頼れる人
「・・・うーん」 私はポストに入れられていた封筒を目にして、唸り声を上げた。 真っ白い封筒には私の宛名しか書いていない。 差出人が書かれていない手紙は、ろくなものではない、というのが、最近私が学んだことだ。 「またか・・・」 うんざりしながらも、一応その封筒をかばんの中に放り込むと、沈んだ気持ちのまま大学へ向かっていった。 差出人の手紙が届くようになったのは、シュウが私のことを「俺の女」発言をしてから。 たぶんシュウファンの女の子が、恨んで送ってきているのだろう。 最初は私を非難する文面だったものが、だんだんと内容が過激になってきている。 別れないとどうなるか・・・なんて、脅迫だ。 とはいえ、こんな手紙を受け取っていると知ったら、シュウが何をするか分からない。 バンドもようやく軌道に乗ってきたところだし、ようやく自由にライブが出来るようになってきているのだ。 問題を持ち込んで、また騒動になるのは避けたかった。 「ハア・・・」 重い足取りで大学にやってきた私は講堂の隅に席を取ると、手紙の封を切ろうとして・・・。 「っ!」 指に痛みが走り、思わず封筒を落としてしまった。 「!?」 それと同時に、破れた口から鈍い光を放つ刃物が見えた。 自分の指からは、真っ赤な血が静かに球状に盛り上がってきている。 痛みとは裏腹に、ちょっと刺さったくらいで済んだみたいだ。 それを呆然と見ながら、私は背筋がぞっとした。 これはもしかしてうわさに聞く、カッター入り手紙・・・。 「これはさすがに、相談したほうが良いかな・・・」 がっくり肩を落としながら、指を口に含んだ。 「なるほどね」 急に呼び出したというのにいやな顔一つせず出てきてくれたミックさんは、私の話を聞いて腕を組んだ。 「まあ、ある程度予想できたことといえば出来たことなんだけど」 テーブルの上に置かれているのは、今朝私が受け取った刃物入りの手紙だ。 私は講義の後、リーダーのミックさんを呼び出した。 相談するならこの人しか浮かばなかった。 「これが初めて・・・じゃないよね?」 「はい。本格的には、大阪のライブのあとから」 「・・・とすると、それ以前からのファンってことか」 ミックさんは苦い顔でコーヒーを口に運んだ。 「すみません。ご迷惑かけて・・・」 今でもファンの間では、私の存在は賛成派と反対派の両方に分かれている。 女の子が、それも前はファンだった子がバンドに入るなんて許せない、という意見と、キーボードの腕は良いのだから関係ない、という意見。 最近は後者も増え、理解してくれるファンが多いが、それは音楽に詳しかったり最近ファンになってくれたりした人が多く、古参のファンの間ではやはり私の存在は疎ましいみたい。 中でも過激なシュウのファンの中では、消えて欲しい人間の第一位に私がいるらしい。 私のことについては、ファンの間でも話題に上がって、ファン同士でいさかいが起こることもあったと、ファン時代からの友人が教えてくれた。 DEVIL×ANGELの音は誰もが認める、すばらしいものだ。 けれどそれとは違ったところで、私のせいで、変な評価をされてしまうのが本当に申し訳なかった。 「君のせいじゃないよ」 私の心のうちを読んだのか、ミックさんは優しく微笑んだ。 「オレたちには君の音が必要だ。君がいて、オレたちは初めて完成される。これは君個人の問題なんかではなく、オレたちDEVIL×ANGELの問題だよ」 「ミックさん・・・」 「今更遠慮なんてしないで欲しい。仲間なんだから」 「・・・はい」 本当はミックさんの言葉に甘えてはいけないのかもしれない。 でも、彼の言葉が嘘でも上辺だけのものでもないと分かるから、嬉しさは抑えられなかった。 「とりあえず・・・」 ミックさんは刃物が入った手紙をしげしげと眺めた。 特に何の変哲もない封筒。 シンプルに私の名前しか書いていない。 真っ白な封筒に、パソコンでプリントされたゴシックの文字が、いやに不気味に見える。 「手紙はいつも、こんな感じ?」 「はい。私の名前しか書いていないんです。中身はその時々で違いますけど、シュウと別れろとか、そんな内容です」 「ふむ・・・妙だね」 「え?」 びっくりして顔を上げると、神妙な面持ちのミックさんと目があった。 「考えてご覧よ。普段ファンレターはどうやって届く?」 