約束
1
「なあ、教えてくれ! 女王を連れ戻すには、どうしたら良いんだ?」
どん、と執務用の机を強く叩いたのは、珍しく真剣な表情を浮かべている情報屋、ロシュだ。
いつもの陽気な態度は影を潜め、切迫した様子だけが良く伝わってくる。
財団にある研究室の一室でロシュを迎えていたのは、再び財団に復帰したレインだった。
「お前に教えることなんて、何もない」
彼はロシュの頼みをばっさりと切り捨てる。
そんなレインの顔には疲労がはっきりと浮かんでいた。
だが、顔色が悪いのに、異様に目だけは強い光を宿しており、それが異常といえば異常だった。
冷たく突っぱねられても、ロシュは諦めなかった。
「知っているんだぜ。あんたが、女王をアルカディアに連れ戻す研究をしているって。研究はどこまで進んでいるんだ? どうやったらあいつをこちらに戻せるんだ?」
「何度聞かれたって同じだ。お前に言えることはない」
「何で!?」
ロシュは苛立ちが頂点に達して、机越しにレインの胸倉を掴んだ。
「あいつに戻ってきてほしいと思っているのは、お前だけじゃない! みんなあいつに会いたいんだよ!」
「・・・・・・」
「だけど、悔しいがオレたちじゃ、どうやってあいつの元へ行けば良いのか想像もつかない。だからお前を頼るしかないんだよ! お前ならアンジェへの道を知っているんだろう? 何で隠すんだ!? そんなにあいつを独り占めしたいかよ!」
「ロシュ、止めるんだ」
今まで静かに二人のやり取りを聞いていたベルナールが、興奮するロシュの肩を掴んだ。
「落ち着いて。僕たちは取材に来ただけだろう」
「だけど、ベルナール・・・!」
なおも何か言いたげなロシュを制して、ベルナールはレインに視線を向ける。
「レイン君。アンジェを思う気持ちは、君も僕たちも変わらないはずだ。だから、何か言えることができたら、ぜひ教えてほしい」
「ああ」
レインがうなずくのを確認すると、ベルナールはロシュの腕を掴んだ。
「さ、取材は終わりだ。帰るよ」
「え? 何言ってんだよ! まだオレたち何も収穫がないぜ!?」
「良いから。じゃあ、レイン君。また」
しぶるロシュを無理矢理引っ張って、ベルナールはレインの研究室を後にした。
「何であそこで諦めるんだよ。あいつ、絶対何か知っているはずだったのに」
「無理矢理聞き出したって、仕方ないだろう。彼にだって事情があるんだよ」
「そうかもしれないけどさあ」
財団本部の長い廊下を歩きながら、ロシュはまだ不満そうだった。
アンジェリークが女王となってから、半年が過ぎようとしていた。
その間にアルカディアは目覚しい復興を遂げた。
人々の間には笑顔が戻り、もうタナトスに怯える必要などない、平和な世界。
けれど、この世界には大きな存在が欠けていた。
それが、アンジェリークだ。
アンジェリークに会いたい。
会って、ずっと一緒にいたい。
――――かつて彼女にかかわった人物は、皆同じ思いを抱えていた。
「あいつに会いたい、なんてオレたち共通の願いだろ? ったく・・・」
まだまだ愚痴が止まらない様子のロシュに、
「ちょっと失礼」
聞き覚えのある声が掛けられた。
「ん?」
ベルナールとロシュが振り返ると、そこには小柄な研究員と、頭一つ以上大きな研究員が立っていた。
「あれ、君たちはたしか、エレンフリート君とジェット君だね」
「ええ。お久しぶりです」
小柄な研究員――――エレンフリートは、眼鏡の端を押さえる。
隣にいたジェットは二人を見ても無反応だった。
「あっ、お前だったら何か知っているだろう? 研究のこと」
「ロシュ」
ベルナールがたしなめたことも気にせず、ロシュはエレンフリートに近寄る。
「なあ、どうやったらアンジェに会えるんだ?」
「そのことなのですが・・・・・・私が説明するより、レイン博士を直接ご覧になったのでしたら、彼の顔が何より真実を語っています」
「え? あいつの顔?」
ロシュは言われてレインの顔を思い出していた。
ひどく青い顔をしていたのは覚えている。
興奮してしまっていたため、あまり細かくは思い出せないが、しかし、それだけでもエレンフリートの言っている意味がわかった。
「もしかして、上手くいっていないのか?」
エレンフリートは目を閉じた。
