誕生日プレゼント




「ええと、あの、さ・・・」
 始まりは、心ノ介の歯切れの悪い言葉からだった。
「何ですか?」
 心ノ介の住むアパートで洗濯物の整理をしていた紗依は、手を止めぬまま問い返す。
 正座をして、自分のひざの上にタオルを広げ、丁寧にたたんでいる彼女は、穏やかな微笑を浮かべていた。
 まるで新婚の妻のような姿にどきりとさせられながら、
「あのよ・・・だから、つまり・・・」
 言葉を必死につむぎだそうとしている心ノ介。
 いつもと違う様子に、ようやく紗依は視線を彼に向けた。
「本当にどうしたんですか。何か言いにくいことがあるんですか?」
 下から顔を覗き込まれて、心配そうな顔をされてはたまらない。
 覚悟を決めた心ノ介はがしっと紗依の肩を掴むと、彼女の目を見て言った。
「紗依、膝枕をしてくれ!」
「え!?」
 驚いて目を見開いた彼女に、畳み掛けるように続ける。
「実は俺、今日誕生日だったんだよ。だから、お前からプレゼントとかもらえると嬉しいかな、と。んで、膝枕して欲しいなあ、なんて・・・」
「な、何で黙っていたんですか!?」
「へ?」
 わなわなと肩を震わせる紗依を見て、目を見開いている心ノ介の鼻筋に紗依の人差し指が差し出された。
「心さんのばか! せっかくの誕生日、もうほとんど過ぎちゃったじゃないですか! どうしよう、お祝いの準備していないですよ」
「え、えーと・・・いや、何か自分から言いづらくて」
 ぽりぽりと頬を掻く心ノ介に、紗依は困り顔だ。
「あ、そ、そうですよね。私が訊いておかなかったばっかりに。すみません! ああ、お祝いをするとなると・・・あ、これから買出しに行って、それから・・・」
「紗依!」
 慌てふためく彼女の肩を、心ノ介はがっちりと掴んだ。
「祝ってくれる気持ちがあるなら、頼む! 俺の夢を叶えてくれ!」
 それが先ほどの膝枕につながるのだと思うと、紗依は首を縦に振るしかなかった。
 それが、どんなに照れくさいことだったとしても。



