Sweet Birthday




 


 階下で、入口付近に置いてある大きな時計が、日付の変わったことを、低い音ともに告げていた。
 穏やかに響き渡るその音を聞きながら。


「――――」


 ようやくレインはアンジェリークを解放した。
 長く触れていた彼女の唇は熟れた果実のように真っ赤で、すぐにでも再び塞ぎたくなる。
 そんな想いを収めながら、レインはニッと笑って見せた。


「今年もお前と一緒に誕生日を迎えられたことが嬉しい」

「も、もう、レインたら・・・」


 悪戯っ子のような笑顔に、アンジェリークは口をとがらせたが、本気で怒っているわけではない。
 その証拠に、すぐにその表情は笑顔にかわった。


「お誕生日、おめでとう。私も、レインのお誕生日が今年も一緒にお祝いできて嬉しいわ」


 ――――この、ファリアンの家に暮らし始めてから、随分と日が経っていた。
 当然、陽だまり邸での生活も、思い出すだに久しい。
 今も陽だまり邸の当主はニクスであり、彼はそこで暮らしているのだが、自分たちも一緒に暮らしていたのはひどく前のことのように思えた。


 エレボスの浄化とともに平和が訪れたアルカディアは、ますます発展の一途をたどっている。
 その一端を担っているのが、目の前で子どもみたいに無邪気に笑う、自分の夫であるレインだ。


 それを誇らしく思うとともに、こうして自分の前では相変わらず素直に感情を表してくれることに、アンジェリークは無性に喜びを感じている。


「フォンダンショコラを作ったのよ。綺麗に焼けて良かったわ」


 綺麗にラッピングされた包みを、アンジェリークは寝所のテーブルの上に置いた。


「開けてみて」

「ああ。楽しみだな」


 レインは促されるまま、赤いリボンを解く。
 つい今しがたまで焼いていたらしいそれは、まだ湯気を立てていた。


「すごいな。よく時間ぴったりに」

「ええ、何度も練習したもの」

「そうなのか」


 驚いているレインの前で、ちょっぴり誇らしげにアンジェリークは微笑んだ。
 ハンナとサリーとともに、ハンナの家のキッチンを借りて何度も練習したのだ。
 レインに喜んでもらえたのなら、その甲斐があったというものだ。


 レインがチョコレート生地のスポンジにフォークを入れた。
 その瞬間が一番緊張する。
 アンジェリークが見守る中、一口分切り取られた生地からは、とろりとしたチョコレートが流れた。


「いただきます」


 律儀にそう挨拶してから、レインはそれを口に運んだ。
 その様を、アンジェリークはそれこそ穴が開くのではないかと言うほど、じっと凝視していたので、レインに思い切り笑われた。


「そんなにまじまじ見られると、どうして良いか分からないぜ」

「あ、ごめんなさい。レインに喜んでもらえたかと思って」

「ああ、大満足だ。サンキュー」


 レインはあっという間に一つ平らげた。
 どうやら本当に喜んでくれたようだ。
 アンジェリークがほっとしていると、レインが手招きをした。


「どうしたの?」

「お前も味を見てみたらどうだ? 美味いぜ」


 そういうや否や、レインはアンジェリークを抱きすくめた。
 そのまま顎を掴んで、強引に唇を奪う。


「んん・・・!」


 滑り込んできたレインの舌が、驚きで引っ込んでいるアンジェリークのそれを絡め取る。
 甘い甘い、チョコレート味のキス。


「・・・な? 美味いだろう?」


 にっこり笑顔を見せられては、恥ずかしさでいっぱいのアンジェリークも、何も言えなくなってしまう。
 それだけ自分がレインに心を奪われている証拠でもある。
 それがおかしくて、ついアンジェリークは口元をほころばせた。


「レインには敵わないわ」

「うん?」


 今日だけではない。
 いつもそう。
 気がつくと心を全部持っていかれている。


 最初は恥ずかしくも思ったのだが、今ではもうそれが自然だと思えた。
 自分がレインに惹かれ、レインも自分を想ってくれている。
 この広い大陸の中で、別々の場所で生まれ、それぞれが接点なく生きていた。


 ――――それでも出会えた。


 アンジェリークには、それは奇跡だと思うのだ。
 人々は、エレボスを浄化できたアンジェリークの所業を奇跡と言うが、彼女にとっての奇跡は、レインと出会えたこと、その一点に尽きると思った。
 こうして一緒に暮らすようになってから、いっそうその思いは強くなっている。
 だから、レインには敵わない。


「・・・それは、オレのセリフだと思ったんだけどな」

「レイン? 何か言った?」

「いや、何でもない」


 レインがぽつりと何かを言っていたが、残念ながらアンジェリークの耳には届かなかった。
 彼女が首を傾げているのを見たレインは、くすりと笑い声を零した。


「・・・オレは、誕生日を迎えること自体に、何か特別な感情があるわけじゃない。お前がオレのことを特別考えてくれることが、とても嬉しいんだ」


 そう言って、ゆったりとアンジェリークを引き寄せるレイン。
 そのまま優しくその腕の中に抱く。


「レイン、私がレインのことを想っているのは、誕生日だけじゃないわ。毎日よ」

「ん、そうか。じゃあ、オレと一緒だな」


 二人は同時に笑い出した。
 そのまま額をくっつけ合う。


 嬉しくてたまらない。
 幸せでたまらない。
 何を指してそんな感情が湧いてくるのかを詮索するのは、野暮と言うもの。


 ――――二人一緒にいるから。
 答えをあてはめるとするなら、つまりそういうことなのだろう。


「来年も一緒にお祝いさせてね」

「ああ、お前の誕生日も合わせて、その先も、ずっと、ずっと」


 二人一緒にいる限り、この幸せは続いていくはずだから。
 二人はどちらからともなく、誓いを立てるように口付けを交わした。









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