「彼は、アンジェリークを女王にしてしまったことの原因が、自分の力不足のためと思っているのです。もっと自分に力があれば。彼女を女王にする以外の方法を見つけられていれば。・・・彼の中にはアンジェリークに対する罪悪感でいっぱいなんです」
「そんな・・・だって、アンジェは自分から女王になると言っていたじゃないか」
「ええ。ですが、彼女がこのアルカディアを離れることに、戸惑いを見せていたのも事実です。レイン博士には、このときの記憶が鮮明に残っているのでしょうね」
みすみすアンジェリークを女王にしてしまった。
本当は手放したくなどなかったのに。
その方法以外とることが出来なかった。
自分に力がなかったばっかりに。
レインはそのことをひどく後悔していた。
間近でそれを見続けてきたエレンフリートは、耐えられなくなって、視線を下へ向ける。
「レイン博士はこの半年、ろくに睡眠も摂っていないんです。食事だって平気で抜きます。それだけ研究に打ち込んでいるのに、結果はついてこない・・・・・・私は、アンジェリークに会うことが出来る前に、レイン博士が倒れるほうが先のような気がしてなりません」
「・・・・・・」
もう一度、ロシュはレインの顔を思い出していた。
不健康そうな顔。
苛立ちを押さえたような声音。
もどかしい思いを抱えていることに、ようやく気がついた。
「そんな・・・オレはただ、アンジェを取り戻す研究に、何か力になれることがあればと思ったんだ」
「今は、そのお気持ちだけ受け取っておきましょう。残念ながら、今は私にだって出来ることはないのです」
ああ・・・。
ロシュは思った。
目の前にいる少年も、その隣に控える青年も、二人ともアンジェリークの帰りを待つ同士なのだと。
抱えている思いは自分と一緒。
アンジェリークに会いたい。
けれど、どうしたら会えるのか分からない。
焦りばかりが募っていく毎日。
きっと、彼女にかかわった人間ならば、どこにいてもその思いを抱き続けているだろう。
「ところで、レイン君は大丈夫なのかい?」
ベルナールは思い出したように切り出した。
「ろくに寝ていないんだろう? このままでは危ないんじゃないかい?」
「ええ、私もそう思うのですが、レイン博士が頑として譲らないのです。ちゃんと睡眠も食事も摂っているから、心配するな、それより研究のほうが大切だ、と言って・・・」
エレンフリートも色々と世話を焼いたのだろう。
だが、その申し出を断るレインの姿もまた、容易に想像できた。
「アンジェにたどり着く研究が終わる前に、あいつが倒れてしまったら意味がない! よし、オレが力尽くでも・・・」
「ロシュ、ダメだ。きっと彼には僕たちではダメなんだよ」
悲しそうに目を伏せながら、ベルナールは今にも研究室へ舞い戻りそうなロシュの肩を掴んだ。
「ダメって何だよ。このままだとあいつ、倒れちまうんだぞ」
「考えてもみなよ。やろうと思えばジェット君にお願いして、無理矢理レイン君を休ませることも出来たんだ。でもダメだったんだろう?」
ベルナールの視線を受けたジェットが、初めて口を開いた。
「ああ。休養させようとしたところ、あいつは脱走していつの間にか研究室に戻っていた」
「あれから、ジェットが近づくたびに、レイン博士は研究室の電子ロックをかけるようになりました。今日、あなた方がレイン博士に会えたのは本当に幸運だったのですよ」
エレンフリートはそう言って、苦笑いを浮かべた。
二人もレインを休ませようと試みていたのだ。
でもダメだった。
レインの思いを止めることは出来なかった。
アンジェリークへの罪悪感。
レインが底知れぬ思いを抱いているのだと、その場にいた四人は改めて知った。
「何か、打つ手はないのかい?」
「有効かどうかは分かりませんが、オーブハンターだった三人に相談してみようと思っています。私たちよりはずっとレイン博士に近いところにいた方々ですから」
「そうか・・・僕たちに出来ることがあったら、何でも言ってくれ」
「ありがとうございます」
気がつけばずいぶん長いこと話し込んでしまった。
「じゃあ、僕たちは失礼するよ」
「ええ。お引止めしてしまい、すみませんでした」
エレンフリートとジェットに見送られて、ベルナールとロシュは財団本部を後にした。
それから三日後だった。
レインが倒れたという一報が、ベルナールたちに届いたのは。