聖なる夜




「アンジェリーク」

 パーティも終わりを告げ、生徒もそれぞれ帰路につき始めている。
 笑顔があふれる人の波を抜けてアンジェリークに話しかけてきたのは、ニクスだった。
 すれ違う生徒に丁寧に挨拶をしながら、ようやくアンジェリークの前にたどりつく。

「今日は楽しみましたか?」

「はい、とっても!」

 出し物はすべて素敵だったし、出された料理はおいしかったし、プレゼントも天使をかたどった可愛いブローチだった。
 どれをとっても大切な思い出になる。
 笑顔のアンジェリークを見たニクスは、そっと手を差し出した。

「そうですか。では、少しだけ、私にあなたの時間をいただけませんか?」

「え? ええ」

 アンジェリークは出された手に、恐る恐る自分のそれを重ねる。
 ニクスの手は、予想外に冷たかった。

「どうぞ、こちらへ」

 ニクスはいつの間に手配したのか、劇場前に止まっていた馬車にアンジェリークを導く。
 彼の手を借りて乗り込むと、間もなく馬車は動き始めた。

「どこへ行くんですか?」

「それは着いてからのお楽しみです」

 思わせぶりな笑顔を見せるだけで、ニクスはそれ以上何も答えてはくれなかった。
 仕方なく、アンジェリークは窓の外の景色を眺める。
 景色は、ウォードンの華やかな明かりが消えていき、静かな街道を馬のひづめの音だけが響いている。

 ――――ニクスさんは、どこへ行くつもりなのかしら。

 変わりゆく風景に、アンジェリークはちらりとニクスに視線を送ったが、彼は相変わらず涼やかな笑みを浮かべているだけ。
 しばらくそんな時間が過ぎた。

「そろそろ着きますよ」

 ニクスがそう言うと、間もなく馬車は止まった。

「ここは・・・?」

 彼に再び手を借りて馬車を降りる。
 目の前には、大きな天使の像と、その周りに真っ白な噴水があった。

「ここって、天使の広場ですよね」

 暗くて、着いてみるまでどこに向かっているのか分からなかったが、ここはメルローズ女学院の近く。
 アンジェリークにもなじみ深い場所だった。

 だが、いつも人のいる広場には、今はだれもいない。
 ただ、月の明かりを受けた噴水の水面がきらきらと輝いている。

「綺麗・・・」

 普段太陽の光を思い切り受けてきらめいている噴水も好きだが、こうして月明かりに照らされた夜の噴水も素敵だ。

「私、夜の噴水って初めて見ました」

「それは、寮の門限がありますからね。こんな時間に外へなど出る機会はないでしょう」

 ニクスははしゃぐアンジェリークを、満足そうに眺めている。

「私はたまに、夜の広場を散策することがありましてね。この光景を、ぜひあなたにお見せしたかったのです。今晩晴れてくれて良かったですよ」

 気に入っていただけましたか? と問われたので、アンジェリークは即座に答えを返す。

「はい、もちろん!」

 アンジェリークは噴水の淵に腰をかけた。
 水面には月が映り込んでいる。
 手を伸ばせば、届きそうな所にあった。

「えい」

 思い切ってアンジェリークは手を伸ばした。

 ――――あともう少し。

 さらに身を乗り出してみる。
 指先が水面に触れそうな位置に・・・。

「おやおや。そんなにはしゃいでは危ないですよ」

 苦笑を含んだニクスの言葉が聞こえたと思ったとたん。

「!」

 ぎゅっと、後ろから抱き締められた。
 水に移ったニクスは、アンジェリークの耳元に唇を寄せると、くすりと笑みをこぼす。

「楽しそうにするあなたはとても愛らしいのですが、どうか、私の手の届くところに、いてくださいね」

 ぞくりと身が震えた。
 穏やかな声なのに、身動きすることができない。
 体は凍りついてしまったように、彼の腕の中に納まっている。

「いいですか、アンジェリーク?」

 とろりと囁かれる声。
 ゆっくり時間をかけて染み渡るニクスの声は、まるで魔法のようにアンジェリークの胸に小さな明かりを灯す。
 アンジェリークは彼に対して、ただうなずくことしかできなかった。






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