夜の住人
夜の帳が再び上がり、空は白み始めている。 夜を妖退治で過ごしたわたしと壱人は、ようやく任務を終えて自宅であるマンションに帰ってきていた。 「あー、ホント、やれやれだな」 「何言っているの。ずいぶんと楽しそうに暴れていたじゃない」 「俺だってストレス発散場所が必要なんだぜ?」 夏の一件以来、わたしは伊織の家を出て本格的に独立を果たした。 紫紋の退魔師となったわたしは、フリーの時とは違って法外な報酬が入るようになっていたから、生活の心配をする必要がなくなっていた。 代わりに、今までとは比べ物にならないほどの危険と隣り合わせな日々とはなった。 「おい、また魂抜けてんぞ」 ぺし、と壱人の手がわたしの額を叩いたため、現実に引き戻された。 「何するのよ」 「隙だらけのアンタが悪い」 にやりと笑った壱人は、おもむろにわたしの手首を掴むと、乱暴に袖をまくりあげた。 「やっぱもう傷は消えてんな」 「・・・気づいていたの」 妖を相手にしている時、相手の攻撃がわたしの左腕をかすめたことを、この使役鬼は見抜いていた。 「別に大した傷でもなかったし、これくらいなら何ともないわ」 わたしの中に流れる血が、傷の回復力を高める。 退魔師としての力が増したためか、傷の回復力は以前より格段に上がっていた。 多少の傷ならば、私の致命傷にはならない。 だが目の前の使役鬼は、盛大にため息をついて見せた。 「馬鹿が。すぐに治るから良いってもんじゃねえよ。痛えのは変わりねーだろ」 「そりゃそうだけど」 「まあ、アンタにそっちの趣味があるなら、俺は別に止めたりしないが・・・」 壱人のその先の言葉は、私の無言の平手打ちによって遮られた。 「ってえな! 何すんだ」 「ああ、ごめんなさい。勝手に手が動いていたわ」 「人が真面目に心配してんのに、こいつは」 しんぱい? 首を傾げて壱人を見上げると、彼は主人に向かって盛大にため息をついた。 「怪我したのに平気な顔してんじゃねーよ。アンタ、自分の血を過信して、いつか大怪我するぞ」 「何だ。本当に心配してくれていたの」 驚いた。 壱人がそんな風に気遣ってくれることがあるなんて。 でもそれを口にしたら、きっと壱人は馬鹿にされたと思うだろう。 だから、ここは素直にお礼を言う。 「ありがとう。これからは気をつけるわ」 「そう言って、また無茶すんだろうけどな、アンタは」 何だ、分かっているじゃない。 言葉には出さなかったが、その思いは壱人に届いたようだ。 呆れたようにため息をつかれた。 「良いさ。それでもアンタは俺に、自分を守れと言うんだろ?」 「いえ、それは少し違うわ。私はあなたに守ってほしいんじゃない」 退魔師としての本格的な活動日数はまだまだ少ない。 しかし、この短い期間にこなしてきた数々の危険は、わたしに命の覚悟をさせた。 それも、一回や二回ではない。 今夜だって、もしかしたら死ぬかも知れないという思いがあった。 ――――もともと、わたしの血は、いつ捧げられてもおかしくはない身。 だからなのかもしれない。 わたしには命に対する執着が薄い。 こんな修羅場を繰り返していれば、いずれ命を落とすことになるだろう。 その時にわたしを殺すのは、妖だろうか、それとも・・・。 「俺に守ってほしいんじゃないのか? じゃあ、アンタは何を俺に望む?」 緩慢な動作であるが、わたしの身を壁に押しつけて、壱人は息のかかる距離まで顔を近づけて問うた。 いつかこんな場面があったと不意に思い出す。 あの時は首筋に刀を押しつけられて、わたしは声も出せずにいた。 しかし、今は違う。 わたしは臆することなく、はっきりと言い放つ。 「わたしはあなたに、一緒に死んで欲しいのよ」 「はあ?」 何を言っているのだという表情。 そんな壱人の頬に手を伸ばし、わたしはこの場にはふさわしくない笑みを浮かべる。 「こんな道を選んだんだもの。わたしはいずれ、誰かに殺されることになるわ。それが昔あなたが言っていた通り、人間になのかもしれない。でも、そんなのは関係ないの」 じっと隻眼を見つめる。 「死ぬなら、あなたと一緒が良いわ」 だから、守ってくれなくても良い。 だから、一緒に死んで欲しい。 「お前な・・・」 珍しく目を見開いて驚いた壱人は、脱力したように肩を落とした。 でも、わたしの身を捕らえたまま放さない。 それどころか片手でいとも容易くわたしの両手を拘束すると、あいた手でするりとわたしの首筋をなぞった。 くすぐったさと、それとは別の感覚が全身を走る。 わずかに顔をしかめると、壱人はようやく不敵な笑みを見せた。 「分かった。良いぜ。アンタに俺の命をやる。勝手にどこへでも連れて行けば良いさ。だが俺と一緒なら、死んでからも真っ当な道を歩めはしないけどな」 「良いわ。分かってる」 多くの妖をこの手にかけた。今晩のように。 今更この手が汚れていないとは言えない。 自分自身も、安らかな死後が待っているとは思えなかった。 「死んでからも、壱人をこき使ってやるもの」 「ったく、しゃーねえな」 「人間、諦めが大事よね」 「アンタの言えた台詞じゃないな」 軽口を叩きながらも、その合間にお互い当然のように唇を重ねる。 飽くことないやり取り。 いつものこと。 目の前にいるのは、自分にとって唯一無二の存在。 わたしにとっての壱人。 壱人にとってのわたし。 離れ離れになることはない。 それがわたしたちの望みだから。 「そういやさっき、アンタを慰めてやる約束をしてたよな」 「ええ。わたしのことをどう思っているか、何回でも言ってくれるって言ったわ」 「そうそう。どこをどう使っても、な」 聞いたこともないような甘い声で、壱人が耳元で囁いた。 その声が耳にこびりついて、思考を鈍くさせる。 「そう、ね」 わたしは素直にうなずいて、壱人に身を預ける。 楽しそうで、妙に生き生きとした彼の顔が目の前に広がっていた。 外はすっかり朝を迎えている。 カーテンから差し込むのはさんさんと爽やかな朝日の光。 それがいつしか自分には眩しすぎるものとなってしまったけれど。 「――――俺は、アンタが好きだよ」 壱人の言葉を聴いて、壱人に全てを預けて、壱人を受け入れた私には、もうどうでも良いことだった。 |