恋人の特権
初姫と繭澄藩の次男。 その二人の結納の場がとり持たれたことで、望月城は今、盛大な宴会が催されている。 昼間から始まった結納の儀は、爺の心配を大きく裏切る形で、つつがなく終了した。 主だった繭澄藩の者たちは、城の外にある藩随一の高級宿屋に宿をとってあるので、今この座敷で宴会を催しているのは望月藩の者たちのみ。 加えて紗依が参加したことで、なし崩し的に用心棒たちお馴染みの顔も列席していた。 無礼講とは、この場のことを言うのだろう。 身分の上下なく藩に仕える家臣たちは、あのお転婆姫がついに婿を取る気になったことを素直に喜びあっていた。 爺やに至っては、 「姫様の縁談を結べたこと、我が人生で最大の功績でござる」 とまで言って、涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにして喜んだ。 隣にいた宗重も何度もうなずき、しまいには酔っぱらいのどうしようもない家臣二人は、酒の力も借りて肩を組み合い、「初姫様のご結婚の歌」をその場で作詞作曲し、高らかに歌い上げたので、堪忍袋の緒が切れた主君の姫に仲良く蹴倒されていた。 それを見て、乾いた笑みを浮かべた紗依は、残りのみんなの姿を探した。 「ええと、みんなはどうしているかな・・・あ、あれは用ちゃんね」 用三郎は酒を飲めないことを不満そうにしていたものの、出される料理に箸を付けた途端、茄子の煮びたしにはまってしまったらしい。 何度もお代わりしている。 「ふふっ、可愛い。えっと、その隣にいるのが棒さんね」 泰之丞は優雅に盃を重ねながら、給仕に来る女中一人ひとりを口説いている。 時折女性の黄色い悲鳴が聞こえるのは、きっとこの人が原因なのだろう。 「さすが・・・あ、モンモンさんもあっちで・・・」 紋山は同じように女中を口説こうとしていたが、こちらはどうやら首尾はうまくいかなかったようだ。 ただ、それを気にした風もなく、目の前に出される上質の酒を、浴びるように飲んでいる。 「こちらもさすがというか・・・。あれ、あの隅にいるのは、一刀斎さん?」 一刀斎は周りに人は寄せ付けないものの、この狂乱とも言うべき宴会から抜け出すことなく、この場に留まり、独り黙々と杯を重ねている。 案外この馬鹿騒ぎが嫌いではないのかもしれない。 「凄いペースだけれど、大丈夫なのかな。あ、あっちには治基さんと霞丸さんだわ」 上座に近い位置にいるのが治基、それに従うようにそばに控える霞丸は、本来なら死罪に問われてもおかしくない身。 だが、今こうしてこの場にいられるのは、初姫の一言だった。 「こいつらには、死ぬことを許さぬ! 生きて、今の職を全うし、一生望月藩のために尽くすことこそ、本当の罰じゃ!」 並みいる家臣たちをこれで沈めてしまったというのだから、初姫の凄さというのを改めて感じる。 「ええと・・・」 そこまで見つかったところで、紗依は気がついた。 「心さんが、いない・・・?」 いつもなら騒ぎの輪の中心にいるはずの心ノ介がいない。 どこかでつぶれているのかとも思ったが、どうにも座敷の中には見つけられなかった。 「外に、出たのかな・・・?」 テンションを計測する機会があれば、きっとこの場の盛り上がりは目盛りを振り切っているだろう。 それくらいの騒ぎの中をそっと抜け、紗依は誰にも気づかれぬよう座敷を後にした。 ・ ― ・ ― ・ ― ・ ― ・ ― ・ ― ・ ― ・ ― ・ ― ・ ― ・ ― ・ ― ・ ― ・ ― ・ 「だーれだ!」 「わっ!」 座敷の喧騒がかすかに聞こえる縁側に、独り膝を抱えていた心ノ介は、突然視界を奪われてびっくりした。 「な、な、何だ? さ、紗依?」 「ふふっ、正解です」 あっさり手を離すと、紗依は心ノ介の隣に座った。 「すみません。お邪魔しても良いですか?」 「お、おう・・・」 すぐ近くに紗依の匂いを感じて、心ノ介はどきりと胸を高鳴らせたと同時に、鈍い痛みを感じた。 