呼び出し
「なあ、紗依、紗依」
「え?」
宴会場を抜けて縁側を少し行くと、ふすまの間から自分の名を呼ばれて、紗依は足を止めた。
「こっち、こっち」
ふすまの間から手が伸びてきて手招きしている。
いぶかしげに首をかしげながら、紗依は呼ばれるままにふすまに歩み寄る。
「心さん?」
声の主の名を呟くのと同時に、手招きしていた手に突然腕を掴まれ、あっという間にふすまの向こうに引き込まれた。
「きゃっ!」
びっくりして目を閉じた紗依が、次に目を開けたときには明かりの乏しい室内が映し出された。
正面には、紗依を呼び込んだ人物の顔が浮かんでいる。
「よ。ちょっと話さねえか?」
いつの間に宴会から抜け出していたのだろう。
てっきり騒ぎの和の中心にいると思っていた心ノ介が、照れたような笑みを浮かべていた。
紗依は誘われるまま彼の隣にひざをついた。
「心さんは一休みですか?」
「あ、ああ。そんな感じだな」
心ノ介はどこか落ち着かない様子でどこか遠いところに視線をさまよわせている。
不思議に思いつつも、それ以上言葉が出てこなくて、紗依も黙り込んでしまった。
いやに緊張した沈黙が訪れる。
紗依はちらりと心ノ介をうかがった。
そわそわしているのは変わらない。
思えばいつも心ノ介はそんな感じだった。
他の人と話すときは明るく寒いギャグを言っては空気を凍らせているのに、紗依と、特に二人きりで話すときにはとたんに言葉が少なくなってしまう。
それが紗依には悲しかった。
自分は何か彼の気に障ることをしてしまっただろうか。
最近は真剣に思い悩んでいる。
何か言葉をかけようとして、しかし何と話題を切り出して良いか分からずに口を閉ざしてしまう、ということを何度か繰り返したとき。
「紗依殿ー。紗依殿はおられぬかー」
廊下から塙爺の声が聞こえてきた。
どうやら自分を探しているらしい。
「はい、ここに・・・」
とっさに紗依は腰を浮かせた。
「あっ!」
心ノ介のあせった声が聞こえたかと思うと、彼女の手がふすまに届く前に、後ろから伸びてきたたくましい腕に捕らえられた。
「!」
驚きの声は、同時に現れた手にふさがれてしまった。
「紗依殿ー? どこにおられるー?」
爺の声はだんだん遠ざかっていく。
だが紗依の耳には違った音しか聞こえていなかった。
「・・・・・・」
後ろから抱きしめられて口を塞がれている状態の彼女には、心ノ介の鼓動が直接聞こえていた。
自分よりも速いテンポが耳に心地良い。
何故こんなに安心するのだろう。
胸に居座っていた不安が、どろどろに溶かされていくのが分かった。
と、同時に強張っていた体から力が抜けていった。
いつまでそうしていただろうか。
「あっ、わ、わりいっ!」
心ノ介がやっと紗依の口から手を離した。
「何つーか、やっと二人きりになれたから、今夜はずっと一緒にいたくて・・・あ、いや! そんな疚しい思いとか全然なかったんだけど・・・あー、全然、は言い過ぎかも・・・いやいや!」
久しぶりに口を開いた彼は異常に饒舌だった。
今まで溜め込んでいた分をすべて吐き出しているようだ。
「だ、だから、ホント、誰にも邪魔されず一緒にいたかっただけなんだ! 何言って良いか分からなかったけど、でも・・・・・・!」
熱く語っていた心ノ介は、ふとあることに気がついた。
「・・・・・・え?」
耳に届くかすかな規則正しい寝息。
「えっ!?」
心ノ介はあわてて紗依を覗き込んだ。
「すー、すー」
彼女の目は閉じられ、少しだけ開いた口がなんとも愛らしい。
そういえばやけに腕にかかる重みが違うと思ったら、完全に体を心ノ介に預けて、紗依はすっかり寝入っていたのだ。
しばしあっけに取られる心ノ介。
だが、すぐに吹き出してしまった。
「あー、何か笑える」
紗依と二人きりになって緊張していた自分がとにかくおかしかった。
「まあ、望みは叶ったしな。一応」
彼女と二人きりで過ごしたい。
イメージしていたのとは違うが、これはこれで良い。
せめてもと思って、心ノ介は紗依を抱く腕に少しだけ力を込めた。
きっとこれくらいなら、怒られないだろう。
しばらくしてから心ノ介ははっとした。
「これって、俺は安全圏てことか!?」
後ろから抱きしめられても安心して眠れる男。
それはつまり、男として意識されていないということでは・・・。
「俺、この状況を素直に喜んでいいのか?」
悶々とする心ノ介の腕の中で、紗依は実に安らかに眠り続けていた。