Shining smile


〜後編〜





 いよいよコンサート当日。
 会場はすでに満員、夏の暑さを思い起こすほどの熱気に包まれていた。
 顔なじみの他校のライバルの皆さんとも挨拶しながら、私は会場を見まわした。


 冥加さんも冴香さんも、このどこかにいる。
 でも残念ながら、どちらの姿も見つけることができなかった。
 一方ではがっかりし、もう一方ではほっとした。
 全ては演奏が終わってからだ。
 私はオケ部のみんなと楽屋へと向かった。


「――――」


 緊張はしているのだけれど、不安はない。
 不思議な心持ちだ。


「大丈夫か?」


 さり気ない様子で律くんがそう尋ねてきた。
 昨夜のこともあり、心配してくれているのだろう。
 私は昨日と同じくうなずいた。


「大丈夫だよ。私は平気」

「そうか。ならば良かった」

「私のことより、律くんも大丈夫なの?」

「俺のことは心配ない」


 手の怪我が悪くなるのではと心配したけれど、律くんは何でもないことのように表情を変えなかった。
 ふだんどおりと言えばそうだ。
 でも、またみんなでアンサンブルを組んで同じステージに立てる喜びが、何となくその無表情に隠れている気がした。


「では、星奏学院の皆さん、よろしくお願いします」


 係員の人が呼びにきた。
 いよいよだ。
 あとはもう、やり切るしかない。


 ステージでは他校の演奏が続いており、その合間に割れんばかりの拍手喝采が挟まる。
 それは聞こえていたのだけれど、不思議とどこか遠くの事のように感じる。


 私の伝えたいこと。
 それが余すところなく届きますように。


 体は勝手に動いていて、気がついたらステージの真ん中にいた。
 律くん、大地先輩、響也、ハルくん。
 みんなが互いに視線を交わし合い、呼吸を合わせる。
 それだけで、このメンバーなら最高の演奏ができると、自信を持つことができた。


 ――――私は、私の信じるままに。その気持ちをヴァイオリンに載せるだけ。


 この会場のどこかで聴いていてくれる最愛の人を思い浮かべながら。
 脳裏には、何故か昨日聞こえた『愛の挨拶』の旋律が蘇った。
 それが私に力を与えてくれた。
 体はびっくりするほど軽く、以前はよく注意されていたところも滑らかに流れていった。


 何だろう。


 手を止めないまま、私はこの不思議な感覚に浸っていた。
 昨夜もそうだった。
 勝手に体は動いて・・・。


 ああ、そうだ。


 演奏しながら、何故か隣に冥加さんがいてくれるような気がしていた。
 隣にいて、私を守ってくれているよう。
 どうしてそう思うのかは分からないけれど。
 でも、はっきりと冥加さんの存在は感じていた。


 これほど心強いものはない。
 これで、最高の演奏ができない方がおかしい。
 こんなにも思い切りヴァイオリンを奏でることができるのだから。


「・・・・・・え?」


 はっと我に返ると、そこはもう、舞台袖だった。
 観客席は今日一番の歓声に包まれている。


「あ、あれ・・・?」


 いつの間に終わっていたのだろう。
 夢中で演奏しすぎて、全然気がつかなかった。


「大丈夫ですか、小日向先輩?」

「あ、うん。平気だよ」


 ハルくんが怪訝そうにこちらを見ていたので、慌てて首を振る。
 その横から大地先輩が笑顔を見せた。


「俺たちの最高の演奏ができたね。特に今日のひなちゃんは凄かった」

「あ・・・ありがとうございます!」

「まあ、上出来過ぎて、少しばかり妬けてしまうけれどね」

「え?」


 私が大地先輩の言葉に首を傾げたと同時に。


「小日向」

「!」


 背後から聞き慣れた声に名前を呼ばれた。
 振り返らなくても分かる。


「冥加さん!」


 この十日、会いたくて、でも敢えて会わなかった人だ。


「あれ?」


 冥加さんは珍しく、いつもの厳しい表情の中に戸惑いを浮かべている。


「どうかしたんですか?」


 純粋な気持ちから質問したのに、何故か冥加さんの表情は険しくなった。


「それをお前が問うのか? ・・・っ、結局俺はお前に振り回されるのか・・・」

「え? 何ですか?」

「何でもない」


 冥加さんは何やら独り言を呟いたようだったけれど、残念ながら私の元までは聞こえなかった。
 いぶかしむ私の前で、気を取り直すように冥加さんは大きく息を吸い込んだ。
 そこに浮かんできたのは。


