約束





「なあ、教えてくれ! 女王を連れ戻すには、どうしたら良いんだ?」

 どん、と執務用の机を強く叩いたのは、珍しく真剣な表情を浮かべている情報屋、ロシュだ。
 いつもの陽気な態度は影を潜め、切迫した様子だけが良く伝わってくる。
 財団にある研究室の一室でロシュを迎えていたのは、再び財団に復帰したレインだった。

「お前に教えることなんて、何もない」

 彼はロシュの頼みをばっさりと切り捨てる。
 そんなレインの顔には疲労がはっきりと浮かんでいた。
 だが、顔色が悪いのに、異様に目だけは強い光を宿しており、それが異常といえば異常だった。
 冷たく突っぱねられても、ロシュは諦めなかった。

「知っているんだぜ。あんたが、女王をアルカディアに連れ戻す研究をしているって。研究はどこまで進んでいるんだ? どうやったらあいつをこちらに戻せるんだ?」

「何度聞かれたって同じだ。お前に言えることはない」

「何で!?」

 ロシュは苛立ちが頂点に達して、机越しにレインの胸倉を掴んだ。

「あいつに戻ってきてほしいと思っているのは、お前だけじゃない! みんなあいつに会いたいんだよ!」

「・・・・・・」

「だけど、悔しいがオレたちじゃ、どうやってあいつの元へ行けば良いのか想像もつかない。だからお前を頼るしかないんだよ! お前ならアンジェへの道を知っているんだろう? 何で隠すんだ!? そんなにあいつを独り占めしたいかよ!」

「ロシュ、止めるんだ」

 今まで静かに二人のやり取りを聞いていたベルナールが、興奮するロシュの肩を掴んだ。

「落ち着いて。僕たちは取材に来ただけだろう」

「だけど、ベルナール・・・!」

 なおも何か言いたげなロシュを制して、ベルナールはレインに視線を向ける。

「レイン君。アンジェを思う気持ちは、君も僕たちも変わらないはずだ。だから、何か言えることができたら、ぜひ教えてほしい」

「ああ」

 レインがうなずくのを確認すると、ベルナールはロシュの腕を掴んだ。

「さ、取材は終わりだ。帰るよ」

「え? 何言ってんだよ! まだオレたち何も収穫がないぜ!?」

「良いから。じゃあ、レイン君。また」

 しぶるロシュを無理矢理引っ張って、ベルナールはレインの研究室を後にした。






「何であそこで諦めるんだよ。あいつ、絶対何か知っているはずだったのに」

「無理矢理聞き出したって、仕方ないだろう。彼にだって事情があるんだよ」

「そうかもしれないけどさあ」

 財団本部の長い廊下を歩きながら、ロシュはまだ不満そうだった。

 アンジェリークが女王となってから、半年が過ぎようとしていた。
 その間にアルカディアは目覚しい復興を遂げた。
 人々の間には笑顔が戻り、もうタナトスに怯える必要などない、平和な世界。
 けれど、この世界には大きな存在が欠けていた。
 それが、アンジェリークだ。

 アンジェリークに会いたい。

 会って、ずっと一緒にいたい。

 ――――かつて彼女にかかわった人物は、皆同じ思いを抱えていた。

「あいつに会いたい、なんてオレたち共通の願いだろ? ったく・・・」

 まだまだ愚痴が止まらない様子のロシュに、

「ちょっと失礼」

 聞き覚えのある声が掛けられた。

「ん?」

 ベルナールとロシュが振り返ると、そこには小柄な研究員と、頭一つ以上大きな研究員が立っていた。

「あれ、君たちはたしか、エレンフリート君とジェット君だね」

「ええ。お久しぶりです」

 小柄な研究員――――エレンフリートは、眼鏡の端を押さえる。

 隣にいたジェットは二人を見ても無反応だった。

「あっ、お前だったら何か知っているだろう? 研究のこと」

「ロシュ」

 ベルナールがたしなめたことも気にせず、ロシュはエレンフリートに近寄る。

「なあ、どうやったらアンジェに会えるんだ?」

「そのことなのですが・・・・・・私が説明するより、レイン博士を直接ご覧になったのでしたら、彼の顔が何より真実を語っています」

「え? あいつの顔?」

 ロシュは言われてレインの顔を思い出していた。
 ひどく青い顔をしていたのは覚えている。
 興奮してしまっていたため、あまり細かくは思い出せないが、しかし、それだけでもエレンフリートの言っている意味がわかった。

