雪の日




 
 その日、朝一番の仕事を終えて紫姫の屋敷を訪れた幸鷹は、邸内から漏れ聞こえてくる楽しげな声にふと足を止めた。
 もうすでに何人かが集まっているらしい。
 聞き覚えのある声の中で、ひときわ鮮烈に耳に響くのは、愛しいあの人の笑い声だ。
 思わず幸鷹の目元が優しく細まる。
 門をくぐり、家人に案内されながら、歩を踏み出すたびに近づくあの人のことを思う。
 途中で家人の案内を辞し、声の主のもとへとゆったりとした足取りで歩いていくと、不意に足元に何かが着弾した。


「――――?」


 首をかしげる幸鷹に、今度は肩辺りに何かが掠めた。
 ・・・これは、雪玉か?
 飛んできた物体をそう分析する間に、第三弾が幸鷹の頬に命中した。


「っ!」


 予想外にその衝撃は大きかった。左の頬にぶつかった雪玉は、そのまま形を失って地面に戻っていった。
 何が何やら分からず立ち尽くしていた彼の耳に、あせった様子の声が聞こえてきた。


「幸鷹さん! 大丈夫ですか!?」


 その言葉とともに駆け寄ってきたのは、紛れもない。思い人である、花梨であった。


「もうっ、イサトくんてば! 顔に当てることないでしょ」


「悪ぃ。まさかあたっちまうとは思わなくて。幸鷹、悪かったな」


 花梨の背中からはすまなさそうな様子のイサトが顔を出す。その後ろから、やや顔を青ざめさせた紫姫と泉水が続く。さらに後ろには、勝真や頼忠、翡翠までいる。


「ちょっと驚かせてやろうと思っただけなんだ。大丈夫か?」


「あの、お怪我はありませんか。少々頬が赤く腫れておられますが・・・」


「あのくらいよけられないんじゃ、日ごろの鍛錬が足りないんじゃないか?」


「油断したね、別当殿」


 心配そうに見る者もあれば、好き勝手言っている者もいる。
 普段はここで注意の一つでも言い渡すところだが、今日はそんな気分ではなかった。


「そろって雪遊びですか?」


「そうなんです。こんなに積もったのが嬉しくて」


 幸鷹にハンカチを差し出しながら、花梨はそう言って破顔した。
 確かに、これほど雪が積もるのは、ものめずらしかろう。もとの世界であっても、そうめったに積もるものではない。言われてみれば、こうしてゆっくりと雪を眺める機会も、久しくなかった。


「見事に積もりましたね」


「はい」


 京に冬が巡ってきた。
 見慣れている風景のはずなのに、今は違う光景に見える。
 それはきっと、一緒に見てくれている人が彼女だからだろうか。


「綺麗ですね」


「はい! ついついみんなを誘って、庭で遊んでしまったんです」


 嬉しそうな花梨の顔。
 雪の中にあっても、その輝くような笑顔は眩しいほどだ。
 無邪気に喜ぶ花梨に、幸鷹はそっと呟く。


「綺麗なのは、雪ではなくて、あなたですよ」


「幸鷹さん? 何か言いました?」


「・・・いいえ、何でもないですよ」


 ふと口元に笑みを浮かべながら、幸鷹はゆっくりと首を振った。





back