「・・・全く、お前ときたら」


 冥加さんの口元には僅か笑みが浮かんだ。


「!」


 その衝撃に打ち抜かれた私に、今度は不敵な笑みが向けられた。


「俺を本気にさせたのはお前だ、小日向。責任はとってもらうぞ」

「え、冥加さん!?」

「せいぜい覚悟しておくことだ」


 それだけ言い放つと、今度は冥加さんがステージへと向かって行った。
 長い上着の裾が彼に従うようにふわりと翻った。
 その様を呆然と見送る。


 ステージに立つ冥加さんはいつもと変わらず堂々としていて、目の前に広がる観客など見えていないよう。
 でもいつもより、冥加さんから目が離せない。
 いつもと、違う・・・?
 私の疑問は、冥加さんの音を聴いてはっきり確信を得た。


「――――っ!」


 最初の一音から釘づけになった。
 聞いたことのある曲のはずなのに、何故か初めて聴くような気がする。
 それは周りのみんなや観客席にも伝わったようで、一様に顔色が変わった。


「これは・・・」

「本当にあの冥加の音なのか・・・?」


 誰かの呟きが聞こえてきた。
 本当に、その通りだ。
 観客を虜にする圧倒的な技術力はいつもと変わらない。


 でも、これまでの冥加さんからは想像できないくらい、その音からは彼の内面が透けて見えた。
 深く、激しく、それでいて優しい。
 言葉がうまく見つからない自分に情けなさを覚えたが、冥加さんの音には私が知る以上の感情が込められている。


 そうだ。
 彼は表に出さないだけで、その胸の内には熱い想いを秘めている。
 一途で、深く深く、恐ろしいほど真摯で純粋な感情を。


 冥加さんの音が私を虜にして離さない。
 心臓をギュッとつかまれたみたいに、胸がせつなく痛む。
 こんなこと、初めてだった。


「これが、あの冥加か・・・」


 いつの間にか、隣に冴香さんが立っていた。
 あれほど憎んでいたはずの冥加さんを見て、冴香さんも目を瞠る。
 今日の冥加さんはまるで別人のようだった。


「すごい・・・」


 思わず零れた一言に、何故か冴香さんは吹き出した。


「な、何ですか?」

「いや、随分他人事だと思って」

「どういうことですか?」


 私が冴香さんを見上げると、どこか面白そうに笑う冴香さんと目があった。


「あいつをここまで駆り立てたのは君だろう」

「私ですか?」

「何だ、気づいていなかったのか」


 ますます興味深げに、冴香さんは艶やかに微笑む。
 美人の笑みは凄味が増すようだ。


「先ほどの君の演奏。今までで一番素晴らしかった。あんなふうに大勢の前で堂々と想いを告げられては、冥加も黙っていられまい」

「えええ!?」

「無意識ではないだろう。君の音は冥加への想いでいっぱいだった」

「あ・・・」


 確かに演奏中は、冥加さんのことしか考えていなかった。
 冥加さんを隣に感じながら、幸せな気持ちで夢中で弾いていた。
 その想いを、私はホールに集まっている全員に向けて、高らかに鳴り響かせたのだ。