「もしかして、上手くいっていないのか?」

 エレンフリートは目を閉じた。

「彼は、アンジェリークを女王にしてしまったことの原因が、自分の力不足のためと思っているのです。もっと自分に力があれば。彼女を女王にする以外の方法を見つけられていれば。・・・彼の中にはアンジェリークに対する罪悪感でいっぱいなんです」

「そんな・・・だって、アンジェは自分から女王になると言っていたじゃないか」

「ええ。ですが、彼女がこのアルカディアを離れることに、戸惑いを見せていたのも事実です。レイン博士には、このときの記憶が鮮明に残っているのでしょうね」

 みすみすアンジェリークを女王にしてしまった。
 本当は手放したくなどなかったのに。
 その方法以外とることが出来なかった。
 自分に力がなかったばっかりに。

 レインはそのことをひどく後悔していた。
 間近でそれを見続けてきたエレンフリートは、耐えられなくなって、視線を下へ向ける。

「レイン博士はこの半年、ろくに睡眠も摂っていないんです。食事だって平気で抜きます。それだけ研究に打ち込んでいるのに、結果はついてこない・・・・・・私は、アンジェリークに会うことが出来る前に、レイン博士が倒れるほうが先のような気がしてなりません」

「・・・・・・」

 もう一度、ロシュはレインの顔を思い出していた。
 不健康そうな顔。
 苛立ちを押さえたような声音。
 もどかしい思いを抱えていることに、ようやく気がついた。

「そんな・・・オレはただ、アンジェを取り戻す研究に、何か力になれることがあればと思ったんだ」

「今は、そのお気持ちだけ受け取っておきましょう。残念ながら、今は私にだって出来ることはないのです」

 ああ・・・。

 ロシュは思った。
 目の前にいる少年も、その隣に控える青年も、二人ともアンジェリークの帰りを待つ同士なのだと。
 抱えている思いは自分と一緒。

 アンジェリークに会いたい。

 けれど、どうしたら会えるのか分からない。

 焦りばかりが募っていく毎日。
 きっと、彼女にかかわった人間ならば、どこにいてもその思いを抱き続けているだろう。

「ところで、レイン君は大丈夫なのかい?」

 ベルナールは思い出したように切り出した。

「ろくに寝ていないんだろう? このままでは危ないんじゃないかい?」

「ええ、私もそう思うのですが、レイン博士が頑として譲らないのです。ちゃんと睡眠も食事も摂っているから、心配するな、それより研究のほうが大切だ、と言って・・・」

 エレンフリートも色々と世話を焼いたのだろう。
 だが、その申し出を断るレインの姿もまた、容易に想像できた。

「アンジェにたどり着く研究が終わる前に、あいつが倒れてしまったら意味がない! よし、オレが力尽くでも・・・」

「ロシュ、ダメだ。きっと彼には僕たちではダメなんだよ」

 悲しそうに目を伏せながら、ベルナールは今にも研究室へ舞い戻りそうなロシュの肩を掴んだ。

「ダメって何だよ。このままだとあいつ、倒れちまうんだぞ」

「考えてもみなよ。やろうと思えばジェット君にお願いして、無理矢理レイン君を休ませることも出来たんだ。でもダメだったんだろう?」

 ベルナールの視線を受けたジェットが、初めて口を開いた。

「ああ。休養させようとしたところ、あいつは脱走していつの間にか研究室に戻っていた」

「あれから、ジェットが近づくたびに、レイン博士は研究室の電子ロックをかけるようになりました。今日、あなた方がレイン博士に会えたのは本当に幸運だったのですよ」

 エレンフリートはそう言って、苦笑いを浮かべた。
 二人もレインを休ませようと試みていたのだ。
 でもダメだった。
 レインの思いを止めることは出来なかった。
 アンジェリークへの罪悪感。
 レインが底知れぬ思いを抱いているのだと、その場にいた四人は改めて知った。

「何か、打つ手はないのかい?」

「有効かどうかは分かりませんが、オーブハンターだった三人に相談してみようと思っています。私たちよりはずっとレイン博士に近いところにいた方々ですから」

「そうか・・・僕たちに出来ることがあったら、何でも言ってくれ」

「ありがとうございます」

 気がつけばずいぶん長いこと話し込んでしまった。

「じゃあ、僕たちは失礼するよ」

「ええ。お引止めしてしまい、すみませんでした」

 エレンフリートとジェットに見送られて、ベルナールとロシュは財団本部を後にした。



 それから三日後だった。
 レインが倒れたという一報が、ベルナールたちに届いたのは。










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