Valentine day kiss
――――アンジェ、勇気を出すのよ!
レインの部屋の扉の前で、アンジェリークは一つ、自分に喝を入れる。
バレンタインデー当日。
日付が変わったことを確認してから、アンジェリークはまっすぐレインの部屋を目指した。
目的は一つ。
チョコレートをレインに渡すためだ。
ひとつ屋根の下に住んでいる特権を利用して、他の女の子たちより先んじてレインに渡さねばならない。
何故なら。
「レインてば、女の子に人気があるんだもの」
財団理事の弟という肩書を持つ彼は、そのルックス、能力、性格などなどから、ひそかに女性の支持を集めていた。
女学院時代の親友、ハンナとサリーからは、絶えず女学院でのレインの噂を聞いている。
いわく、
「レイン博士は格好良い」
「あのスマートな頭脳が素敵」
などなど。
「格好良いなんて、寝起きのレインを見たら絶対そんなこと言えなくなるわ。
それにレインて結構世間知らずなところもあるもの。抜けている時もあるんだから」
ぶつぶつ言ってみても、それらは全部見事な嫉妬だ。
他の女の子たちがレインに好意を寄せていればいるだけ、不安になってくる。
焦りもする。
だから、他の子に差をつけたいと思ってしまうのだ。
その機会は、今まさにこの時だ。
「よし!」
アンジェリークは一つ気合を入れると、控え目にノックする。
「レイン、起きている?」
返事はすぐに戻ってきた。
「ああ。勝手に入ってくれ」
「失礼します」
高鳴る胸を押さえつつ、アンジェリークはそっとレインの部屋の中に入る。
「どうしたんだ、こんな夜更けに」
ずっと机に向かって研究をしていたのだろう。
レインは椅子から立ち上がると、アンジェリークに近づいてきた。
「何かあったのか?」
大真面目な表情で心配そうにアンジェリークを見やるレインに、彼女は大きく首を振る。
「違うわ! そ、その・・・今日はバレンタインデーでしょ?」
控え目にそう告げると、レインも思い出したように顔を赤らめた。
「あ・・・ああ、そうだったな」
「それで、プレゼント。持ってきたの。受け取ってくれる?」
いよいよだという思いから、心臓が張り裂けそうなくらい早鐘を打っている。
今更になって生まれるためらいを、アンジェリークは必死で打ち消し続けた。
――――ここまで来たのだから、やるしかない。
「ひとつお願いがあって、目を閉じて欲しいの」
アンジェリークのこの頼みに、レインは限りなく無防備だった。
「分かった。目をつぶっていれば良いんだな」
「ええ」
素直にうなずくと、レインはそっと目を閉じる。
これで、条件はそろった。
アンジェリークは戸惑いを振り払うように、足早にレインに近づき・・・。
「!?」
アンジェリークが背伸びをして、レインの唇にキスした瞬間。
驚きのために、レインの身がびくりと震えた。
一瞬触れるだけのキス。
すぐに顔を離して、アンジェリークはレインの様子をうかがった。
彼は先ほどの比ではないほど顔を赤くして、唇を手で覆っている。
自分が何をされたのか、瞬時に悟った様子だ。
そんなレインの反応が恥ずかしくて、アンジェリークは言い訳じみた言葉をまくしたてる。
「サリーとハンナが勧めてきたのよ。レインは人気があるから、他の子とは違うプレゼントを渡さなきゃって。それで・・・」
「アンジェリーク!」
レインはアンジェリークの言葉を最後まで聞く前に、彼女を思い切り抱きしめていた。
「お前って奴は・・・」
苦笑いのような、照れ笑いのような、とにかく嬉しさがにじみ出る表情で、レインはアンジェリークの顔を見てくる。
アンジェリークはこれ以上ないほど顔を真っ赤にしているので、積極的に顔を反らせたいところ。
だが、レインは優しく、そして容赦なくじっと視線を送ってきている。
今にも顔から湯気が見えそうだ。
「オレが他の女の子に目を向けるはずないだろう?」
レインは静かに、はっきりとそう言い切った。
「最初からお前しか見えていないのに、どうして他へ気を取られなければならないんだ?」
「レインは知らないのよ。レインは女の子に人気があるんだもの。可愛い子ばっかりだから」
「オレがそちらへなびくと思った?」
アンジェリークはこくりとうなずく。
「まったく、そんなにオレは信用ないのか」
「違うわ! そうじゃないけれど」
心配になる。
正直に告げると、なぜかレインはくすくす笑い出した。
「レイン?」
「ああ、悪い。お前も一緒だったんだなと思って」
「一緒?」
「そうだ」
レインはアンジェリークの手を掴んで、自分の頬に当てる。
期せず彼の頬に触れることになり、アンジェリークの鼓動はさらに速まった。
「オレも、お前がどこかへ行ってしまわないか心配だった」
「そんな。私、どこへも行かないわ!」
「ほら、同じだろう?」
「あ・・・」
そうかもしれない。
レインが違う子に心を映してしまうかもしれないと心配するように、レインも同じことを思っていた。
アンジェリークは空いているもう片方の手も、レインの頬に当てる。
「私はレインの隣にいるわ。でも、どうやったらそれを証明できる?」
「そうだな・・・」
レインは考え込むような様子を見せたが、すぐににっと笑みを浮かべた。
「オレだってお前と一緒にいる。それを証明するのにいい方法があるぜ」
「本当?」
「ああ」
レインはこつんと、アンジェリークと額を重ねる。
「一度だけじゃなりない。いつも確認したいんだ」
「どうすればいい?」
首をかしげるアンジェリークに、レインは目を細めた。
そして告げる。
「目を閉じて」
「あ・・・」
それって。
アンジェリークが見上げると、レインはうなずく。
彼も頬を赤く染めている。
それが無性に安心できた。
だからアンジェリークは口元を引き締めて、目を閉じた。
「アンジェ・・・」
先ほど不意打ちを仕掛けたときとは、また別の緊張感がある。
何をされるか分かっていて待つというのも、ハラハラして仕方がない。
――――大好きよ。
心の中で呟いたとき、レインの唇がそっと重なった。