「わ、わたし・・・!」


 ようやく事の重大さを悟った。
 真っ赤になった私の肩に、冴香さんが優しく触れる。


「確かに、君の言う通りだ。冥加のこの内面は、私には見えていなかったものだからな」

「冴香さん・・・」

「あの冥加だって変わるのだから、きっかけさえあれば人は変わる。阿蘭だってこの演奏を聴いて感じたはずだ」

「阿蘭くんが会場に来ているんですか!?」


 トラウマになった冥加さんの演奏を敢えて聴かせるなんて、今までの冴香さんなら考えられない。
 驚きの表情を見た冴香さんはそっと顔を近づけた。


「ここだけの話だ」


 そう前置きをしてから、再びくすくす笑い出す。


「君と話をした直後だ。私は冥加と出くわしたんだ」


 私と物別れに終わったあの後に?
 それは初耳だ。
 冥加さんは何も言っていなかった。


「どうやら私達のやり取りを聞いていたようだ。君の悲鳴が聞こえたのかもしれないな」


 確かに、冴香さんから声を掛けられたときに、そんな声を上げたような気もする。


「まあ、本当のところは本人しか分からないが・・・とにかく私の前に立ちはだかった冥加は、はっきり言ったんだ」


 ――――俺への評価を、小日向への評価と一緒にするな。
 その冥加さんの言葉を聞いて、さらにびっくりした。


「小日向を侮辱することは許さん、と奴は私に言い放った。正直その時点で君への怒りは理不尽なものだったと反省したよ。冥加のことになると頭に血が上っていけないな」

「でも、阿蘭くん、良くここまで来てくれましたね」

「ああ、まあ、何とかな」


 そこにどんな姉弟間のやり取りがあったかは分からないが、再会した冥加さんを見て、冴香さんも思うところがあったのかもしれない。


「君の演奏を聴いても思ったが、この冥加の音は決定的だな」

「何がですか?」

「君たちがお似合いだと言うことさ」

「!」


 気がつけば、周りの視線が私達に集中していた。
 みんなも気がついたに違いない。
 そう思ったら、とたんに恥ずかしさがこみ上げてきた。


 と同時に、演奏が終わった天音学園の面々がステージから帰ってくる。
 その中には当然、冥加さんもいて。
 冥加さんと目があった瞬間。


「ちょっと、こっちへ!」


 好奇な視線が突き刺さるのを感じながら、私は彼の腕を引っ張って、近くの練習室へ逃げ込んだ。
 二人きりになったところで、私はへなへなとその場にしゃがみこんだ。


「小日向?」


 あんなに情感たっぷりに演奏したというのに、冥加さんはいつもの無表情だった。
 それを少し恨めしくも羨ましくも思う。
 とたんに胸が詰まって、私は感情のまま、冥加さんに抱きついた。


「いきなり何だ?」


 不審そうな顔はするものの、冥加さんは私を振り払ったりはしなかった。
 たった十日触れなかっただけなのに、この温もりをずっと待ち望んでいたんだと気がつくと、いよいよ離れがたくなる。
 初めは驚いた様子の冥加さんだったけれど。


「あ・・・」


 何も言わずに、ぎゅっと抱きしめ返してくれた。


「冥加さ・・・」


 名前を呼び掛けた唇は最後まで言葉を発することなく彼に塞がれた。


「んっ」


 冥加さんも演奏が終わった直後で感情が高ぶっているのか、絡みつくようなキスだ。
 いつもならびっくりして固まってしまうだけなのだけれど、今日は違う。
 冥加さんへの思いが溢れていて、抑えられそうになかった。
 彼の首に腕を絡めると、ますます私を抱く腕に力がこもった。


 いったん離れても、すぐに距離が縮まる。
 そっと目を開ければ、熱っぽい視線に捕らわれて、ますます身動きが取れなくなる。
 ああ、きっと私の想いは彼に届いているのだ。
 それに応えてくれるのが嬉しくて、何故か泣きそうになった。


 私も、冥加さんからの想いに応えたい。
 私はあなたのそばに寄り添っていたい。


 私の考えは、不思議なくらい冥加さんに筒抜けで。
 窒息しそうなくらい深い口付けが続く。
 それに翻弄されていた私は、冥加さんの大きな手がそっと背中を撫で始めたのにも気がつかなかった。