「えっと、それは事務所から・・・」 あっ、と私は思わず大きな声を出した。 周りの視線がいっぺんに集まってしまって、何でもありませんと頭を下げてから、ミックさんに向き直る。 「そう。普通だったら事務所を通るはずなんだ。けれどそこには君の名前しか書いていない。あまり考えたくないことかもしれないけど、犯人は君の身近にいるんじゃないかな?」 「・・・・・・」 確かに考えたくないことだった。 けれど、つじつまが合ってしまう。 私を知っている人、もしくは私を知っている人を知っている人。 どちらにせよ、それほど遠くにはいないはずだ。 「一晩考えて、犯人に目星をつけて欲しい。いやな作業になるけど・・・」 「もし、心当たりのある人が居たら・・・」 もしかして警察に通報するの? 誰なのかはわからないが、そうして良いのか迷っていると、ミックさんはふと表情を緩めた。 「大丈夫。とりあえずその人に会って、まずは説得だ。前からファンでいてくれたのなら、納得してくれるまで話し合ってみよう」 「は、はい!」 そうか、その手があったんだ。 DEVIL×ANGELを好きになってくれた子に、認めてもらう。 みんなに理解してもらうのは大変かもしれないけれど、だからといって私が立ち止まっていてはいけない。 分かってもらえるように、さらに上を目指して努力しないと。 何だか改めて気持ちが引き締まった気がした。 「じゃ、とりあえず明日、同じ時間にここで良い?」 「はい。あの、それで・・・」 「ああ、わかってる。みんなには内緒だろ? 特にシュウには」 「お願いします!」 こんな手紙を受け取っているなんて知ったら、シュウは女の子相手でも構わず殴りこみに行ってしまいそうだ。 それでシュウを嫌いになってしまったら、ファンの子もかわいそう。 同じファン同士、通じるものがあった。 「じゃあ、今日はありがとうございました」 「いいよ。じゃあ、また明日」 そういって私たちは喫茶店で別れた。 この機会に、この手紙の送り主と和解できるかもしれない。 そんなほのかな希望を抱きながら、住み慣れたマンションのエントランスを抜ける。 エレベーターに乗って自分の部屋の階でおりると、 「あれ?」 見覚えのある人物が部屋の前で待っていた。 「シュウ? どうしたの?」 「・・・・・・」 シュウは私の顔を見るなり、険しい表情になった。 「?」 な、何なの? その物騒な顔は・・・。 私はゆっくりとシュウに歩み寄る。 「えっと・・・待っててくれたの?」 「・・・・・・話がある」 私の質問には答えずそれだけ言うと、シュウは私の腕を掴んで強引に自分の部屋に引っ張った。 本当に、どうしたの? 私は彼の顔を見上げた。 どう贔屓目に見たって、怒っているようにしか見えない。 しかももの凄く。 「シュウ・・・?」 名前を呼んだとたん、 「っ!」 勢い良く壁に押し付けられた。 「いたっ・・・」 手首をがっちりと掴まれているため、身動きが取れない。 そうでなくてもシュウの顔が迫っていて、逃れることは出来なかった。 「お前、何を隠している」 「え?」 低い声でシュウがそう問いかけてきた。 「何か隠しているんだろ?」 「どうして・・・?」 どうして分かったの? 目を丸くして驚く私に、彼は忌々しそうに舌打ちをした。 「チッ、ホントかよ・・・」 私の手首を掴む力が強まる。 嫌がらせの手紙を受け取っていたことを知ったら、シュウは絶対犯人を許さないだろう。 きっと殴りこみに行く。 それが怖くて黙っていたのに、内緒にしていたことがばれてしまうなんて、素直に事情を話すより始末に悪い。 「お願い、怒らないであげて」 私はとっさに犯人をかばうような発言をした。 だって、何をするか分からない。 そりゃまだ誰が犯人かは分からないけど、分かったときの彼の怒りは凄そうだ。 そんな思いが気に入らなかったのか、シュウは剣呑な光をたたえた目で私を睨んだ。 そして、とんでもないことを言い出した。 「そんなにミックをかばうのか?」 「・・・・・・は?」 ミックさん? 何でここで彼の名前が出てくるの? 「え? ま、待って、何のこと?」 もしかして、何か彼は激しい勘違いをしているのでは。 事情を聞こうとさらに口を開いた私だったが、言葉を発する前に塞がれてしまった。 「んんーーーっ!」 乱暴なキス。 不意打ちに驚く私を押さえ込むように、シュウは執拗に私の唇を追う。 