机の下




「ねえ、いつも思うのだけれど・・・」
 アンジェリークはレインの部屋を見渡しながら、やや眉をひそめた。
「少しは整理をしたほうが良いんじゃない? ずいぶん散らかっているように見えるけれど」
「そんなことはないさ。自分の都合の良い配置になっているんだ。これでもどこに何があるか、すぐに分かるぜ」
「そうはいっても・・・」
 レインは堂々と言ってのけるが、見た目はあまり良いものではない。
 それに、どう考えても整理されているようには見えなかった。
 困ったわね・・・。
 レインには気づかれぬようひっそりと、アンジェリークはため息をついた。
 もし、本当に大事なものがこの中にまぎれてしまったら、どうするつもりなのだろう?
 常々心配するのはその点だ。
 もしも、彼の知らぬうちに、何か大切なものがまぎれてしまったら。
 ・・・正直見つかる気がしなかった。
 しかしレインははなからそのような事態を想定していない。
「もしかしたら、レインの知らないうちにまぎれているものもあるんじゃないの?」
「それはない。この部屋のものは全部把握しているし、今までだってそんなことなかったからな」
「・・・そう? じゃあ、私がこっそり置いたレインへの手紙には気がついていたかしら」
「えっ?」
 レインははっとした様子で目を見開いた。驚きの表情のままアンジェリークを凝視しつつ、独り言のように小さく呟く。
「お前が、オレに?」
「ええ、そうよ。少し前だったかしら・・・」
 なんて。
 真剣に悩み始めたレインを前に、アンジェリークは心の中でこっそりと舌を出した。
 もっともらしくそんなことを言ってみたものの、本当は手紙など置いてはいない。
 実際にそんな事態になる前に、その恐ろしさに気がつけば、レインも考えを変えるかもしれないわ。
 とっさに手紙などといってしまったため、内心の焦りを悟られぬよう気をつけながら、アンジェリークはややうつむき加減で困ったように頬に手を当てる。
「ちっとも変わった様子がないから、おかしいと思っていたのよ。やっぱり気がついていなかったのね」
「それはいつのことだ? 部屋のどこにおいた? 何かにはさんだとか? まさかごみと間違えたんじゃないだろうな・・・いや、手紙は絶対に一度は目を通すから、それはありえない・・・」
「・・・レイン?」
 途中から自問自答を始めてしまったレインの顔は、驚くほど焦燥感に満ちていた。
 ぶつぶつと一人でいくつもの仮定を並べ、それが結論に至らないことに苛立ちを見せる。
「くそっ」
 結局答えを見つけられなかったレインは、舌打ちすると床にひざをついた。
「れ、レイン!?」
「悪い。絶対見つけるから」
 机の下にもぐりこみ、なにやらがさがさ始めたレインに、アンジェリークはようやく我に返った。
「ご、ごめんなさい! レイン、出てきてちょうだい」
 思いのほか取り乱したレインに目を奪われていたアンジェリークも、彼の隣にひざまずいた。
「手紙のことはうそなのよ。本当はそんなものはないわ!」
 珍しく強い口調でアンジェリークはそう言い切った。
 まさかレインがここまで取り乱すとは思わなかったのだ。
 物が紛失してしまうこともあるのだと、ただそれだけを心のうちにとどめてくれるようになれば良いと思っただけなのに。
 こんなに真剣に、探してくれるとは。
 あまりにも効果が強すぎて、アンジェリーク本人もすっかり驚いてしまった。
 彼女の口は混乱のためか、饒舌に真相を語りだした。
「きちんと整理しないと、いつか大切なものがまぎれてしまうんじゃないかって、そう思って。自分では分かっているつもりでも、万一って事もあるでしょう。それでなくしたものが、もしもレインにとって重要なものだったら、取り返しがつかないから。少しでもその危機感を持ってもらおうと思ってあんなうそを・・・え?」
 一気にまくし立てたアンジェリークは、ふと顔を上げた先にあったレインの表情に目を丸くした。
 ・・・・・・笑っている?