 甘い渦に飲み込まれて、何も考えられない。
 このまま身を委ねて・・・・・・。
 その時だ。


「おーい、いつまで二人の世界に浸っているつもりだ」


 容赦ないノックとともに、二アちゃんが扉の向こうで呼んだ。


「!」


 飛び跳ねるような勢いで、私は一気に我に返った。


「いつまで観客を待たせるんだ。あの拍手が聞こえるだろう」

「え?」


 そう言えば、鳴りやまない拍手が私の耳にも聞こえてきた。


「君たちは最高の演奏で、あのアンコールに応えてやらねば」


 君たち、ということは。
 私は冥加さんを見上げた。


 そこには、熱っぽさの欠片も残さない、いつもの冥加さんがいた。
 ちょっともったいない気もしたけれど、これで良かった気もした。ここで止められなければ、きっともう止まらなかっただろうから。


「今行くね!」


 私が返事をしてドアを開けようとした時。


「小日向」

「!?」


 呼び止められたかと思うと、首筋を強めに吸われた。


「なっ・・・えっ!?」


 完全な不意打ちだ。
 けれど冥加さんは何でもないことのよう。


「ほら、行くぞ」

「ちょ、冥加さん!」


 私を押しのけるように、冥加さんは練習室を出て行ってしまった。
 ドアの向こうでは、みんなが顔をそろえて待っていた。


 ぱっと見いつも通りの冥加さんが何だか恨めしい。
 私はこんなに真っ赤になっているのに。
 八つ当たりに近い思いで睨んでいると、どこから入り込んだものか、二アちゃんがそっと近づいてきた。


「君、練習室には季節外れの蚊がいたことにしておいた方がよさそうだぞ」

「どういうこと?」


 首を傾げた私が面白かったらしく、二アちゃんはくすくす笑い出した。
 そして、控えめに私の首を指さした。
 そこは、さっき冥加さんの唇が触れたところで。


「!!?」


 はっとして私は首を隠すように手を当てた。
 もももももしかして・・・!?
 私の仮定を肯定するように、二アちゃんの笑いはますます深くなった。


「冥加は、見かけによらず独占欲が強いようだな」

「いっ、言わないで」


 あああ、こんな状態で、本当にもう一度ステージに上がれるのだろうか。
 ――――しかし、その危惧はすぐに杞憂だと思い知った。


「早くしろ」


 舞台袖にいる冥加さんが私を待っている。


「あ・・・」


 そうだ。
 アンコールは二人で演奏できるんだ。
 冥加さんと音を合わせることはあったけれど、同じ舞台に立って、一緒に演奏するのは初めてだ。
 こんな贅沢はない。
 実際に冥加さんが隣で演奏してくれるなら、私は何も恐れることなんてない。


「はいっ!」


 私は喜びをいっぱいに表情に浮かべ、彼の隣へ急いだ。
 この日一番の演奏ができると、そう確信しながら。









 ――――あのコンサートから、少しだけ私の周りが変わった。


「小日向先輩!」


 オケ部の後輩たちが、私を見かけて声を掛けてきた。
 夕方の昇降口には、部活帰りの生徒でにぎわっていた。
 今日の練習を終え帰ろうとしていた私に、後輩たちは忘れ物を届けるために、わざわざ追いかけてくれたらしい。


「ごめんね。ありがとう」

「いえいえ、小日向先輩のお役に立てたなら」


 にこにこ素直に慕ってくれる後輩は可愛いのだが、私の名前を聞いた周りの生徒たちがにわかにざわめきだす。


「あれが小日向か」

「ああ、あのコンサートの」


 囁く声を聞くのにはもう慣れたけれど、気持ちはまだまだ追いつかないので、声が聞こえるたびに恥ずかしくなる。


 コンサートは大成功に終わった。
 私と冥加さんのアンコールの演奏には惜しみない賛辞が贈られ、いつまでもホールには歓声と拍手が鳴りやまなかった。


 二アちゃんがいたことからも察しがついていたが、このコンサートの様子は新聞部によって余すところなく学院中に大々的に伝えられた。
 最も、初めからこのコンサートは注目度が高く、学校から近い会場で行われたということもあり、実際に鑑賞した生徒も大勢いるようだ。