「心さん? どこが具合でも悪いんですか?」 口数の少ない心ノ介。 紗依が彼を見つけた時も、庭に面した縁側で背中を丸めて膝を抱えていた心ノ介は、明らかに何か考え込んでいるふうだった。 「何か、あったんですか?」 「だーってよ・・・」 しょんぼりした声。 やっぱり彼は落ち込んでいたのだと分かる。 普段明るい分、心ノ介が落ち込んでしまうと、紗依は自分まで気持ちが沈んでいくのを感じた。 「だって、どうしたんですか?」 「紗依が、あいつらの帯紐を結んでやるから」 「え?」 目を見開く紗依の前で、心ノ介は目元を険しくさせて、ついと視線をそらした。 「紗依は優しいから、あいつらの頼みを断ることはしねえってのは分かるが、紗依に帯紐結んでもらうのは、俺だけの特権だったのによぉ」 その言葉の後に、はああ、と大きなため息をつく。 大きな体が一回り小さくなっている。 本気でしょんぼり肩を落としている心ノ介に面食らいながらも、同時に紗依は思ってしまった。 「ふふっ、可愛い」 「は?」 「あっ」 どうやら心に思っていたことが、口をついて出てしまったようだ。 目を瞠った心ノ介の視線に耐えかねて、紗依は頬を紅潮させた。 「そ、その・・・ええと、それでずっと悩んでいたんですか?」 ごまかすように早口でまくしたてると、その勢いに押されたのか、心ノ介は紗依のうっかり爆弾発言を流し、問いに対して答える。 「お前に取ったらつまんねー嫉妬にしか映んねえかも知れねえ。だが、あんなにお前を狙っている奴らが囲んでいるんだ」 「私が誰かと浮気するんじゃないかって?」 「やっ、ちがっ、お前はそんなやつじゃねえ。それは分かってんだ」 分かっているけれども。 「簡単に割り切れねえんだよ」 そっけなく吐き出された言葉。 嘘偽りのない、心ノ介の本音だ。 ――――あ・・・。 何故だろう。 どうしてそういう行動をとろうと思い立ったのかは分からない。 しかし。 「紗依・・・!?」 どんどん近付く紗依の顔に驚きながらも、なすすべなく凍りついた心ノ介の頬に、紗依はそっとキスをした。 「・・・これなら、心さんだけにしかしませんよ」 自分でも大胆なことをしている自覚はあった。 だが紗依は、どうしても彼を安心させてあげたかったのだ。 「紗依!」 「キャッ!」 突然伸びた心ノ介の腕に肩を掴まれた。 その力の強さに思わず顔をしかめたが、その痛みはすぐに意識の向こうに追いやられる。 「本当に、俺だけの特権なのか? 今の」 「そうですよ。心さんだけです」 「じゃあ、もう一回してくれ、とか言っても、してくれんのか? あ、いや、違うな」 彼の手が動いて、紗依の腰にまわされる。 必然的に抱きしめられる格好になったとき、もう片方の手が桜色の小さな唇に触れた。 「俺のほうからここに・・・とか言うのも、アリか? ダメ?」 力任せに抱き寄せておきながら、そんな照れたように顔を真っ赤にするのは反則だと紗依は思った。 向こうが何を要求しているのかも、それがどれほど恥ずかしいのかも分かっていた。 でも、それを拒むことはできないということが、紗依の口元に笑みを作っていた。 「心さんだから、特別に、良いです・・・」 「ありがとよ」 こつん、と額を重ねてきた心ノ介の目が、艶を帯びて伏せられたので、紗依もそれに倣った。 ――――やっぱり私、この人のこと、好きなんだなぁ。 恐る恐る触れてきた唇の熱と、包み込むような、体に触れている彼のぬくもり。 それらがいっぱいに訴えている。 心ノ介が愛おしいと。 それが紗依は嬉しくて、紗依はお返しとばかりに彼の首に自分の腕をからめた。 「あー・・・ええと・・・その、うん。もうちょっと、特権利用しても良いか?」 「ん・・・好きなだけ・・・」 どうぞという紗依の言葉は続かなくて、代わりに彼女の唇は心ノ介によって塞がれる。 秋の気配の混じる夜風の心地良い中、誰にも見つからないよう、二人の逢瀬はもう少し、もう少し続いたのだった。 |