あなたにあいたい



「お姉ちゃん! 一体今までどこに行っていたの!?」
 夜が明けてから、昨日別れた宿屋を訪れると、血相を変えた用三郎が駆け寄ってきた。
 用三郎の声に気がついた泰之丞も、ふすまの向こうから姿を現した。
「ごめんね、心配かけて・・・」
「いえ、紗依が無事ならばそれでかまわないが・・・」
 そこで男二人の視線が、紗依の後ろに立つ男に向いた。
「心! また変な事件起こして、お姉ちゃんを巻き込んだんだろ!」
「し、仕方ねえだろ!」
「やっぱり! ホントもう、いい加減にしろよ。お姉ちゃん、怪我とかしてない?」
「え、うん。大丈夫・・・っ」
 首を振ろうとした紗依は、直後襲った頭の痛みに顔をしかめた。
「わっ! 大きなたんこぶ! 大丈夫じゃないよ!」
 用三郎がすぐにそれに気がつき、そっと紗依の頭に手を添える。
「結構大きいよ、早く手当てしないと・・・・・・え?」
 冷やすものをとりに行こうとした用三郎が、刹那、凍りついた。
「ん? どうしたのだ」
 いぶかしげな表情を浮かべた泰之丞がゆっくりと歩み寄ってくる。
「どうしたというのだ、用・・・・・・こっ、これはっ・・・!」
 用三郎の隣に立った泰之丞も、紗依に視線を落とした瞬間、見てはいけない――否、見たくはなかったものを見つけて、激しいめまいを覚えた。
「え? え? 何ですか? どうしたんですか?」
 事情の分からない紗依は、目の前で呆然自失の二人を、困ったように見比べる。
「棒・・・僕、目が悪くなったのかな・・・何か、見てはいけないものが見えるんだけど・・・」
「錯覚・・・そうだ、拙者は疲れておるのだ・・・でなければ、こんな・・・」
「ど、どういうことですか?」
 困惑する紗依を通り抜けて、用三郎と泰之丞は、信じられない思いで心ノ介を凝視した。
「お、お前、もしかして・・・」
「へ?」
 二人のまなざしが向けられて、心ノ介は間の抜けた表情を返す。
「・・・そうだよ、これは何かの間違いだ。だって、こんなギネス記録並みにもてない男がそんなことできるわけがない・・・はは・・・そうだよ」
 一人勝手に納得しかけた用三郎だったが、次の瞬間その顔は驚きと絶望に凍りついた。
「なっ・・・お姉ちゃんと心から、同じシャンプーのにおいがする・・・! 首筋の赤い痕といい、心! お前っ!!」
 ものすごい形相で用三郎は心ノ介の胸倉をつかんだ。
 ここへ来て、ようやく何のことを言われているのか分かった心ノ介は、ふっふっふ、と怪しげな笑いをこぼした。
「やめろよ、もてない男のひがみはみっともないぜ」
「心っ!!」
 たまらず用三郎の拳が振り上げられる。
「心の馬鹿! 返せ、清らかなお姉ちゃんを返せ! 今すぐ返せ! 死んでも返せ!!」
「はっはっは、そんなことできるわけないだろう、用三郎君」
 胸倉をつかまれた状態で、がくがくと揺さぶられても、心ノ介の笑いは収まらない。
 それが余計に用三郎の怒りの炎に油を注ぐ。
 しばらくぎゃあぎゃあと心ノ介を悪し様にののしっていた彼だが、ふと突然何かに気がついたように手を離した。
「そうか、そうだったのか・・・」
 うつむきながらぶつぶつなにやら呟いた後、心ノ介を見た彼の顔には、なぜかさわやかな笑みが浮かんでいた。
「心、僕たち友達だよね?」
「は? な、何だよ、いきなり・・・」
「だからさ、僕のために死んでよ!」
「うわっ! ば、馬鹿野郎! いだだだっ! 放せ!」
「僕は残虐超人だからね。このキャメルクラッチで・・・」
「ぎゃあああっ!」
 二人の壮絶なやり取りを前に、何とか声を掛けようと試みた紗依だったが、結局言葉が見つからずにおろおろするばかりだ。
 そんな彼女に、すっと横から手が差し出された。
 目の前には、心ノ介と用三郎の争いを華麗に無視した泰之丞が微笑んでいる。
「さ、お手をこちらに。心とのことは、犬にかまれたと思って忘れてしまいなさい。何、拙者なら気にしていません。魔がさすなど、時としてあるものです。何なら拙者が今宵、癒して差し上げ・・・」
「こらーーーっっ!!」
 朝っぱらから大騒ぎをして、他の宿泊客には大変な迷惑なことだろう。
 最初は何とか争いを収めようとした紗依だったが、騒ぐ三人を見ていて、在りし日の逃亡劇を思い出した。
 あの時も、この明るさに何度救われただろうか。
 懐かしさがこみ上げ、自然と優しい気持ちになる。
 ――――本当に、夢じゃないんだよね。
 三人の言い合いを、紗依はいとおしむように眺めていた。
 ・・・それが、他の客には奇異に映ったのは、言うまでもない。



「ほうほう、なるほどのう」
 端正な筆跡でつづられた書状を読み終えた初姫は、満足そうに何度もうなずく。
「紗依は心と無事に再会できたようじゃ。数日中に、城を訪ねるとのことだ」
「なるほど、それはよろしゅうございましたな」
 隣に控えていた宗重にも、ほっと安堵のため息がこぼれる。
「父上も、わらわたちの結婚を認めてくださったし、これでハッピーエンドじゃの・・・っと、その前に」
 初姫は、手元にあるペンダントに視線を落とした。
 自分の命を救うきっかけを作ったもの。
 紗依をこちらへつれてきてくれたもの。
 そして、紗依を未来へとかえしてしまうもの・・・。
「これにはずいぶん世話になったが、もう必要あるまい」
「姫?」
 宗重が見つめる中、初姫はすっと立ち上がった。
 名残惜しそうにぎゅっと緑色の石を握り締めたが、その思いを断ち切るように、大きく首を振った。
 そして。
「えいやっ!」
 初姫は渾身の力を込めて、どこから取り出したのか、巨大なハンマーでペンダントを打ち砕いた。
「ひ、姫!?」
 宗重があわてて駆け寄っても、もう遅い。
 あの独特の輝きを持った翠色の石は粉々になってしまっていた。
 無残な姿のペンダントを前に、少し寂しげな顔をした初姫だったが、
「・・・これで良いのじゃ」
 くるりと背中を向けた。
「宗重、その欠片を例の文箱に、一緒に入れよ」
「え?」
「いいから! 早く文箱を掘り起こすのじゃ!」
「は、はい!」
 急かされて庭へ走る宗重の背中を見送ると、初姫は散らばった欠片を綺麗に拾い集め、丁寧に絹の布地に包み込んだ。
 手には、確かに原形をとどめていたときの重みが感じられる。
 それが初姫の口を動かせた。
「――――ありがとう」
 口づけするように布地に唇を当て、万感を込めた彼女の一言は、夏の残り香を含んだ一陣の風の中に消えていった。




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