「ちょっ・・・まっ・・・・・・」 待ってくれと言いたいのに、全部シュウに飲み込まれてしまう。 空気が足りないせいなのか、だんだんと頭がぼんやりしてきた。 気が抜けたとたん、もっていたバッグが手から滑り落ちる。 どさりと言う音の後、中身が散らばった。 「!」 目の端に白い封筒をとらえた瞬間、私はシュウの手を振り払って、それを隠すようにバッグに押し込んだ。 勿論それが、もの凄く不自然な行動であることは明らかだ。 シュウは有無を言わさず私の手から封筒を奪い取った。 私の名が書かれた封筒に顔をしかめた後、私がとめるのも聞かずに中身を読み始めた。 「これは・・・」 全てを読み終わったあと、信じられないような目で私を見てくる。 「お前・・・まだこんな手紙をもらっていたのか」 シュウの中ではもう終わったことだったんだろう。 確かに、彼がコンサートで「俺の女」宣言をしてくれたおかげで、以前ほどひどい中傷の手紙をもらうことはなくなった。 それだけに、シュウの驚きは一層大きかったと思う。 「何で、黙ってた」 押し殺したように低い平坦な声。 私はびくりと身を震わせてから、言い訳じみた言葉を紡ぐ。 「だ、だって、こんなこと知れば、きっとシュウは怒るだろうから・・・」 「だから、ミックを頼ったのか」 いよいよ不穏な空気を纏い始めた彼に、私は自分のした軽率な行動を後悔した。 本当は、彼に最初に助けを求めるべきだったんじゃないだろうか。 いくら彼がカッとなりやすいからと言って、黙っていたのは彼のプライドを傷つけただろう。 「ごめんなさい、私・・・」 謝罪の言葉を述べようとした私は、直後聞こえた大きな音に、言うべき言葉を飲み込んだ。 「――――くそっ!」 ドン! という大きな音ともに、シュウが忌々しそうに舌打ちをした。 彼の拳に打ち付けられたテーブルは、痛みを訴えるように大きな悲鳴をあげ、小刻みに震えた。 「法子・・・」 「え?」 怒りの矛先は自分に向けられていると思ったのに、気がつくと私は、シュウの腕の中にいた。 何・・・? 真っ白になった私の耳に、呻くような彼の声が聞こえた。 「悪い」 「!?」 その一言は、私の予想していたものではなかったので、息を呑む。 どうして彼が謝罪の言葉を述べるのか。 その疑問は、さらに聞こえてきた彼の言葉で明らかにされる。 「お前は俺が守ってやらなきゃならねえのに、まだこんな嫌な思いさせちまって・・・」 「・・・・・・」 「嫌いになったか、俺のこと」 「そんなこと・・・」 シュウの腕の温かさにうっとりしていた私は、弾かれたように顔をあげた。 「そんなことない! こんな嫌がらせくらいで嫌いになるんだったら、とっくにシュウのこと、嫌いになっているよ」 これまでだって嫌がらせは多かった。 今の比じゃないくらいバッシングがあった。 ライブ中に暴言を吐かれることだってあった。 でも、それでもここまで続けてこられたのは、シュウのことが好きだったのと、彼が守ってくれていたからだ。 「シュウが一緒だから、私も頑張れるんだよ。シュウはいつだって私を守ってくれたもん。だから、これからも一緒にいたいよ」 「法子」 シュウはそっと私に口付けをする。 さっきのような乱暴さは全然ない。 いつもとも違う、優しいキスだった。 「・・・その手紙の件、俺に預けてくれ」 「え?」 シュウはちらりと手紙に目を移す。 無意識のうちに握り締めてしまっていたので、白い紙はぐしゃぐしゃになってしまっていた。 「シュウ、どうするつもり?」 「その手紙の主に、心当たりがある」 驚く私を見て、シュウはうなずく。 「今日の夕方だ。トラのやつと行きつけのゲーセンで、見知らぬ女に声かけられたんだ。あなたの彼女は浮気をしている、ってな」 「!? そんな、私・・・!」 「その女は、お前がミックと浮気しているんだと言いやがってな」 「あ! だから、さっき・・・」 シュウが待ち伏せしていた謎も、ミックさんの名前が出たことも、これで納得ができた。 納得する私から、気まずそうにシュウは目をそらした。 「そっか、その人が犯人である確率が高いんだ・・・」 「ああ。タイミングが合い過ぎている。幸い、そいつの連絡先、分かるんだ」 協力するから、何かあったら知らせて欲しいと、その女の人に連絡先を教えられていたらしい。 