手をつないで
堂本君が記憶を取り戻した。
夕日を受けてきらめく海面をしばらく二人で眺めながら、完全にあたりが暗くなったところで、どちらからともなく手を取り合って立ち上がった。
「・・・ごめんね。結局またお世話になっちゃって」
「いーって。ばあちゃんも喜ぶし」
「おばあちゃん、驚くよね。私は帰っていないし、堂本君は記憶取り戻しているし」
「まーな。驚きすぎて心臓止まらなきゃいいけど」
「もう、そんなこと言って!」
失礼だよ、と堂本君を睨みつけた私だったが、すぐにまた自然と笑顔になってしまう。
・・・本当に、思い出したんだ。
明るい笑顔も、おどけた口調も、全部全部懐かしかった。
一ヶ月間、記憶のなかった堂本君と過ごしてきたのに、ずいぶん長いこと会っていなかったような気がする。
こうして手をつないで肩を並べて歩くことも、心から笑いあうことも、全てが愛しい。
私たちが帰ると、案の定おばあちゃんはとても驚いた。
それはそうだろう。
私だって、こうしてまたここに戻ってくるとは、しかも記憶の戻った堂本君と一緒にいられるとは、思ってもみなかったのだ。今でもこれは夢じゃないかなと思えてしまう。
でも、そのたびにつないだ手のぬくもりが、これは現実なのだと教えてくれる。
「ご、ごめんなさい。あの・・・もう少し、お世話になってもいいですか?」
間抜けなお願いだと思いつつもそう問うと、おばあちゃんはせかすように奥へ入るように手招きした。
「悪い。世話、かけちまって・・・」
「何言っているんだい。何が迷惑なものか。そうだ、母さんに連絡しなくちゃね」
しんみりと頭を下げる堂本君を見たおばあちゃんの目には、涙がにじんでいた。やっぱり、気丈に平静を装っていたのだろうと思う。余計な刺激を堂本君に与えないように。
それを隠すように私たちに背を向けると、ばたばたと廊下をかけていった。
「おばあちゃん、嬉しそうだったね」
「そりゃあ、いちおう。可愛い孫だからなぁ」
ふざけた口調はいつも通りなのに、その顔には照れ笑いが浮かんでいる。
「ふふっ、そうかもね」
わざと軽く応じるのが照れ隠しにしか思えなくて、思わず吹き出してしまった。決まりが悪そうに堂本君が顔をゆがめると、奥からおばあちゃんの声が聞こえた。
「ほら、広。母さんに元気な声を聞かせておあげ」
「へいへい」
私たちは手をつないだまま、靴を脱いで奥へと歩を進めた。
それから、ささやかな宴会が催された。
堂本君とおばあちゃんと私。
おばあちゃんと私が作った料理を囲んで、ちょっとお酒もいただいた。とてもあたたかくて、幸せな時間。
「こいつは、俺の大切な人なんだ」
そんな風に改めて紹介されたときはちょっと恥ずかしかったけれど、その何倍も嬉しかった。
話は尽きなかったけれど、記憶が戻ったばかりの堂本君を気遣って、早めにお開きとなった。
後片付けを手伝って、私は先にお風呂をいただいて、おばあちゃんが引いてくれた布団の上で、ぼんやりとしている。
静かな海辺の町は、波の音しか聞こえない。
時折吹き込む潮風が、火照った体を程よく冷やす。
「どうしたんだ?」
そう堂本君に声をかけられるまで、私は何も考えずにぼうっとしていた。
「ううん、なんでもないよ。・・・それより、何で堂本君がここにいるの? って、しかもどうして私の布団に入っているのよ」
一ヶ月間私に貸し出されていた部屋の私の布団に、さも当然そうに堂本君がもぐりこむのを見て、私は首をかしげる。
堂本君の布団はふすまを挟んだ向こうにあるはずだ。
私の様子に、堂本君は逆に大げさに驚いて見せた。
「何言ってるんだ。俺たちいちおう恋人同士なんだぜ。一つの布団に寝ることに、何の不思議がある」
「そ、それは、ないかもしれないけど・・・」
普段なら突っぱねられる言い分も、今日ばかりは何となく認めてしまった。
妙な納得感とともに布団に入ると、それを待ちかねていたように堂本君の手が伸びてきて私をいともたやすくとらえた。
「へっへっへ。もう逃げられないぜ」
「それ、どこかの悪代官みたいなセリフだよ」
あきれた視線を投げかけたのに、堂本君はそれすら嬉しそうににっこり微笑んだ。
「だって俺、お前と同じ布団になんて入ったら、何もしないで朝を迎える自信なんてねーもん」
「え?」
私がその言葉の意味を理解したら、布団から飛び出すと分かっていたのだろう。
堂本君は疑問を投げかけようとして開きかけた私の口を塞いだ。
「んんっ・・・!」
キスは初めてではないのに、久々のせいなのか、胸が詰まるほど驚いた。
「ど、ど・・・もと、く・・・」
名前を呼ぼうとしているが、うまくいかない。
そんな余裕も与えられず、深く口づけられているうちに、初めて堂本君に抱かれた時の熱が蘇ってきた。
ずっと触れ合っていなかったからだろうか。
自分でもびっくりするほど早く、その熱は高まっていく。
「未来・・・」
堂本君のかすれた声に、彼も同じ気持ちなのだとわかる。
それがとても嬉しい。
「堂本君・・・」
両手を伸ばして堂本君の首に腕をからめると、彼は照れたように顔を赤くしながら微笑んだ。
「お前も、一緒?」
「う・・・うん・・・」
相手が欲しい。
自分が相手のものだと確認したい。
もっと深く触れ合えたら・・・。
それが二人の共通の願いだ。
「好きだぜ」
「私も・・・好きよ」
どうして今まで気がつかなかったんだろう。
こうして思いが通じ合うことが、こんなに幸せなんて・・・。
「もう、はなさねぇよ」
「うん。ずっと、一緒にいてね」
昨日の夜は、ここを出ようと決心していたというのに。
――――不思議。
一日しか経っていないのに、結局彼から離れることなんてできなかったんだから。
自然とお互いの顔が近づいていく。
私は、彼のすべてを受け入れるべく、静かに目を閉じた。