 しかし、報道はそれどころでは済まなかった。
 何と翌日の地元紙の一面まで飾り、一気に星奏と天音のヴァイオリニストの名は世に知られることとなったのだ。
 どこでそんな情報を得たのか、記事にはしっかりと私と冥加さんが恋人同士であることも書かれていた。
 それがまた、ここまでことを盛り上げたようなのだけれど。


「あっ、小日向さん、練習お疲れ様」

「私達、色々応援しているからね!」


 声を掛けてくれる女の子たちに手を振りながら、「色々」という言葉に込められた意味を想い、また一人赤くなってしまう。


「良かったな、小日向。もし俺たちが相手だったら、夜道でファンに襲われたかも知れなかったぞ」


 と言って神戸に帰って行ったのは、東金さんである。
 確かにあれだけ女の子のファンがいたら、さぞ東金さんたちの彼女になる人は大変だろう。


 でも、冥加さんだって格好良いし、素敵な音だし・・・。
 そこまで考えたところではっとした。
 やだやだ。
 女の子たちが冥加さんを取り囲んだりしていたら。
 想像したくない。


 慌てて私は、夕暮れに染まる石畳を駈け出した。
 オレンジ色の温かい光が世界を包み込む、そんなわずかな時間帯がとてつもなく好きになったのは、あの熱い夏の終わりからだ。
 そして今、その気持ちはますます膨れ上がっていく。


 だって――――
 校門の傍らに見えた、見覚えのある長身。
 下校する生徒の好奇な目に晒されても、一向に構う気配のない堂々とした立ち姿だ。
 毎日見ても、胸にこみ上げる嬉しさは変わらない。
 溢れ出る想いを込めて、私は大きく声を張り上げる。


「冥加さん! お待たせしました!」


 これもいつもと一緒。
 その声にゆっくりと振り返る冥加さんは、自覚があるのかそうでないのか、やや表情も柔らかくて。
 さらに嬉しくなる。


「そんなに大声で呼ばなくても、聞こえている」


 口ではそう言うけれど、本気で煩わしいと思っていないのはすぐに分かる。
 あのコンクールのときから自然と、冥加さんは私の帰りを待っていてくれるようになっていた。
 逆に私が早いときは、私が天音の校門まで迎えに行く。
 はっきり約束はしていない。
 でも、それがお互い望むことだと言うことは、言葉がなくても分かっていた。


「そう言えば、冴香さんから連絡があったんですよ」


 つい昨日のこと、冴香さんから手紙が届いていた。
 先日のコンサートへの称賛と、冥加さんへの認識を改めたこと、自分も負けぬよう練習を積み重ねたいと言うこと、そして。


「阿蘭くんが、ヴァイオリンに対してもっともっと前向きになったって」


 一度は心を砕かれて、どうしようもない絶望感にさいなまれていた阿蘭くん。
 でもあのコンサートの後、彼だけではなく、関芸大のみんなが、再び光を取り戻しつつあると、冴香さんの手紙にはあった。
 きっと来年のコンクールでは、またライバルとしてしのぎを削ることになるのだろう。
 今は単純に、それが楽しみでならない。


 どんどん周りは動き出している。
 前へ、前へと。
 そして、私達の間にも。


「かなで」


 心地良い低音が、私の名を呼ぶ。
 まだ慣れないけれど、凄く幸せな気持ちになる。
 そうだ、また間違えてしまった。


「はい、玲士さん」


 変化の風はゆったり吹き抜けていく。
 とても心地良い。
 無造作に差し出された大きな手に嬉しくなりながら、私は自分の指をぎゅっと絡めた。










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