「この女、いったい何のつもりで、こんなことしやがる」 携帯の画面を見ながら、シュウは顔をしかめる。 その顔を見て、私はとっさに彼の腕を掴んだ。 「ダメ! 乱暴なことはしないで」 もしそれで、犯人と思われる女の子がひどい目にあってしまったら。 DEVIL×ANGELの活動に支障が出てしまったら。 ――――きっと、シュウはとても傷つく。 私の不安を拭うかのように、彼はぽんと私の頭に手を載せた。 「そんな顔するな。お前の心配するようなことはしねえ。俺がカタを付ける」 「シュウ・・・」 「こんなことを解決できなけりゃ、お前を守ることなんで出来ねえし。あ、あと、ミックに貸しを作るのも御免だ」 つん、とそっぽを向いたシュウ。 ミックさんに多少なりとも嫉妬している様子がうかがえて、思わず私は笑ってしまった。 「ちっ、勝手に笑ってろ。ともかく、お前は何の心配もするな」 「だけど、どうやって・・・」 「話し合いだ」 話し合い・・・なんて、なんて彼に似合わない言葉なんだろう。 「俺だっていつまでもガキのまんまでいられるか。きっちり解決して、今ここで俺を疑ったお前を笑ってやる」 心の中を見透かされたようでどきりとしたけれど、シュウはそれ以上多くを語ろうとはしなかった。 ――――俺を信じていろ。 それだけを告げて。 「ふう、まったく。今回はうまくいったから良いものの」 私とシュウ、交互に見やってから、ミックさんは盛大なため息をついた。 場所は昨日約束した喫茶店。 約束通りの時間にやってきたミックさんは、私の隣にいるシュウを見てどきりとしていたが、彼の口から、 「話はついた」 との言葉を聞いて、すべてを悟ったようだった。 そして出たのがさっきの言葉。 私たちの向かいに座ったミックさんは、難しそうな顔をして腕を組んだ。 「もしかしたら、DEVIL×ANGEL解散の危機だったんだからな、シュウ、分かっているのか?」 「んなことに何ねーよ」 シュウは煙草をふかしながら、そっぽを向いた。 そんな姿にも、ミックさんは頭を抱えた。 DEVIL×ANGELのリーダーって、私の思っている以上に大変なのかもしれない。 「それで? 本当に大丈夫なのか?」 「ああ。その女、泣いて謝っていたぜ」 「・・・お前はそれを許したのか?」 「許してねーよ」 「え?」 私とミックさんの声が綺麗に重なった。 「お、お前、もしかしてその子をぼこぼこに・・・」 「するわけねーだろ」 「じゃあ・・・」 納得のいかないミックさんの視線に、シュウは面倒臭そうに火を付けたばかりの煙草を灰皿に押しつけた。 「その女のしたことは許してはねー。法子を傷つけたことは許せるはずねえだろ。だから、その女にも言った。俺が法子を俺の女にしたことを、許さなくて良いって」 よほど手持無沙汰だったのか、シュウは早くも新しい煙草に火を付ける。 「それで、相手の女の子は納得したのか?」 「ああ」 「・・・・・・」 私とミックさんは顔を見合わせた。 それが気に入らなかったのか、シュウがむっと顔をしかめる。 「何だ、その反応は」 「あ・・・ううん、何か、予想外といえば予想外だし」 「シュウらしいといえば、シュウらしいな」 はははっ、とミックさんが明るく笑い声をあげた。 「まあ、しばらくは様子見だな。それでまた困ることがあれば、呼んでくれ」 「ミックさん?」 さりげなく伝票を取って、ミックさんは早々に席を立つ。 「どうやら、オレの出番はなさそうだろう」 「あ・・・ありがとうございます!」 「それは、シュウに言ってやりなよ」 じゃあと言って、会計を済ませてお店を出て行った。 残されたのは私とシュウ。 不意に視線を感じて顔をあげると、シュウがじっとこちらを見つめていた。 「な・・・何?」 「そういや、言われてねえと思ってな」 「え?」 「『ありがとう』」 「あ・・・」 そうだった。 この喫茶店で待ち合わせだったのも、 「ミックに会ってから詳しく話す」 と言ったまま、詳細は聞かされていなかったのだ。 だから、無事解決したと言われて、お礼を言い忘れていた。 「ありがとう」 そう言おうとした私の唇を、シュウはそっと塞ぐ。 自分の唇で。 「なっ・・・! シュウ!」 「これで礼はもらったぜ」 くすくすと笑うシュウの顔が悔しくて。 しかも周りの視線が恥ずかしい。 そんな中で私は、顔を真っ赤にしながら頬を膨らませるのが精一杯だった。 |