悪夢の果て 



11



 良く晴れた朝だった。
 春を迎えた今日この頃は、あれほど寒かった気候も温み始めている。
 冷たい空気も気持ち良いと感じられるようになっていた。

「うーん! 今日も良い日になりそう」

「紗依!」

 外に出て日の光をいっぱいに浴びていると、後ろからやや怒気を孕んだ霞丸の声が飛んできた。

「そんな薄着で外に出たら体を冷やしてしまうだろう」

 ふわりとかけられた上着に紗依は苦笑する。
 彼女の体には、新たな命が宿っていた。

 ――――結局、紗依は力を発動し始めていたペンダントを、霞丸の取り落としたクナイで叩き割った。

「良いのか・・・?」

 事態は良く分からないが、紗依があれほど求めた故郷に帰らなかった。
 そのことだけは霞丸にも分かった。
 光がおさまった後、恐る恐る問いかけてきた霞丸に、紗依ははっきりとうなずいた。

「良いんです」

 紗依の笑顔がまぶしくて、どきりと霞丸の胸が高鳴る。
 緊張して震える声で、さらに問いを重ねる。

「それは、俺のもとにいてくれると、そうとって良いのか?」

 その言葉に紗依ははにかむような笑みを浮かべた。
 彼女の姿がいじらしくて思わず皆の前で口付けしたら、顔を真っ赤にして紗依が怒ったので、霞丸ばかりでなくその場にいた初姫も声を上げて笑っていた。

 その後改めて紗依は霞丸とともに望月城に招かれた。
 城の者は隻腕の霞丸の姿を見、恐怖と嫌悪に顔をしかめたが、初姫の、

「こやつはわらわの命の恩人じゃぞ!?」

 というはったりの一言で、皆納得したのかしなかったのか、それきり霞丸に向ける視線は負の感情のみではなくなった。

「まあ、わらわは心が広いでな。紗依の想い人なら、わらわを殺そうとしたことくらい、我慢してやらぬこともない」

 そう言って初姫は、宗重に打ち付けられた霞丸の肩をぽんと叩いてやったのだが、恐らくそれは彼女なりの気遣いを感謝されたくなかったからだろう。

 そうしてしばらく紗依と霞丸は望月城に留まることになった。
 あれほど騒ぎのもととなったペンダントも、あれ以来変調をきたすことはなく、本当にただの首飾りに戻っている。
 紗依と霞丸は、彼の傷の養生のつもりで、しばらく望月城に逗留していたのだが。

「さ、さ、紗依、そ、それは、つ、つ、つまり・・・」

 ついつい伸びていた滞在への感謝と、そろそろ城を出て行こうという相談を持ちかけたとき、何かのついでに紗依は己の体の変調を初姫に相談したのだ。

「初姫さん? どうしたんですか? 私、そんなに悪い病気なんですか・・・?」

「い、いや、何と申すか・・・ええいっ、爺! 医者を呼べ!」

 初姫は紗依の心配気な視線を無視し、珍しく取り乱した様子で、侍医を呼びつけた。

「いやいや、これはおめでたい」

 診察を終えた医者は、満面の笑みでそう告げて初めて、紗依自身己の体に起きた変調の正体を知ったのだ。

「紗依、寒くはないか?」

 紗依の妊娠に一番取り乱した最愛の人は、気遣わしげに紗依の肩を抱いた。

「なっ、に、妊娠・・・!?」

 あの時の顔を、紗依をはじめ、城の者は・・・霞丸の顔を見た者は、誰も忘れられないだろう。
 あの、何とも拍子抜けしたような、それでいて信じられぬ思いと湧き上がる喜びをないまぜにした、あの幸せそうな顔を。

 余談ではあるが、霞丸が紗依のいないところで、初姫と宗重と爺やに夜通し説教されたことは内緒だ。

「ふふっ」

「どうしたんだ?」

「あ、いいえ。何でもないです」

 妊娠発覚時のことを思い出すと思わず笑ってしまうのだが、霞丸がそれを嫌がるので、紗依は笑みを隠すようにかけられた上着で口元を隠した。
 不審そうに首をかしげながらも、霞丸は室内へと紗依を誘う。

「姫様がお呼びだ。熱い汁粉を用意させたと言っていた」

「あ、朝からお汁粉ですか?」

「姫様が急にご所望されたとか。何をお考えなのか・・・」

「ふふっ、初姫さんらしいですね」

 紗依の妊娠が発覚してから、城を出て行くという計画は頓挫した。

「この男一人に、身重の紗依の面倒が見られるとは思えぬ!」

 という初姫の言葉が容赦なく霞丸の胸をえぐる。
 痛む胸を抱えながらも、実際その言葉の通りだと霞丸もうなずかざるを得なかった。
 だが、いまだこの城に留め置かれていることを、実は霞丸は良しとは思っていなかった。

「もし・・・」

「え?」

「もし、もう少し暖かくなって、お前の体も安定して、俺がお前の面倒を見られるようになったら・・・」

 隻腕で頼りなげな紗依の身を抱き寄せ、そっと彼女の耳元に唇を寄せる。

「そうしたら、新しい生活を始めよう。お前と俺と、そして、新しく宿った命と」

「霞丸さん・・・」

 大きく目を見開く紗依を安心させるように、霞丸は微笑む。

「多少は苦労させるかもしれん。城のような暮しはできないが、その分お前も、子どもも、俺が幸せにするから」

「あ・・・」

 言葉がうまく出てこない。
 嬉しいはずで、すぐにでも返事をしたいのに。

 返事は決まっていた。
 そんなこと、悩むまでもないのだ。
 紗依は、ようやく一言だけ告げることができた。

「喜んで」

 短く、そしてかすかな呟きではあったが、霞丸を喜ばせるのには十分だった。

 膨らみ始めた腹の中に、新たな生命の存在を感じる。
 それがこの世に産み落とされたとき、自分たちはどのような未来を描いていくのだろう。
 期待と不安、希望と絶望、相反する正負の感情が入り乱れながらも、二人は互いの顔を見て思う。

 ――――この人がいれば、自分は大丈夫だと。

 全ての困難にも立ち向かっていける。

「紗依」

「霞丸さん」

 互いの名を口にしただけで、それ以上の思いはもう通じあっていた。
 微笑み合ってうなずくと、手を取り合いながら、二人は座敷の中へと戻っていった。








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