「あの・・・」
「な、何だ・・・?」
 お互いぎこちなさを感じながら、双方ともに相手の反応を気にしている。
 何か話そうと思うのだが、
「じ・・・心さんは、今まで膝枕の経験は?」
 などと、聞いてどうするのだという質問しか浮かんでこない。
 だが、心ノ介は心ノ介で、
「あ、あるわけねえだろ。だから夢だったんだって」
 自分から要求したことであるのに、顔を真っ赤にしながら天井を仰いでいる。
 紗依だって、男の人に膝枕をするのは初めてだった。
 今正座した紗依のひざには、乾いたタオルの代わりに、心ノ介の頭が乗っている。
 愛しい人の重みだと思うと、夕日を浴びただけではすまないくらい、顔が赤く染まってしまう。
 ただ人の頭が、自分のひざの上に乗っているだけなのに。
 そう思うと、不思議だった。
 こんなにも緊張し、そして幸せな気持ちになるなんて・・・。
「あ・・・」
 気がつくと、紗依はそっと心ノ介の頭を撫でていた。
 どうしてか、相手に触れたくなったのだ。
「・・・・・・」
 それは心ノ介も同じだったのだろう。
 ゆるゆると大きな手が伸びてきて、紗依の頬に触れた。
 互いの視線が交錯する。
 誘われるように紗依の身が沈んでいく。
「――――」
 窓からの西日に照らされて、静かに唇が重なった。
 唇が離れてからやっと、紗依は自分が何をしていたかに気がついた。
「! ご、ごめんなさい、私・・・」
「え? え? あ、おい!」
 紗依が恥ずかしさに思い切り体を引いた。
 その瞬間、
「あだっ!!」
ごつん! というものすごい音とともに、ひざの上に乗っていた心ノ介の後頭部が床と激突した。
キスの余韻に浸っていた彼は、完全に油断していたため、衝撃は計り知れない。
「きゃあ! 心さん、ごめんなさい!」
 打ち付けた箇所を押さえて悶絶する心ノ介に、あわてて近寄る紗依。
「大丈夫・・・んんっ!?」
 様子を見ようと顔を近づけたとたん、言葉は遮られ、唇に再び熱を感じた。
 呆然としている紗依に、痛む頭を押さえつつ心ノ介は明るく笑う。
「不意打ちは、これでお互い様だろ」
 改めて言われると顔に熱が集まっていく。
 そんな紗依を心ノ介は大切そうに抱きしめる。
「な、なあ。誕生日プレゼントなんだけどよ・・・やっぱ膝枕以外にも欲しいものがあるんだが・・・」
「あ、はい! 良いですよ。何でも欲しいものを言ってください」
 火照った顔をそのまま向けると、同じくらいかそれ以上、首まで真っ赤にした心ノ介がポツリと呟くように言う。
「お前」
「え?」
 意味が分からず首をかしげる紗依に、
「だから、俺は、お前が欲しいんだ!」
「ええっ!?」
 膝枕を要求するときの何倍もの覚悟を持って口に出した心ノ介の言葉で、ようやく彼が望んでいるものが何なのか分かった。
 目を見開いている紗依の前で、心ノ介は彼女の反応をちらちらうかがいつつ、
「・・・・・・なんて言ったら、ベタか?」
 ごまかすようにそう付け加えた。
 それがとてもおかしくて、紗依は吹き出してしまった。
「な、何だ? 急に笑い出して・・・」
「ふふ。心さん、可愛いなあって」
 くすくす笑う紗依につられて、心ノ介も照れ笑いを浮かべる。
 太陽が沈んだためか、窓の外が急速に暗くなり始めた。
 明かりをつけていない室内で、だんだんと心ノ介の顔が闇に溶けていく。
 それが、彼が消えてしまうように思えて――――
「え?」
 紗依は心ノ介を抱きしめていた。
「紗依?」
 心ノ介が名前を呼ぶと、紗依はまっすぐ彼を見つめた。
「ごめんなさい。何だか、心さんが消えてしまいそうで・・・」
 消えてなくて良かった、とさらに彼女の腕の力が強まる。
 それがいとおしくて、心ノ介も紗依の体に回した腕に、改めて力を込めた。
「こうしてたら、消えねえだろ?」
「うん・・・」
 ほっと紗依が安堵のため息をついたのが分かる。
 もう駄目だ、と心ノ介は思った。
「・・・俺としては、このまますぐに誕生日プレゼントが欲しいんだけど」
「!」
 というか、紗依が拒否したとしても、もうすでに彼女を離せそうになかったのだが。
「あ、あの・・・」
 どう答えて良いのか分からず言葉を濁す彼女すらいとおしい。
 答えを聞く前に、心ノ介は紗依に口付けした。
「!」
 抵抗しない紗依から、唇が離せない。
 先ほどよりも長く、深く、何度も彼女を求めてしまう。
「・・・紗依」
 かすれた呼び声に紗依は潤んだ瞳で答える。
「何、ですか?」
 彼女は知らないだろう。
 彼女の動作、言葉の一つ一つが全部、心ノ介を誘っているということを。
 もう一度キスを落としてから、心ノ介は紗依をそっと押し倒した。
「お前が欲しい」
 はっきりと言葉にできた自分に、いつもの彼なら賞賛を送るところだ。
 残念ながら、今の彼にはそんな余裕はなかったのだが。
「返品は不可ですよ?」
「誰が返品なんかするかよ」
「だったら・・・」
 かすかな声で、いいですよ、という言葉が返ってきた。
「絶対、一生大切にするから」
「うん」
 あたりはすっかり暗くなっていた。
 目の前にいる互いの輪郭もぼやけていて定かではない。
 けれど、手を伸ばせばすぐに相手の熱を感じられた。
「心さん・・・」
 耳元でささやかれる自分の名前に、心ノ介は心が満たされていくのを感じていた。





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