだからだろうか。 「・・・レインは、私が女王にならなくても、世界を救える方法を見つけてくれると言ったわ」 「ああ、言った。絶対に見つけてみせる」 「私はレインを信じている。レインは約束を守ってくれるのでしょう?」 前に部屋で話をしたときに、レインは自分で「約束は守る」、「破ったことはないだろう?」と言った。それは真実だったし、これからも真実であり続けるだろう。アンジェリークの中には揺るがぬ確信があった。 レインは出来ないことを口にしたりしない。不可能に見えることでも、彼なら可能に出来る――――それだけの力を彼は持っていた。これまでの生活の中でそれは実証済みだ。 だから今回だって―――― 「レインなら絶対に約束を守ってくれるわ。レインはそういうひとだもの」 だからこそ、いつの間にかこんなに好きになってしまった。 アンジェリークは声に出来なかった言葉を心の中で大切に紡ぐ。その思いが伝わったのかは分からないが、レインはゆっくりと身を起こした。 「アンジェ。好きだ」 そう言うや、アンジェリークの唇をおのれのそれで塞いだ。重ねられた唇から、互いの熱が交換される。それは自分の思いを相手に直接伝えられるような気がして、アンジェリークはいつも胸が一杯になる。レインの愛情はいつもストレートだ。 自分の思いも、レインにちゃんと伝わっているのかと、いつか確かめてみたい気はするものの、恥ずかしくなってしまい、きっといつになっても出来ないだろう。 「好きなんだ。どうしようもなく、お前のことしか考えられない」 恋人同士になってからも、レインはあまり愛の言葉を口にしない。だから、こんな風にとつぜん、何の前触れもなく告げられると、一気にいとおしさがあふれてくる。 「私だって、レインが好き。レインは私の中で特別な存在だわ」 「アンジェ・・・ありがとう」 何故ここで「ありがとう」なのだろう。首を傾げるアンジェリークを置いて、レインは続けた。 「これはオレのわがままなんだ。お前は女王の卵で、お前が女王になれば世界は平和になる。それはわかっている。そんなことは当たり前のことなんだ」 だが、と端正な顔をしかめる。 「オレはお前を放したくない。これからもずっと、オレの側にいて欲しい。そのことだけがオレを動かしているんだ」 その願いは世界の人々に、背を向けることと一緒なのではないだろうか。言外にレインのそんな思いが伝わってきた。 「未来の女王を自分の隣に置きたい」 それは、例えば、女王に絶対の忠誠を誓う銀樹騎士が聞けば、間違いなく激怒するであろう望みだ。長らくタナトスの脅威に怯えていたアルカディアの人々が、最後に託した希望の光。それを手に入れたいと思うのは、過ぎたことなのではないだろうか。 普段女王の存在にこだわりを持たないレインが、このような悩みを抱いていたのが意外だった。 「お前と一緒にいたい。それがどんなに自分勝手な望みだとしても、これだけは絶対に譲れない」 どうしてこの人は、いつも悩みを溜め込んでしまうのだろう。これまで何もかも自分ひとりで解決して、それが当たり前だと思っている彼を、アンジェリークはいつももどかしく思っていた。恋人という関係になったのだから、余計にもっと自分を頼って欲しいと感じている。たとえ役に立たなくても、レインの力になりたかった。 「オレのやっていることは、ただ人々を苦しめているだけなのではないのか?」 苦悶の表情のレインが、ようやっと言葉を搾り出す。自分の研究の悪用を恐れる彼だから、特にそのような壁にぶち当たるのだろう。そしてそのたびに苦悩する。そのさまがアンジェリークにはありありと想像できた。 アンジェリークはレインの問いに対する答えを知っていた。だから、はっきりと首を振った。 「レインが本当に自分のことしか考えていない人だったら、きっと私を連れてとっくに逃げ出しているわ。