 首をかしげた彼女の姿がよほどおかしかったのか、レインはとうとう吹き出した。
「? 何、どうしたの?」
 てっきりあきれているか怒っているかしていると思っていたレインが、声を立てて笑っている。
 それがまたアンジェリークに疑問を生み、もはや首をかしげることしかできない。
 ひとしきり笑ったあとのレインの一言が、さらに彼女に驚愕をもたらす。
「知ってたぜ、うそだってことくらい」
「え?」
 知っていた?
 どうして?
 言葉には出さずとも、アンジェリークの心の中は表情に豊かに現れていた。
 それを楽しむようにレインはふと笑いをこぼすと、さりげなく彼女の手をとった。
「知らなかったのか? お前はうそをつくのが下手なんだぜ」
 そして、握った手を自分のほうへ引き寄せた。
「きゃ!」
 短くアンジェリークが驚きの声を上げたときには、レインの顔がすぐ近くにあった。
 普段あまり表情の変えることのない彼の見せた晴れやかな笑顔に、思わず目を奪われる。
「うそをつかれたことはいい気分じゃないが、オレのことを心配してくれたのは嬉しかったな」
 机の下の狭いところに二人ももぐりこんでいたら、いやでも相手を近くに感じてしまう。
 まして、やや赤みが差した顔を背けつつあんなことをぼそりと呟かれては、どう反応して良いのかすら分からない。
 真っ白になったアンジェリークは、どうすることもできずに、ただただレインの鼓動に耳を傾けていた。
 速めの鼓動が何故かとても心地よい。
 その場の時が止まったような感覚は、レインの咳払いによってかき消された。
 少し戸惑い気味の彼は、やや顔をそらせながら意を決したようにポツリとこぼす。
「・・・手紙、書いてこいよ」
 ぼんやりとしていたアンジェリークは、その言葉にはっとして顔を上げた。
「えっ?」
「オレにうそをついた罰。オレ宛に手紙を書いたら許してやる」
 レイン宛に手紙?
「それは反省文を書けってこと?」
「ばか。そうじゃなくて・・・いや、内容はお前に任せるよ」
 何か言いかけたレインだったが、結局口を閉ざしてしまった。
「・・・わかったわ。じゃあ、書いてくるわね」
 素直にうなずいてみたものの、すっかりレインのペースに乗せられていることが少し悔しかったアンジェリークは、にっこりと微笑んだ。
「書けたらこの部屋のどこかにおいておくわね」
 そうそう簡単には見つからないようなところにおいて、少しは見返してあげるわ。
 うそをついた罪悪感はいつの間にか薄らいでいた。
 そんなアンジェリークの挑戦に、レインも負けていなかった。
「どこにおいても、必ず見つけ出すぜ」
 そういって不敵な笑みを浮かべる。
 その一連のやり取りがおかしくて、どちらからともなく吹き出してしまった。
 ひとしきり笑ったあと、アンジェリークは机の下から抜け出そうと身を起こした。
「待った」
 そんな彼女をレインが止める。
 その口と、腕で。
「!」
 呼び止められたと同時に、アンジェリークはレインに抱きしめられていた。
「れ、レイン・・・?」
「あ」
 アンジェリークの声で、レインはあわてたように彼女を解放した。
「・・・悪かった」
 短くそういうと、素早く机の下から立ち上がった。
 驚いて固まっていたアンジェリークも、レインに手を引かれてようやく狭い場所から抜け出た。
「えと・・・じゃ、じゃあ、私はこれで・・・」
「あ・・・ああ。そうだな・・・」
 先ほどまでの軽快なやり取りはもはや存在せず、お互いぎこちないまま、アンジェリークはレインの部屋をあとにした。
 自分の部屋に帰ってみても、顔の火照りは取れなかった。
「・・・どうしたのかしら」
 困ったように問いかけてみたが、問いかけられたエルヴィンは、「ニャ」とひと鳴きしただけで答えはくれなかった。



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