夢の続き
「心さん? こんにちは」
心ノ介のアパートを訪れた紗依は、中から返事がないことをいぶかしがりながらも、そっとドアを開けた。
学校帰りに直行で寄ったため、まだ日は高い。
紗依の父の紹介で、心ノ介は近くのコンビニで深夜のバイトを始めていた。
機械の操作が苦手な彼は専ら荷出しが主な仕事だが、生来の明るさと人当たりの良さが接客に向いているとか。
父の知り合いでアルバイト先のコンビニの店長が、なかなか見所があると褒めていたらしい。
それを聞くと紗依も嬉しかった。
今日は休みで家にいると言っていた。
鍵が開いているのだから、中にいるはず・・・。
紗依は遠慮がちに靴を脱ぎ、足音を忍ばせて六畳の部屋を覗き込んだ。
「あ・・・」
いた。
部屋の真ん中にしかれた布団の上で、心ノ介は紗依の気配にも気づかずに眠りこけていた。
紗依は音を立てないように、心ノ介の傍らにひざをついた。
「疲れたんですね」
すやすやと寝息を立てている顔を見て、自然と口元がほころぶ。
人の寝顔はどうしてこうも、見ているものを癒すのだろうか。
それは好きな人のものならなおさらだ。
紗依が手を伸ばして赤い髪の毛を撫でていると、
「うーん・・・」
心ノ介が不意に寝返りを打った。
そして、急にかけていた布団を抱きしめ始めた。
「え? ど、どうしたんですか?」
驚く紗依の耳に、さらに仰天する呟きが聞こえてきた。
「紗依〜」
「!?」
心ノ介は紗依の名前を呼んだかと思うと、さらに強く布団を抱きしめる。
「じ、心さん?」
一瞬、彼が目を覚ましたのかと思ったのだが、それは違った。
「うー。紗依〜、むにゃむにゃ」
なにやら良く分からない寝言を言っている。
ただ、自分の名前が出てきたことに、紗依は胸を弾ませた。
「もしかして、私が夢の中に出ているの・・・?」
そうだったら嬉しい。
心ノ介の夢でまで、彼と一緒にいられるのだから。
心和んでいる間にも、心ノ介の呟きは続いている。
「紗依、好きだ。本当に好きだ・・・」
「!」
いきなりとんでもない告白を始めたので、紗依は何故か罪悪感を覚えた。
――――これは、私が聞いても良いことなの?
夢の中とはいえ、自分に言われているのだから、きっと聞いていても良いのだろう。
だが、心ノ介の告白の対象は夢の中の紗依であって、現実の紗依ではない・・・・・・というところに、抵抗があった。
「う、嬉しいけど・・・」
大真面目な心ノ介の声が何度も頭の中を駆け巡っている。
起こそうかどうか迷っている間にも、心ノ介の寝言はさらにグレードを上げてゆく。
「ああ、そうか、お前も・・・幸せだ。・・・・・・え? 紗依? なっ、ちょっと・・・」
「えっ、何?」
不意に心ノ介が慌てだした。
「紗依・・・いや、嫌じゃないんだ。だが、その・・・いきなりはやっぱり・・・ほら、初めてなわけだし・・・って、うわっ! や、待ってくれ! さ、紗依!」
「ちょっ・・・! 夢の中の私! 何やっているの!?」
心ノ介の発言で、彼の夢についてどんどん想像が膨らんでいくが、自分でも赤面してしまうようなものしかイメージできない。
「じ、心さん!! 起きてください!」
ついに耐えられなくなって、真っ赤になった紗依は心ノ介の耳元で大きな声をあげた。
「な!? 何だ!」
それに反応して、がばっと心ノ介が飛び起きる。
「きゃっ!」
その勢いに押されて、思わずのけぞってしまった。
いまだに夢の中にいるのか、心ノ介はぱちくり目をしばたかせている。
そのうちに隣に紗依がいることに気がついて、さらに驚いた。
「紗依!?」
慌てふためく人が目の前にいると、自分は冷静になれるものだ。
紗依はどきどきする鼓動を抑えながら、にこりと笑った。
「こんにちは。さっき来たばかりなんです、けど」
「ん?」
「えと・・・・・・一体何の夢を見ていたんですか?」
質問してから、紗依の想像通りの内容の夢を彼が見ていたとしたら、説明する心ノ介もそれを聞く紗依も、気まずい雰囲気になるのでは、ということに思い至った。
――――もしかして、訊かないほうが良かったかも。
はらはらして色々思いをめぐらしている間に、心ノ介が口を開いた。
「おお・・・紗依がな、バイト先のコンビニで、俺にレジ打ちを迫って来るんだ」
「・・・・・・は?」
「俺は初めてだし、間違えたらどうしようと思う反面、お前の頼みだし、そんな風に甘えられるのもないから、嬉しかったりして」
「そ、そうだったんですか」
思わずずっこけてしまった紗依は、額に汗を浮かべながら乾いた笑みを浮かべた。
――――私ってば、何お願いしているんだろう。
とほほとがっくり肩を落とす。
何かを期待していたわけではないが、あまりにも情けないと言うか・・・。
勝手だとは思うが、それが正直な気持ちなので仕方ない。
そのとき。
「でも、それだけじゃないぜ」
「え?」
不意に心ノ介の声のトーンが落ち、するりと伸びてきた大きな手が、紗依の腕を掴んだ。
あっという間に抱きしめられて、目の前にはいつもと違う彼の真剣な表情があった。
「俺は夢の中で、お前に好きだと告げた。そしたらお前も・・・」
「!」
心ノ介はいったん言葉を止めてから、ぎゅっと強い力で紗依を抱きしめる。
「お前も、俺のことが好きだと言ってくれた。俺はそれがすげえ嬉しかったんだ」
「心さん・・・」
「なあ、それって俺の夢だけのことなのか?」
「え?」
紗依は目を見開いて、彼の瞳を見返した。
切なげにゆれるまなざしを見た途端、勝手に口は開いていた。
「夢じゃ、ないですよ。現実の私だって、心さんのことが好き。ううん。夢の私より、ずっとずっと好きですよ!」
「紗依・・・」
今度は心ノ介が驚く番だった。
しばらくぽかんとしていた心ノ介だったが、
「良かったああ!」
急にほっとしたのか、大きな息を吐き出した。
「俺の妄想だけだったらどうしようかと思ったぜ。そうか、紗依も、俺のことが・・・」
しみじみと納得している姿に、思わず可愛いと思ってしまう。
微笑ましい思いで彼を見つめていると、心ノ介はそっと紗依の耳にささやきかけてきた。
彼の体とは似つかわしくない、小さな声。
でも、紗依にはそれがちゃんと聞こえたから、思いきりたくましい体に抱きついた。
彼は、照れながらも言ったのだ。
「紗依、好きだ」
そう、はっきりと。