夜明けの予感



「いい!? 今日こそはテントを撤去して、うちへ帰ってもらいますっ!」


 テントの外から聞こえてきた覚えのある声に、千聖は欠伸をしながら起き上がった。
 入り口をめくり外を見ると、案の定見知った顔が怖い――本人はそのつもりなのだろうが、千聖にとっては爪の先程も恐れを抱かない――表情で、仁王立ちしていた。


 担任である真奈美とは、補習が終わってから、先程別れたばかりだ。
 その彼女がなぜここにいるのか。
 面倒くさいなりに、千聖は不審げに目を細めた。


「なんだ、もう補習は終わっただろう」

「ええ、補習は終わったわ。だから、家に帰る時間なのよ!」

「ああ、じゃあ帰れば良いだろう。おまえ、まだ仕事が残っているのか?」


 すると、真奈美は大きくうなずいた。


「ええ、あるわ! 千聖君をお家へ無事帰すという仕事がね!」

「はあ?」


 びしりっ!
 真奈美の指が、まっすぐ千聖の鼻先へ突き付けられた。


「やっぱり、いつまでもここでテント生活を送らせるわけにはいかないの! 今日こそテントを撤去して、1度家に帰りなさい」

「はあ。うちの状況は、この間の家庭訪問で分かったんじゃないのか。あれから何も言ってこなかっただろう」

「それがダメだと思ったの!」


 そう言って、真奈美は熱く持論を語り始めた。
 やれ、子は親のそばで愛を注がれて育つものだ。
 はたまた、校内にテントを張るなど、立派な大人になれない、等々。


 だが、千聖は半分も聞かないうちに、テントの入口のチャックをしめてしまった。
 真奈美がそれに気がついたのは、たっぷり30分ほど語り終わった後だった。


「あーーー!! こらっ、千聖君! 出てきなさいっ!」

「面倒だ…」

「ダメよ! 今日は許さないんだから!」

「くぁああ……」


 千聖は大儀そうに、テントの中で転がる。
 しばらくしたら、諦めて帰るだろう。
 非常食は蓄えてあるから、今晩はそれでやり過ごせば、食事のために外へ出なくともすむ。


「千聖君が出てくるまで、ぜっったいにここを離れないからね!」


そんな声が聞こえたが、さして深く気に留めることなく、千聖は静かに目を閉じた。





「ん」


 いつの間にか眠ってしまったらしい。
 辺りが暗くて、一瞬面食らった千聖だったが、ふとある違和感を抱いた。


「……?」


 テントの入り口が、不自然に膨らんでいる。
 誰かいるのだろうか。
 何気ない気持ちでチャックをあける。


 ――――と。


「なっ…!」


 入り口が開いたと同時に、コロンとそれはテント中に転がった。
 それが何者かすぐに分かったので、千聖は大きく目を見開いた。


「どうして…」


 それは、テントの前で居座ると言い張っていた、真奈美だった。
「絶対離れない」という言葉は本気だったようだ。


 が、連日の睡眠不足がたたったのか、眠りこけてしまったのだろう。
 すやすやと寝入っている彼女が、目を覚ます気配はない。
 その睡眠不足の原因を作っているのが自分だと分かっているからこそ、千聖は叩き起こそうと挙げた手をそっとおろした。


 かわりに、そっと自分の寝床に横たえる。
 そして、そばにあったタオルケットを掛けてやった。


「くぁああ……」


 健やかに眠る彼女の顔を見ているうちに、つられて千聖もまた眠気に襲われた。
 幸いテントには余裕があるので、千聖は真奈美の隣にごろりと横になった。


「んん?」


 そういえば、真奈美に寝床を譲ったので、地面と接するところが固くてゴツゴツしている。
 体はまだ良いのだが、頭だけは直に地面に当たると予想外なほど痛い。
 しかし、枕は彼女が使っている1つしかない。


「うむ…」


 しばし熟考した後、


「ああ、そうか」


 千聖はポンと手を打った。
 それからもそもそ暗やみの中で動いたようだったが、やがて千聖も寝息を立て始めた。





「うぅん…」


 どこからともなく、鳥の鳴き声が聞こえる。
 爽やかな朝日に誘われて、真奈美はゆっくりと目を明けた。
 頭がぼんやりして、何も考えられなかったが、ふと隣に気配を感じて目を向けた瞬間。


「きゃあああああっっっ!!!」


 割れんばかりの悲鳴を上げた。


「な、何だ!?」


 その声に驚いて、隣に寝ていた千聖は目を覚ました。
 目の前にいる千聖。
 ありえない至近距離で寝ていた事実をようやく理解して、顔を真っ赤にさせながら真奈美はぐばっと身を起こした。


「な、な、な、何で私が千聖君の隣で寝て! し、し、しかも、う、腕枕!?」

「ああ、ここには枕が1つしかないから。布団は貸してやっても良いが、枕だけは譲れなくてな」

「だからって、何で腕枕なの!?」

「うん? おまえの腕に俺の頭を載せたほうが良かったか?」

「ちがーーーう!! というか、そもそもどうして私こんなところに!?」


 どうやらここは、千聖のテント中らしい。
 頑張って昨夜の記憶を手繰り寄せてみる。
 暗くなるまでテントの外で粘っていたのは覚えているのだが、中に入った記憶はない。


「いつの間に…」


 さらなる説明を求めようと、口を開き掛けたときだった。


「生徒会から告ぐ!! 不破千聖、このテントを即刻撤去せよ!!」


 悪魔の宣告が、外から拡声器によって何倍にも大きく響いてきた。


「また生徒会か…」


 面倒だと首を振る千聖は心底うんざりしていたが、一瞬にして真奈美の表情は凍り付いた。


「こ、こんなとこ、見られたら……!」


 教師と生徒がテントの中で一晩――何もなくても、何かあったと思われるのは間違いない。
 まだ教師になって3ヶ月しか経っていないのに、もうおしまいなのだろうか。


 絶望感に打ち拉がれて、ガックリうなだれている真奈美をどう思ったのだろう。
 千聖はいつもの凡庸とした様子のまま、さりげなく彼女の肩を叩いた。


「え…?」


 その手が思いの外温かくて、真奈美はびっくりした。
 驚く彼女の横をするりと抜け、千聖は中を隠すように、自分だけテントの外へ出ていった。


 方丈兄弟とのお馴染みのやりとり。
 真奈美は心臓が止まる思いでそれを聞いていた。


 こんなにドキドキするのは、昔父親の大切にしていた壺を割ってしまい、庭に埋めてやり過ごそうとした時以来だ。
 しばしP2の、特に兄の方の厳しい追及が続いたが、いつものようにのらりくらりと千聖がかわしているうちに、予鈴が鳴った。


「くっ! 授業に遅れるわけにはいかん。生徒会、撤収だ!」


 方丈兄のこの台詞が、今日ほど有難く思えたことはない。
 走り去っていく足音が完全に聞こえなくなってから、ようやく千聖がテントのなかに顔を出した。
 そして一言。


「遅刻するぞ?」

「し、しないわよ!」


 真奈美はさりげなく出された千聖の手を借りて、テントを出た。
 朝日が眩しい。
 だからだろう。
 千聖まで輝いて見えたのは。


「何だ? あ、朝飯は諦めろ。昼は何か作ってやるから」

「もう!」


 口を開けばいつもの彼だ。
 それに安心しつつも、残念にも思いながら、真奈美は千聖と並んで教室へ向かっていった。








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