酔っ払い


 バンドの練習は、相変わらず大変だ。
 特に最近はお仕事も増え、ますます練習に気合が入る。
 今日の練習だって、メンバーみんなの音がぶつかり合って、ヒートアップした。
 おかげで時間を忘れてしまう。
 今日も朝からスタジオに入って、気がついたらとっぷり日が暮れていた。

「じゃあ、お疲れ様」

 同じマンションの隣の部屋に住むシュウと一緒に帰ってきて、いつものように別れようとした私は、急に強い力で腕を掴まれた。

「おい」

「え?」

「お前の帰るところはこっちだろ」

 そういって、シュウはぐいぐいと私を引っ張って、彼の部屋へと入っていく。

「ちょ、ちょっと、シュウ!?」

 びっくりしている私は、抵抗する間もなく彼の後に続く。
 私が玄関に入ったと同時に、シュウは鍵をかけた。
 がちゃん、という重厚な音がやけに大きく耳に響く。
 シュウは構わず部屋に入ると、ソファに私を座らせて、自分は入り口付近の床に腰を下ろした。

「あ、あの・・・」

 流れるような一連の動作に、そのまま引きずられてきた私は、そっと彼の顔を見る。
 ・・・・・・何だか怒っているように見えるんですけど。
 煙草に火をつけ、白い煙を吐き出す。
 いつもと同じ動作なのに、どこか苛立っているようだ。

「シュウ?」

「俺、まだ聞いてねえんだけど」

「へ?」

 聞いていない?
 何を?

「えと・・・何のこと?」

「ちっ」

 シュウは火をつけたばかりの煙草を灰皿に押し付けると、のそりと腰を上げた。
 え? 何?
 ちょっと目が据わってない?

「お前・・・」

 私のひざに手をつき、下から私の目をじっと見据えた。
 こ、怖いんだけど・・・。

「何?」

「あのときの男とは切れているんだろうな?」

「は?」

 あのときの男?
 だれだろうか、と首をかしげていると、いらだたしげに、

「前に駅であった・・・ジャイアン」

「そんな名前の人に心当たりはないけど・・・もしかしてタケシのこと?」

 そういえば、前に鉢合わせたことあったっけ。
 あの時はごたごたしていてタケシの話はうやむやになったというか、忘れていたんだけれど、シュウは忘れていなかったみたい。
 どころか、凄く、凄ぉーく気にしているみたいなんだけど。

「あ、あのね、彼は前に付き合っていた彼氏で・・・」

「ふーん。じゃあ、あいつに振られて自棄酒飲んでベランダから叫んだせいで、俺の大切なフレーズが吹き飛ばされたってワケだな」

 あ、そっちで恨んでいるのか。

 嫉妬したのかと思ったんだけど、違うならちょっと残念。
 それにしても、怒りの矛先がこちらを向いているのはどういうわけだろう。

「シュウ?」

「なあ、あいつはどんな風にお前にキスしたんだ? どんな風に抱いた?」

「えっ?」

 ゆらりとシュウの上半身が起き上がったかと思うと、そのまま私との距離を詰めてきた。
 いつものシュウじゃない。
 私の中にはそんな思いだけがあった。
 一体どうしたというのだろう。
 彼の顔が近づいてきて、ふとある臭いが漂ってきた。

「・・・お酒? シュウ、もしかしてお酒飲んだの? 酔っているんじゃない?」

「ハア? 酒なんて飲むわけねーだろ。大体飲んだとしても酔わねえよ」

 いやいやいや。
 据わった目。
 いつもと違う行動。
 そして何よりお酒の臭い。
 全部をあわせてみると、どう考えてもシュウは酔っ払っている。
 だが本人の言う通り、彼が酔うなど珍しいことこの上ない。
 前に一度廊下で酔いつぶれているのを助けたことはあったが、あれはバンド内でもめたときであって、精神的に追い詰められていたときのことだ。
 でも最近は、彼の周りでそんな騒動は起きていない。
 酔っ払う要素なんてないと思う・・・が、どう考えても彼は酔っている。

「おい、答えろよ。あいつと俺、どっちが良かった?」

 目が半分とろんと閉じかけている。
 うわあ、自分が酔っ払って迷惑かけたことはあったけれど、人が酔っ払いになっているのを見るのは新鮮かもしれない。
 しかもいつも酔わない人なら、なおさら。

「法子」

 名前を呼ばれて、シュウが答えを求めているのが分かった。
 何だ。
 やっぱり嫉妬してくれていたんだ。
 それが嬉しかった。

「もう、可愛いなあ」

「何寝ぼけたこと言ってる。ほら、言えって」

 シュウはどんどん近づいてきて、いつの間にか私にのしかかる体勢になっていた。
 でも全然怖くない。
 シュウは酔っ払って、いつもは言わないことを口にしている。
 それが私にとって嬉しい言葉だったら、それだけで胸がいっぱいになるから。
 私はシュウの頬に手を添えた。
 そして首を伸ばして彼と唇を重ねた。
 酔っ払い相手だからかな。
いつもは向こうからキスされてばかりだったけれど、何だか今はちょっと大胆になれた。

「好きだよ。シュウが好き。タケシとはもう終わったことだから、今はあなたが一番」

 なんちゃって。
 普段だったら絶対言えないことも言えてしまう。
 でも相手は酔っ払いだもんね。

「・・・そうか」

 私の返事を聞くと、シュウは満足したのか、あっさりうなずいてそのまま私の上に倒れこんだ。
 そしてすやすやと寝息を立て始めた。

「ふふ。おやすみ」

 私はやわらかいシュウの黒髪を撫でる。
 重いはずなのに嫌じゃないのはどうしてかな。
 やっぱり好きな人の重みだから?
 そのうち練習疲れが一気に吹き出して、私はそのまま眠りについた。



 翌朝、目が覚めたシュウは変な顔をしていた。

「あれ? お前、いつ俺の部屋に来たんだ?」

 どうやら昨夜の記憶はないらしい。
 恥ずかしいことを言ってしまったので、記憶がないならないで問題はない。
 自分で連れ込んだくせに、と言うと面倒なことになりそうだったので、曖昧にごまかした。

「それよりもシュウ、昨日どこかでお酒飲まなかった?」

「は? 飲みには行ってねーだろ?」

「そうだけど・・・なんか変なもの飲んだんじゃない?」

 私の気がかりはそこだった。
 いつシュウはお酒を飲んだのだろう?
 シュウは私に言われるまま記憶の糸を手繰り寄せているのだろう。
 しばらく腕を組んで唸っていたが、

「ああ」

 と顔を上げた。

「そういやトラの奴に変なスポーツドリンクもらったな。喉渇いてたし一気に飲んだから味は良くわからなかったが、何か不思議な味がしたような」

 それだ。
 そうか、トラちゃんが。
 そのおかげでシュウから良いことが聞けたのだ。
 何か釈然としないシュウに笑いかけながら、私はトラちゃんに何か差し入れしてあげようと、考えを巡らせていた。





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