タナトスも、アルカディアのことも、何もかも忘れて」 それが一番、アンジェリークを女王にしない、手っ取り早い方法だから。アンジェリーク女王にしたくなければ、誰の目も届かないところに彼女を隠してしまえば良い。オーブハンターをやめて人目を忍んでいれば、女王になることもないだろう。 しかし、かりそめの幸せは長く続きはしないし、そんなものは二人の望むものでもない。 「レインは、女王の力を使わないで、世界を救いたいのでしょう? アルカディアの人たちを捨てたりしていないわ」 それに、とアンジェリークはずっと心の中にある思いを口にした。 「私も・・・できることなら、レインと一緒にいたい」 言ってしまっても良いか、ずっと悩んでいた。女王の卵として、世界の未来を預かる責任があるのに、特定の人と一緒にいたいだなどと望んでも良いのか、と。けれどアンジェリークには、膨らむ期待を抑えることが出来なかった。どうしても夢を見てしまう。愛する人と一緒に、いつまでも暮らしている自分の幸せな未来を。 こんな身勝手な思いを抱いている女王候補は過去にいなかっただろう。世界の人々を守るという大きな使命を持っているにもかかわらず、個人的な望みを持つなんて。 「私のほうがわがままだわ」 苦々しい思いを無理矢理笑みに変えると、唐突にレインがゆらりと動いた。そして何の感情もこもっていないかのような平坦な声で一言。 「・・・本当か?」 「え?」 雲間に月が隠れてしまったのか、急に室内が暗くなる。それにあわせたように、レインの顔から表情が消えた。呆然としたまま、もう一度同じことを問う。 「本当に、お前は、オレといたいと望んでくれているのか?」 「ええ・・・・・・っ! レイン!?」 うなずき終わる前に、レインは再びアンジェリークを抱きしめていた。ただし、先ほどのとはまた質が違う。包み込むように、慈しみをこめて腕を絡められた。 「嬉しい・・・」 熱のこもった一言が、彼の口から零れ落ちた。不安の一切消えた、心からの思いだった。 「お前からはっきり聞いたのは初めてだったから。一緒にいたいって」 闇に沈んでしまって顔を見ることが出来ないので、熱い吐息と確かなぬくもりが今の彼全てだ。何といとおしい存在なのだろう。人を愛するとはこういうことなのか。 アンジェリークはだめもとで腕を動かそうとした。彼に触れたい。とても強く思った。すると、先ほどは動かなかったはずの腕が、簡単にレインの背中に回った。 「ごめんなさい。私、こんなこと望んで良いのか、分からなくて・・・」 「何を言っているんだ。良いに決まっているだろう」 相手の姿が見えないのは、レインも同じなのだろう。確かめるように、アンジェリークの輪郭をそっとなぞる。髪の毛、額、頬へとレインの指が通っていき、最後に唇にたどり着いた。指が離れたと思ったとたん、温かいものが触れた。 「ん・・・」 思わず漏れた吐息が自分のものとは思えぬ艶を含んだものだったので、アンジェリークは自分自身に赤面した。夜が全てを隠してくれて良かったと思う。こんな顔をレインに見られたら、本当に顔から湯気が出てしまう。 「っ・・・」 レインの息も熱い。彼も自分と同じ気持ちでいてくれるのかと思うと、それだけで何もいらない気がした。 このままレインに溺れてしまえれば良いのに・・・・・・。 だんだんと霞ががって来た思考の中で浮かんだのは、そんな思いだった。きっとこれが心から望む自分の素直な気持ちだろうと、アンジェリークは思った。 「悪かった。研究がなかなか進まなくて、少し焦っていたんだ」 レインの声が遠くで聞こえる。 「けど、お前がオレと一緒にいたいと望んでくれているなら、それがオレの力になる――――絶対に、お前を世界に渡したりしないから」 唇から、頬から、全身から、レインの熱が遠ざかっていく。それを惜しみながら、アンジェリークはいつの間にか意識を失っていった。 |