大切な人




「ちょっと、御免よ」


 ある晴れた日の昼下がり。
 悟浄が休みで家にいるためか、いつもよりゆっくり時間の流れているように感じていた穏やかな時間帯に、その人物は訪ねてきた。
 八戒とは別の方向で派手めの印象を与える彼は、少なくとも私の見覚えのある人物ではなかった・・・と思う。たぶん。


「ええと・・・どちら様ですか?」


 私の誰何の声に、相手が答えるより早く、後ろから思いがけない声が上がった。


「蘇芳? 蘇芳じゃないか!」

「よっ、こんにちは」


 驚きとともに喜びが滲む悟浄に、蘇芳と呼ばれた青年はにっこりと笑った。


「悟浄、この方をご存じなのですか?」

「はい。以前、とある街で一緒に探し物をしたことがありまして」


 悟浄は私に対して、改めて青年を紹介した。


「この人は蘇芳と言うんです。なかなか気の良い青年なのですよ」

「目の前でほめられると、何だか恥ずかしいんだけど」


 そう言いながらも、蘇芳は私に対して片目を閉じて見せた。


 ――――ん?


 その時、私の中で何かが引っ掛かった。
 この表情、どこかで見たことなかっただろうか?
 心の中でひそかに首をかしげる私をよそに、悟浄は蘇芳に私を紹介している。


「蘇芳、この方は玄奘と言って・・・」

「ああ、アンタの大切な人、ね」

「!」


 さっと顔を赤くする悟浄。
 対して蘇芳という青年は楽しそうに笑みを浮かべている。


 悟浄は、何か私のことを彼に言ったのだろうか。
 その・・・大切な人だ、とか・・・。
 ちらりと悟浄に視線を向けると、彼と目が合った。


「ごほん、そ、それは良いから、とりあえず中へ」

「くくっ、はいはい」


 さらに真っ赤になった悟浄は、咳払いで無理やり話題を変えた。
 問答無用で蘇芳を家の中に招き入れる。


「あ、お、お茶、淹れてきますね」

「お願いします・・・」


 どこかぎこちない会話を交わして、私はやや速足で台所に引っ込んだ。
 あのままあそこにいては心が落ち着かなかった。


(私が、悟浄の「大切な人」・・・)


 それは何と甘やかな響なのだろう。
 悟浄が蘇芳にそんな話をしていたということだから。


(これは・・・結構、嬉しいです・・・)


 思い出したように顔が熱くなった。
 私はお湯を沸かしながら、茶器を用意する。
 その間、居間のほうから悟浄と蘇芳の声が聞こえた。
 会話の内容までは聞こえないが、何だかとても楽しそうだ。


 そういえば、旅の道中では手のかかる同行者たちにいつも説教して回っていたので、このように笑い声を交えて語り合う姿を見たことがなかった。


(まあ、同行者が悟空と八戒と玉龍ですからね・・・)


 悟空は途中で寝てしまいそうだし、八戒は悟浄を怒らせて終わり、玉龍に至ってはばっさり一言言い置いて猫を追いかけて行ってしまうんじゃないだろうか。
 そう考えると、この蘇芳という青年はよほど悟浄と気が合うのだろう。


「失礼しますね。お茶をどうぞ」

「ありがとうございます」


 お茶を出す私に、丁寧な礼を述べる悟浄。
 そのやり取りを見ていた蘇芳が一言。


「なあ、あんたたち。一緒に暮らしているのに、何か前とあんま変わってなくねぇ?」

「えっ!?」


 びっくりして私と悟浄が同時に目を剥く。


「そ、そんなことないぞ! だって、呼び方も違うし・・・」

「そうですよ、悟浄は仲間じゃなくて、今はこ、恋人として優しくしてくれますし」

「・・・って、二人ともそっちに驚くんだ」


 何故かげんなりとした様子の蘇芳だったが、私たちはその様子に気がつくことはなかった。
 何故なら。


「まあいいさ。とりあえず二人で暮らしていたんだからさ」

「蘇芳?」


 出されたお茶を一気に飲み干した蘇芳は、突然席を立ったのだ。


「慌ただしくて悪いね。内緒で抜け出してきたんで、そろそろ戻らないとうるさい奴らがいるんだ」

「そ、そうか・・・。また寄ってくれ。いつでも歓迎するから」

「ああ、分かったよ」


 にっこりと笑って、彼は迷いなく外へ出てこうとする。
 何だかつむじ風みたいな人だ。
 それでも、悟浄にとっては貴重な相手のようだし、彼との会話を楽しんでいたので、悪い人ではないのだろう。
 ・・・基準が悟浄になっているあたり、私も相当何というか。


「ああ、そうだ」


 突然蘇芳がそんな事を言ったので、私は我に返った。
 彼は扉の前に立つと、私たちに向き直った。


「オレ、アンタ達に感謝してんだ。今こうしてオレがここにいるのも、アンタ達のおかげだって」

「何だ、いきなり。俺たちが何かしたのか?」

「分かんなくて良いよ。オレが勝手に感謝してるんだ」


 眩しい笑顔を向けられて、私も悟浄も互いに顔を見合わせて首をかしげる。
 面識があるはずの悟浄にすら身に覚えがないのだ、初対面の私にだって感謝される理由は分からなかった。
 困惑している私たちの顔を見て、


「ホント、似た者夫婦だねえ」


 何故か蘇芳だけが満足そうだった。


「じゃあ、またな」


 それ以上の説明をしなかった蘇芳は、疑問を解消できないでいる私たちを置いて、今度こそ飛び出して行ってしまった。
 直後、どこか聞き覚えのある悲鳴が聞こえたと思ったのだけれど、気のせいかもしれない。
 それよりも。


「悟浄、あの方に私のことを、その、大切だとか、言ったんですか?」

「・・・はい。まだ旅の途中のことでしたが、玄奘が大切な存在であることは、今も昔も変わりませんから」


 迷うことない、まっすぐな悟浄の答え。
 しかし、私はだからこそ気にしてしまう。
 悟浄は今も昔も変わらず、私のことを主として見ているのではないかと。
 そんな私の心情を察したのか、悟浄は柔らかな笑みを浮かべた。


「以前は従者として、主であるあなたが大切でした。ですが今は違います。一人の男として、あなたをお慕いしています」

「悟浄・・・」


 悟浄の手が伸びてきて、私をそっと抱き締める。
 温かい。
 どうして悟浄には私の心の中まで見透かされてしまうのだろう。


 ――――でも、それは私を思ってくれていることの証明のような気もして、素直に嬉しい。


「あ・・・ええと、お茶、また入れてきますね」


 顔が赤くなってきた。
 それがとても恥ずかしくて、私は慌てて悟浄から離れる。
 そしてそそくさと台所へ引っ込んだ。
 背中で、悟浄が声を殺して笑う姿が容易に想像できて、さらに私は顔を赤くした。







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